第八話 蒼陽 Part 2

 プログラムも残りも数日となった頃、アリスは陽国教会に赴くことになる。


 教会建築はヨーロッパ風でありながら、どこか神社のような静謐さを感じる。魔法そのものを信仰するぶん偶像を置く必要がないためか、高さがなく全体的に横に広い外観は神社めいている。代わりに庭園が広く、建物に入りきらなかった信徒が集合できそうな前庭があり、周囲の装飾は日本庭園風である。その歪にも感じる「なんでもまぜこぜ」感に、異世界の歴史についてアリスは想像を巡らせる。大昔に魔術師たちによって「開かれた」というこの世界の歴史のいう「大昔」は、案外数百年単位で最近なのかもしれない。


 ここにアリスを呼んだのは他でもない、知り合いの上級錬金術師だった。プログラムの中で教会の術師とも交流する機会があり、その人伝でアリスの噂を聞きつけたらしい。建物の案内を終えて、イシスは淡い笑みを見せる。


「どうですか?」

「どうって……、その格好、制服か何かです?」


 アリスはイシスがしてくれる解説の八割がたを聞き逃していた。その理由は大体彼女の服装にある。大きく開かれた胸元に青い石が光る金の首飾りをさげ、白い法衣は脚を覆い床を擦るが腰にピッタリと纏わりつく様はむしろ何もないほうがマシだと感じるくらいに妖艶であった。


「服ですか? ええ、信徒が神殿を歩く際には清らかな姿が求められますわ」

「全く清らかに見えないですけどそれは」

「まあ? それはアリス様がいやらしく見ているのではなくて」


 イシスは面白そうにくすくすと笑う。ほとんど前傾姿勢のアリスは悔しくなるが、こんなところで盛っている自分は確かにいやらしいだろうと思い心の中で魔法の神様に謝罪した。いやお前が謝れ神様、絶対清らかだと思ってないだろ出てこい。


「そろそろお食事に行きましょうか、日本食のお店を選んでおきました」

「もうここまで来たらスッポンとか食べたいんですが」

「すっぽん? それはなんですか?」

「なんでもございません」

「着替えて参りますから、少し待ってくださいね」


 生殺しにも程がある、健全なアリス青年にとっては今のその「清らかな」法衣をみだらに暴くことでこそ興奮できるというもの。悔しいやら何やらでアリスは自分の首を掻きむしった。しかし教会の庭の外で再会した際、着替えを終えた姿でもやはり豊満な胸元が強調された「暴きがいのある」格好であったので少し安心した。


───


「トーキョーゲートは一度封鎖されたそうですが、事件でもあったんですか」


 イシスの住む家は賃貸のメゾネットで、教会からは路面電車で数駅移動した場所にあった。教会近くの料亭で食事を終えた後、イシスはまるで当然のことのように「今夜はうちに泊まってください」と誘ってきたので、アリスは「はい」と食い気味に返事をした。料亭で日本酒─確かに日本酒の香りだった、醸造は酵母さえ飼育できれば可能なのできっと同じ技術と米を使ってこちらでも造られているのだろう─を既に飲んでいたイシスは少し赤い顔でアリスの腕に腕を絡め、時折顔を見ては微笑んで見せたので、アリスはもはや路面電車の記憶がない。家に着くなりシャワーを浴びてきますね、と言うイシスには「すいませんもう待てません」と即答し、ほとんど土下座外交でようやく悲願を達成してから、気怠げに凭れてくる女の汗の匂いの中でふと思い出したことを呟いた。


「一度ならず、だわ。最初は……、私も知らない昔の話。七十年も前になるかしら」

「世界大戦?」

「ええ」


 イシスは眠たげだが、ブランケットを体に巻いたままソファから立ち上がり冷蔵庫に向かう。ワイン風のチューハイ缶を取り出してはグラスと共に浮かせて持ってきて、テーブルで二つのグラスに注ぎ入れた。


「俺は未成年ですが〜」

「ここは陽国だわ。それに少し酔ってもらわなくちゃ、今日は恥ずかしかったんですもの」

「悪い大人だぁ。酔ったって記憶は消しませんけど。ていうかお酒好きですね」

「恥ずかしがりなの。酔うと大胆になれるから」


 そう聞くとアリスはそれ以上咎める気になれず、隣に座る女とグラスを軽くぶつける。機嫌良さそうにするイシスはしかし、アリスに密着することはなく続けた。


「戦争そのものを恐れたわけではないんです。昭和と呼ばれる時代まで、陽国と東京の間で人の往来はよくあることでした。もちろん貿易も行われていたわ。あなたのように錬金術や魔法を学びにくる人や、新しい土地を目指してくる人。そのまま世界を超えて愛する者を見つけた人が永住して結婚することも……、でも、向こうの世界はどんどん変わるでしょう。発展しすぎてしまった。魔法を学ばなくても、向こうの世界で魔法のような技術がどんどんできて……、その技術は、人を殺すようになった」

「つまり、兵器を恐れたと?」


 イシスは頷くと困ったような表情を浮かべて、グラスを傾ける。


「はじめはね、陽国、函庭もそうだと思うけれど……、向こうの軍事に興味を持った人もたくさんいたわ。そうして志願兵になった人もいたそうよ。ところが戦争の最後に日本国は、とてつもない次世代の兵器の攻撃を受けた。これによって……。酷いことを言うわね。陽国教会は、『日本は化学兵器に汚染された』と見做したの」


 アリスは顎に手を当てて聞いていた。原子爆弾の話であることは明らかだ。汚染と考えたのも無理はない、放射能による長期的な影響はこれまでの研究で明かされてきた通りである。


「そうしてゲートを閉じた。汚染された人や物を入れないため。もちろん恐ろしい兵器も入れないため。陽国だけでなく、函庭や黒島でもゲートを閉じる計画はあったけれど、結局『人よりも大きいものは入れない、パスポートの取得審査を厳しくする』ことで落ち着いた。あなたも知っている通り、ゲートって小さいでしょう。昔はもっと大きくて、門のようだったというわ」

「でもまた開いたわけですよね」


 イシスは頷き、静かに目を伏せる。アリスは黙って言葉を待ちながら、彼女の耳に揺れる水色の宝石を見つめていた。


「経済成長の時期を超えて、不景気になったでしょう。その頃に日本政府から、失業者がたくさん出たから異世界での就業を可能にするために門を開くように要請があったらしいわ。それで細かくいろんな渡航条項を作って、ようやくゲートを開けた。でも発展した技術はあまり入れたくなくて、ITというのでしたっけ、そういう先端技術者は弾いて肉体労働者だけ入れるとかしたのね。それってその、直接的な言い方をすると、無法者を増やすことにもなるじゃない。暴動が起きたりして……また一度閉めた」

「割と最近の出来事ですね」

「ええ。また政府間で会議をして、今の状態になったのは8年前のことよ」

「知らなかった」

「無理もないわ」


 アリスはグラスを傾ける。微炭酸の刺激と共に白葡萄の香りが口に広がって、酒の匂いは薄い。今聞いた話をゆっくり噛み締めるように、しばし液体を口内に留める。


「陽国教会は裏世界のことを今でも恐れている。少なくともこの国では兵器をそのまま持ち込むことは不可能だとは思うわ、けれどその作製技術を転用して、魔法で再現するようなこともできてしまうかもしれない。パラダイムが違う限り、同じエネルギー発生機構を使うことはできなくても、思いつく人がいるかもしれない。そのために日本国と厳しい条約を結んでいる」

「それは簡単でしょうね、実際」


 グラスをテーブルに置いて、アリスは真面目にその理論を空想する。誰しもが思いつく、しかしマスターピースが足りていないだけの話だ。


「原子爆弾は核分裂でエネルギーを産むわけだから、太陽のエネルギー放射と逆の反応をすると考えれば魔法で再現は可能ですね。魔法のような融合反応ではなく逆の分裂反応を引き起こせばいいので。俺のやろうとしてる理論実証の到達点とも言えるかもしれない。性質という粒子、それらを引き合わせる仕組みと『核』を解明したら、その仕組みを逆転させて『核』をぶっ壊して連鎖反応に持ち込めばいいんです。重要なのはどんな元素あるいは物質をどのように分裂させるのか、そもそも核と引き合わせの仕組みがわからなければ……」


 イシスはアリスの呟きをしばらく黙って聞いていた。やがてそっとその手に手を重ねると、ようやくアリスは思考を止めて彼女の顔を見る。頬に伝う水滴に、きょとんと瞬いた。


「……教会は、あなたのような人をこの世界に留めようとしないわ」

「それは困ります。上級の資格はもらわないと」

「なら、さっきの話は、忘れて……」


 イシスは声にならない声を漏らしながら彼に縋るように抱きついた。アリスは思考の隅で、教会に嫌われたらこの人とはもう会えないんだろうな、とぼんやり思うに留まる。同時にこの『膨大な魔法エネルギーの生成方法』に、彼は密かに心を燃やし始めた。


───


 函庭に帰る日、ゲートの前まで見送りに来たイシスは不安げに彼の手を引く。アリスはいつもと変わらない表情で「このゲート苦手なんですよ。なんかいい発明できないですかねー」なんて言っている。


「海を一瞬で渡れる魔法ってないんですか」

「これがそれですわ」

「瞬間移動ってないんですね」

「固有魔法として、できる人もいるみたいですけど。再現するには相応の技術とエネルギーがいると思うわ」


 不安げな蒼の瞳が黒い瞳を捉える。エネルギー、の単語に彼は表情を変えなかった。


「約束をしたいわ」

「あんまりその、約束に縛られるのは苦手で」

「……また会いましょう?」

「それくらいなら、ぜひ」


 どちらからともなく惹かれ合い、周囲の目も気にせず二人の唇が重なる。グローブをした手が女の頬を撫で、指先についた水滴を払うように落ちた。


「大丈夫ですよ。俺にはやることが山積みなんで、すぐにあなたのおそれるようにはならない。また来ます」

「ええ。……無理をしないで」


彼は笑み、そのまま背を向けるなり一瞬にして風に包まれて消えていった。

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レイニー・ドールとそれなりの逸話 荘田ぺか @shodapeka42

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