第七話 土から飛び立つパスポート Part 2

「殿下! 下に私が! チャールズがおります!」

「知らないよお! 初めてやったんだもん!」


 王冠を戴くにはまだ早い未熟な王は半泣きで土人形を操っている。その隙にコンスタンティナが縄梯子から土人形の肩に飛び移り、その掌に家庭教師をやや粗雑に下ろした。


「ゴーレムだ! カバラの秘儀だ! きゃっほー」


 いつの間にか正気を取り戻していた家庭教師は逆の意味で正気を失っている。無視してコンスタンティナはゴーレムの頭によじ登る。テレスの未熟な操作でゴーレムはキョロキョロと辺りを見回すように体を捻り、その度に手にも力が入りついに気球は破裂して炎上し、チャールズの乗っていたカゴ部分は宙吊りになるが、コンスタンティナは冷静に兄の元へ向かう。


「テル、すごいの。まずはチャールズをおろしてあげて」

「わかんないよぉ」

「落ち着いたら大丈夫なの」


 妹に手を握られて、焦ってまた泣いていた少年はようやく息を吐いて頷く。彼の心情に呼応するようにゴーレムはゆっくりと背を丸めて気球を地面に下ろすとチャールズはなんとか飛び出した。炎上する風船部分は空間魔法で丘の中腹まで飛ばし、気球はそこで静かに燃え尽きていった。


「久しぶりに死ぬかと思いましたね。燃え移っていませんか?」


 自身の長く編んだ後ろ髪を気にしながら、チャールズはゴーレムを見上げる。これまたとんでもないことをする、と驚き半分呆れ半分だ。


「殿下、ご無事ですか」

「な、なんとかぁ……。ねえこれ、どうやって止めるの〜」

「止め方をご存知ないのに何故出したのですか?」

「だってこんなの出るとは知らなかったんだもん!」

「錬金術です! 文字を変換するカバラの術が大元なんです。あなたは最初にセフィロトの樹を描いたでしょう、王国から始まり十のセフィラーが繋がって、最後に王冠が鍵となって完成したのがそのゴーレムです。額に王冠がある以上動き続けますから、あなた自身がそこをどけばいい」


 なんとか自力でゴーレムの手から滑り降りたアリスが声を張る。そこに至る過程を飛ばし飛ばしで説明するのでテレスにもチャールズにもその真意は不明だが、ともかく降りればいいと解釈したコンスタンティナが立ち上がる。


「まってシティ! こんな高いところから降りるなんて無理だよ」

「じゃあ僕が先に降りるの、受け止めるから」

「いやだいかないで!」

「どっちかしかないの」


 コンスタンティナは真顔で兄を見つめていた。今や甘やかしている時ではないと判断したというわけではない、ただ兄の生存と安寧のために彼女はそうしている。テレスは怯えながらも、そのまっすぐな瞳に映る自分の情けない姿に眉を下げ、今一度顔を拭いた。


「じゃあ、手を離さないでね」

「うん」


 少女は頷く。二人はしっかりと手を握りあい、同時にゴーレムの額を蹴った。


 城の一部が倒壊し、壁は動かなくなった土人形の瓦礫で穴埋めされた状態のまま、皇太子の誕生日パーティーの準備は再開された。一方チャールズとアリスは流石に皇帝の部屋に呼び出され、玉座に座る彼の前で正座させられていた。


「さて、お城の修繕と気球の補償。どうしてくれるのかしら」

「大変申し訳ございません」

「その前に気球とか持ってたんですね。テレスさんは空飛びたがってたし、使ってあげたらよかったのに」


 アリスは空気を読まずに質問してみた。皇帝は眉根を寄せてため息をつく。


「あんまり裏世界製のものを見せたくないのよ。教育方針というか」

「俺はあなたの教育方針とやらに納得いかないところ多々ありますよ」


 流石に兵士が動き出し、アリスのマフラーに槍の先が当たる。それでも少しだけ首を引っ込めただけで口をつぐむつもりはない家庭教師は皇帝と見つめ合った。子供達とよく似た黒い瞳がモノクル越しに細められる。


「カバラの秘儀だって、テレスさんが使えることを知っていて、その正しい使い方も理論も何も教えていなかったでしょ。テレスさんもシティさんも強い力を持ってるのにその制御の仕方を知らなくちゃ仕方がない。正直あなたがた、子供たち『二人とも』ネグレクトしすぎですよ」

「お前いい加減に!」


 兵士に強く取り押さえられ、いてぇと声を上げると皇帝は静かに「放して」と告げて立ち上がった。


「今日はテルちゃんの大事な日。この話はまた今度にしましょう。チャールズもアリスも減給一ヶ月、それで良しとするわ」


 アリスは不服そうなままだったがチャールズは深く頭を下げ、兵士に解放された彼を連れて部屋を出た。


───


 当の本日の主役はというと、とてもご機嫌だった。城を壊したことは軽く咎められはしたものの、テレスはすごい術を成功させたことが後になって実感として出てきたらしく、しきりに「あれすごかった! 大きいし、どかーんって感じ。シティもカッコよかったなあ」「テルのすごいの、すごかったの〜」などと部屋で二人で盛り上がっていた。パーティー会場の修復が終わるなり、そんな皇太子は会場に呼ばれて使用人一同による出迎えを受け、煌びやかな会場や大きなケーキとクレープに大喜びしていた。


「よかったですね、殿下」

「このクレープさ、中にキャラメルのクリームいっぱいなんだ」


 頬にクリームをつけて満面の笑みを浮かべる主人の口元を拭いて差し上げながらチャールズは会場を軽く見回す。国の要人もたくさん来ており、皇帝が笑顔で対応しているが皇后の姿はどこにもない。それどころか家庭教師もいなかった。そのことに皇太子が気づいたら面倒だな、と思っていた矢先にその疑問は思わぬところから飛んだ。


「アリスがいないの」


 最愛の兄の誕生日、兄が美味いと言ったものをひたすら肯定するだけの人形と化すと思われた皇女がぽつりとそれを口にした。


「あれ? 本当だ。何してるんだろう」

「鉄砲のことで怒られているかもなの」

「えー、もう今更いいのになんで?」


 二人の視線がチャールズに集まる。チャールズは嘆息し、探してきますとその場を離れた。


───


 家庭教師は書庫にいた。錬金室にいると思って散々ウロウロしたチャールズは呆れたように息を吐く。


「もうパーティーは始まっていますよ」

「そうみたいですね」


 チャールズはさらに呆れて、本から目を離さない彼に詰め寄る。


「この書庫、肝心な本は置いてない。テレスさんが漁るから隠してるんでしょうね」


 アリスはようやくチャールズを見上げて言う。見ていた本は土元素にまつわる魔法のレビュー本だ。


「ゴーレムについて、ですか」

「まだ子供とはいえポテンシャルは高いですし、詠唱も知っていた。なのに何故、テレスさんはゴーレムの扱い方を知らなかった、いや教わっていなかったんですか」

「それは私も存じ上げません」


 チャールズは目を伏せる。事実、あの詠唱もあの術も、チャールズ自身も初めて見聞きしたものだったからだ。


「いつか皇帝さんたちとちゃんと話したいです。俺には俺の教育方針があるので」


 ゆっくり頷いて、チャールズはまだ若い教師と視線を合わせるべく膝をつく。


「お気持ちは十分に。しかし今は、皇太子殿下ならびに皇女殿下の『情操教育』にご協力を賜りたく思います」

「情操教育?」


 彼は本気で不思議そうに尋ねる。これはこの人自身にも情操教育が必要だなと、齢百を超える男は思うのだ。


「あのお二人は、かつての家庭教師陣が縄に絡まったら間違いなく見殺しにしていました。そのくらい他者に興味がないのです」

「それはそうでしょうね。他者と触れ合う機会があまりにも制限されてる」


 チャールズはまず話を聞けと言うように首を振った。


「あなたは今生存している。もしもコンスタンティナ様が動かなかったら今頃土の下でしたよ、あなたは気を失っていらっしゃったが」


 アリスは不思議そうに首をカクッと動かしてみせたが、チャールズはそんな彼の肩を緩く撫でた。朝のことがあるのでちょっと避けられたが、それでも構わない。


「ともかく、両殿下があなたをお呼びです。お祝いに来てくださいますね」


 子供─もちろんチャールズにとっては孫のような歳の頃なのは事実だが─に語りかけるように優しく伝えると、アリスは眉根を寄せてから本を閉じた。皇太子と皇女がいつの間にかお互い以外の人物に興味を持ち始めたぶん、手のかかるお子様が一人増えてしまったようだ。


───


 テレス皇太子殿下の機嫌の乱高下はいつものことだが、この日はいつになく急降下だった。届けられたプレゼントの箱を全部開けても、中身はボードゲームや建物の模型やら服やらで、ラジコンが一つもないのである。先日の『函庭フライヤー号』以来、コントローラと魔力波を合わせてものを動かすのが楽しくなっていたテレスにとって、マイブームに合致しないプレゼントほどつまらないものはない。熊のぬいぐるみは早々に妹に押し付けて、コンスタンティナが自室から持ってきたオパビニアとかいう古代生物のぬいぐるみの餌になっていた。


 そんな微妙な空気の中、開いた窓からミニ気球が飛んできたものだから一同は仰天した。


「さっき思いついたんですけど、熱気球に必要なのは熱だけであって火元素と風元素を組み合わせる必要は必ずしもないんですよね。つまり熱の単離を連続的に行う回路があれば熱気球は特別な燃料なしに飛ばせるんです。熱の単離は水と砂を混ぜた物質に火をつけることさえできれば簡単です。水の中でどのように火を灯すかという問題については不燃カーテンの生地をセパレーターとして用いることで解決しました。なお方向指示器はテレスさんと作った水風変換電池で動いています!」


 早口で語りながらラジコンのコントローラを持ってアリスが現れ、チャールズは流石に彼の頭を叩かざるを得なかった。


「倫理というものをご存知でない?」

「俺にそんなもん期待しちゃダメですよ」


 アリスは開き直っているし、テレスは歓喜して跳ね回っている。ミニ気球はすでに要人らの撤収した後片付け中の広間をぐるりと飛んで、コントローラがテレスに渡るとこれまた自由自在に飛び回った。内部の火元素が尽きると気球は墜落してしまったが、それでも楽しみ尽くしたテレスのご機嫌は再び最高潮で、気球で怒られたのにまた気球を持ってこられた是非はさておきチャールズはひどく安堵したものだった。


───


 散々遊んで広間を荒らしたまま、テレスは気球を抱きしめたまま眠気を訴えて部屋に帰りたがった。片手には妹と手を繋ぎ、もう片手はごねにごねて家庭教師に気球を押し付け手を繋いでもらった。そのまま部屋まで歩きながら、コンスタンティナのもう片手に繋がれていたオパビニアはそのうち廊下の隅に忘れられていって、最終的に家庭教師はすっかり眠ってしまった皇女を抱っこして運ぶ仕事までやらされていた。


「重……! いや軽いですけどこの重量を普段持ちません」


 絶対的文化系のアリスは疲弊しきり、ベッドにコンスタンティナを寝かせてそのまま床に座り込んだ。テレスはパジャマに着替えてから妹の隣に転がり、布団をかける。


「アリスもここで寝る? いいよ」

「えー犯罪〜」

「犯罪でもなんでもいいけどさ、床で寝るくらいだったらベッド来てよ」


 床に倒れそうになっている家庭教師のマフラーを引っ張ると、彼は渋々キングサイズのベッドの隅に棒のようになって転がった。予備の布団を呼び寄せてかけてやり、テレスは満足して仰向けになれば、すぐに眠気はやってきた。


「ねえ、アリスの誕生日はいつ?」


 眠りにつく直前の、ふわふわとした意識の中でテレスは尋ねる。手はしっかり妹と握りながら、顔だけ家庭教師の方へと向けて気の抜けた笑みを見せると、人の布団で寝れないとぼやいていた彼は少し驚いたように目を開いた。


「……、本当にまるっと、ちょうど半年後ですね。縁あることに」

「十二月の……、二十四?」

「クリスマスイブなんで、つまんないもんです」

「クリ……、それ何?」


 テレスの純粋な疑問に、アリスはまたぽかんとして、それから笑った。


「んはは。なんでもないです。俺専用の、めでたい日ですから。ちゃんと祝ってくださいね」

「うん? うん、わかった。約束」


 テレスが頷いて目を閉じると、彼はテレスの布団を顎元まで引き上げて軽く胸の上を叩く。ゆっくりとした呼吸の合間に、眠たげに重い口が動く。


「今日まだ、もらってないけど……、十歳になったから、パスポートをもらえるんだ」

「世界往来の? そりゃまた。おすすめしませ……」

「だからさ、アリスのお誕生日は、アリスのお家で、したいねぇ……」


 純粋な願いを吐き出して少年は眠りについた。家庭教師は少し困ったような顔をしてから、「善処します」と小さく告げて布団を被り丸まった。

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