第八話 蒼陽 Part 1

 かの女神イシスとの再会は案外早く叶うこととなる。アリスはその日、函庭と陽国を繋ぐ「ゲート」との対面を果たしていた。


 七月、函庭の中央科学院もそろそろ夏季休暇に入る。アリスの場合は皇居の錬金実験室や図書室も自由に利用できるとはいえ、学校に完全に通わなくなるのはどうにも刺激が不足するように思えた。それを狙ったかのように科学院の教授から勧められたのが国際交流短期プログラムで、隣国である陽国の錬金施設を訪問する会のメンバーに入らないかということだった。


 日本列島をそのまま線対象に反転させて眺めるとして、北海道に当たるのが函庭だ。現に新札幌空港にあるゲートをくぐることで到達することができる土地で、北方にある島々や大国からの影響を少なからず受けた独自の文化がうっすらと存在し、本国とは大きく異なるもののその土地柄か未開拓の地も多く残されている。


 一方、本州に当たるのが陽国と呼ばれる土地だ。北の方や南の方はそこまででもないが、やはり東京や大阪の裏側に当たる国、近代日本らしい発展を遂げているそうだ。そうなればアリスの興味はもちろん、近代技術と魔法の関わり方である。これまでに皇太子たちの教育の一環で魔法電池の作成や水鉄砲に気球ラジコン作りなどを行ってきたが、同じことを考える『異世界人』が多く往来しているはず。そう思って教授に尋ねるとしかし、教授は首を横に振る。


「陽国では教会が大きな力を持っているのだ。教会には裏世界の科学を邪教扱いする派閥が今でも存在する、もっとも今ではその派閥もなりを潜めているが……、ともかく裏世界科学と陽国の魔法を交わらせることは禁忌とされている。トーキョーゲートの封鎖事件もあった。きみも用心したまえ」


 そんな状態の国に異世界人である俺を連れて行くつもりなのか、もしもの時のスケープゴートにでもしようとしていないか。そう言いかけたがそれでもみすみす日本列島異世界の中心地に行くチャンスを逃すわけにはいくまいと前向きな返事をした。最も発達した錬金技術を前にして、『陽国教会』という単語の重要性に気づくまでには時間がかかった。


───


 この世界では、海峡は重要な意味を持つらしい。自然界に存在する四つの元素を使い、エネルギーを動かす魔法。それによると一つの元素が偏在する状況ではそのエネルギー遷移が『停滞する』と言われる。つまり海の上では水元素、つまり『湿』と『冷』の性質の存在が多くを占めるため、エネルギーのバランスが崩れるのだそうだ。海が間にある限り、エネルギーの流れや人の動きはそこで制限される。こうして異世界日本列島は統一されることなく、四つの国に分断された。


 代わりに誰が思いついたか、『風』をうまく使って海を渡る方法がある。もちろん『土』を使って海の下を掘って─本国の青函トンネルの如く─繋ぐ方法も考えられたが、函庭と陽国の距離には耐えきれず、『風』によって『吹き飛ばす』移動方法が確立されたのだ。アリスはそれを聞いてもまるでピンと来なかった。。気球でも使うのだろうかとも思うが、結局あれだって魔法が元になっているわけだから、エネルギー遷移の停滞する海上も飛べるのだろうか。


「準備はいいですか? 3、2、1」

「無理で、」


 ゲートがあるのは大きな灯台だった。嫌な予感が蓄積される中、突風吹きすさぶ渦の中に笑顔で放り出された次の瞬間には、アリスは到着した灯台の隅っこで盛大に嘔吐していた。


「大丈夫かい?」


 一緒に吹っ飛んできたはずの科学院の仲間は平気そうだ。アリスはまさか自分は酔いやすい体質なのだろうかと不安になりつつ「大丈夫じゃないです」と繰り返していた。


───


 教会に直接行くのかと思いきや、アリスたち訪問プログラム生は平凡なビルに連れて行かれた。陽国の街並みは確かに近代的でありつつ、日本の東京よりは整っているがどこか古臭い、昭和の頃から変化のなさそうな建物もかなり残されている。全体的に三十年ほど退行したような印象だ。電気が通っていないから電柱や電線がない点においては『昭和らしさ』はそれほどでもないわけだが。


 その中でも一際古いビルで、滑車式の昇降機のあるそれは函庭の中央科学院と同等の教育施設だったらしい。『アルゴ・マグヌス陽国錬金大学校』と名付けられたそこでプログラム生たちは、この国における魔法や錬金術の性質とその重要性についての講義を受け、さらに錬金術の目指すところを『神の業』として、錬金術、ひいては魔法そのものを神として崇める陽国教会の教義についても教え込まれた。


 国民は全てが教会に属するわけではないが、政教分離がされておらず陽国教会が政治の実権を握っている現状ではその教義こそ法であり、魔法を学ぶものは全て神の教えの通りに学ぶべきとされている。日本の本州ぶんの広さと人口を抱えるこの国で本当にその政治が成功しているのかどうかは、アリスには些か疑問だ。


 とはいえ所詮は他国だし、訪問プログラム中に騒動を起こすのも面倒だと判断したので、古代の手法に拘る錬金実習室や思想が強めな書庫のラインナップを見ても何も言わないように努めていた。一度だけ「いまだにこんな器具使ってんすか」と口をついて出てしまった時は、周囲の学生が戒めてくれたので怒られずに済んだ。最初に釘を刺したとはいえ、プログラム生として科学院の成績上位の者から順に声をかけたことを教員は悔やんだことだろう。


 プログラム中、アリスらは錬金大学校の近くにある宿で過ごし─科学院の寮室の三倍は広かった─、大学校の授業に参加したり、街を観光したり、古風な騎士団の駐屯地を見学したりして過ごすことになった。アリスはもちろん街に興味などないのでほとんど大学校に通い詰め、その書庫に入り浸っていた。


「交流プログラムの人? 何をお探し」


 あまりに毎日来るのを見かねて、あるとき司書らしきメガネの女性が声をかけてきた。


「函庭から来ました。ここの所蔵リストってもらえます?」


 そう尋ねると司書は軽く首を傾げた。


「欲しい本がある?」

「いえ、全部知りたいです」


 司書はさらに瞬きしたが、何度か頷くと少し待ってとカウンターに戻る。棚から分厚いバインダーを持ってきた。


「これだけど、最近入った本も結構ある。最近入った本には赤いシールがついてる。赤いシールの本を探してこれに追加したらいい」


 彼女は特徴的なダミ声で伝えながら棚を指差す。書庫は函庭の皇居や科学院のそれとは比べ物にならないほどに広大だ。シールのついた本だって、種類ごとに分けられた棚の中から全て見つけるのは至難の業だ。


「できるんなら、好きにしな」


 思いがけないところから課題がやってきてしまった。司書はメガネを持ち上げ、太い二本の三つ編みを揺らしながらその日は去っていったが、アリスは早速棚を数えて頭の中でスケジュールを検討する。そして二晩ほど見回りの警備員をやり過ごし、徹夜で本を探して回ったのだった。結果的に一週間で作り上げた所蔵リストを司書に渡すと、司書は驚きもしない。


「ちょうどよかった、学生バイトが捕まらなかったんだ」

「学生にやらせるつもりだったなら俺もバイトと同等なご褒美欲しいんですけどぉ」


 スンと目を細めるアリスに、司書は同じような表情を返す。


「この部屋について警備の巡回をやめるように言ったのはあたしだよ」

「えーそうだったんです? わざわざルートもよく調べたのに。でもそれはバイトをしやすくなっただけで、福利厚生のレベルでしょ」

「別にあたしが依頼したわけじゃない」


 司書は自分勝手にそう言ってカウンターに頬杖をつく。アリスはこの司書を不審に思いながらも、自分の要求と通そうとリストの古いページを捲り、その中の一冊を示す。


「気になる本があったんで、解説願えます?」


 司書は口をへの字に曲げていたが、仕方ないねと眉根を寄せる。片手を挙げると、瞬時にその手元にアリスの求める本が吸い寄せられるように飛んできた。


「その魔法あるならリストの作成は容易だったと思うんですがぁ」

「違うね。このリストそのものがあたしと繋がってるから、ここに登録しなきゃそもそも引き寄せられない」


 言いながらメガネを持ち上げ、本の中身をパラパラと捲る司書。ようやくアリスは彼女の姿をよく見たが、小柄な少女のような見た目の彼女だがその手や目元にはたしかに小皺が刻まれている。彼女はこの仕事も長いのだろうが、固有魔法なのか訓練されたものなのか。ある書物─この場合はバインダーだが─と結びつく魔法を使う人は見たことがない。考えているうちに司書は顔を上げた。


「カバラの秘儀だね。もう大昔の錬金術だ。この部屋にも秘儀に関して言及されている本は三冊しかない」

「それ全部」


 言い切る前に司書の手元にはさらに二冊の本が飛んできた。


「文字を操る術だ。例えばゴーレムを動かすときは頭に『emeth』、『真理』と刻む」

「止めるときは頭のeを消して『meth』、『彼は死せり』にする」

「知ってるじゃないか」

「それからセフィロトの樹を描くでしょう。土元素に呼びかけることで樹を召喚し、セフィラーを繋ぐことでゴーレムを召喚する術は現存するんでしょうか」


 司書はじっとアリスの顔を見る。別の本を開き、目次に従って特定のページを開く。


「あたしは知らん。お前の言っていることも想像が難しい。ただ、ゴーレムは現存する。それも命を宿した人種として」

「それはどこに?」

「隠されている。と、ここには書いてあるね。ただこれについては、函庭の人の方が詳しいと思うよ」


 司書は本を閉じて重ねた。それから貸出票を取り出して日付と本のタイトルを書き込む。


「名前」

「アリス」

「女みたいな名だね」


 貸出票の最後に『マルギト』と署名を加え、司書は三冊の本をアリスに押し付ける。


「魔法による複写は禁止。複写したいなら手書きでしな。返却期限はお前の帰るまで。あと一週間だったかな」

「どうも」


 受け取るなり、一秒も無駄にできないとアリスは書庫を出て行った。背後でマルギトの「ま、いつでも来なよ。来れるならね」という声を聞いた気もする。

そうして残りの時間を費やし、アリスはゴーレムに関する三冊の書物の大事な部分の複写とともに丸暗記にかかった。その後さらに、錬金実習室にある古代錬金釜の構造のスケッチをしていたらあっという間に時間が溶けていった。

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