第七話 土から飛び立つパスポート Part 1

 函庭皇居は朝から大忙しだ。夏の気配も訪れる6月末、その日は出勤日でもないのに家庭教師も動員されて、広間の飾り付けやら料理やら、果ては国内要人のためのゲストルームの整備に至るまで、使用人や職員は総出で働き詰めだった。


「どう考えても肉体労働向きじゃないの、わかってもらえませんかね。そもそも魔法でやってくださいよこんなもん」

「繊細さが必要とされる技術は魔法では解決できないこともあるのです。それにしても……、フフフ、良い感触ですね……」

「勘弁してください、絶対これが目的ですよねー。俺が十八歳未満だったら絶対勝訴できてた。俺はストレートです、女が好きです!」

「では私のことをイシス様だと思って」

「やったぁ! いや無理!」


 アリスは広間の壁にガーランドを取り付ける作業をさせられていた。脚立だと面倒だからという理由でチャールズに肩車をされ、震えながら一つずつフックを貼り付けては紐を引っ掛けていく。首の後ろに青年の股間を感じながらチャールズは幸せそうだった。


 ところが大きな問題が一つ。巷では雨男と噂される家庭教師を呼びつけたせいか、その日は天気が悪い。本日の主役である皇太子がベッドの中でぐずっているのだ。皇女は兄を宥めていたがなかなか機嫌が回復しないのでついに諦めて、一緒に布団に潜って頬擦りをする。


「テル、今日はとっても大事な日なの」

「やだ、どうでも良くなっちゃった」

「チャールズとかアリスも準備してくれてるの〜」

「いらない。二人とも嫌いだ」


 ずっとそんな調子で丸くなっている兄を包むように抱きしめてから、コンスタンティナも少し考えて頭を撫でる。


「お誕生日なの。テルがこの世界とこんにちはをしたの。それって、とっても素敵なこと、僕も幸せなことなの」

「じゃあシティがいたらいいや。他はいらない、パーティーなんかしない」

「うん。じゃあ、そうするの」


 隣に丸まって手を握る。一日中兄のそばで寝ることも、優しい言葉をかけ続けることも、コンスタンティナにとっては日常で、特段困ることもない。このために生まれてきた妹はしかし、兄が歳を重ねて成長することの恐怖をまだ知らない。いつか自身が「いらない」と言われるその時が来るとは思いもよらないだろう。チャールズ・ヤンの心配事はそこにもあった。


「シティさんのこと? まあそもそも、妙な人だと思いますけど。一応皇女様でしょ、小学生の歳だしちゃんといろんな適切な教育を受けさせるべきなのにずっとテレスさんと一緒だし。まあ戦闘能力は高いですからボディーガードにするつもりならいいでしょうけど」


 チャールズがその懸念を話すと、アリスはベッドメイキングに苦戦しながらなんとなく答えた。この不器用な男は枕をカバーに入れることすら手こずっている。


「あいにくお嬢様のお嬢様教育は俺の専門外なんで、城の皆さんにお任せするしかないですけど」

「その通りだとは思いますが……、両陛下のお考えがよくわからないのです。当然、進言したことはございますよ」


 一緒にシーツを引いても曲がるのでチャールズは困ったが、ゲストルームに長居するのはこうした込み入った話をするのには都合がいい。スーパー執事とはいえやや疲れてきたのか、ベッドを整えると椅子にかける。アリスにとっては密室でこの男と二人きりなのは貞操の危機でもあるが、真面目な話をするときは真面目な人物だと理解している。綺麗に整えたベッドに堂々と寝転がった。


「皇后様って、パワー系だったりします?」

「ふむ? ええ、そうですね……、少し、特殊な生い立ちの方で」


 チャールズはベッドを乱すなと忠告する前に部屋の扉を確認した。しっかりと閉まっているのを見てからも音声は落とす。


「強いお力をお持ちです。今では薄れましたが、十年も前だとまだ函庭にも差別がありました……詳細は控えますが、強い固有魔法を持つ一族は、かつては忌避されていたのです。皇帝陛下はそれでも皇后陛下を深く愛しておられましたから、差別の撤廃を宣言してのち皇后様を一般にも公開されました。それでも様々な意見がありましたね、あの頃は。幸い皇后陛下はさっぱりしたお方ですので、気に病まれるような仕草はお見せになられませんが」

「チャールズさんって何歳なんです?」


 ゆっくりと語るチャールズの話を聞いてはアリスは顎を撫でる。


「まあいいや、ともかくなるほどですねー、皇后さんがそういう立場なら、パワー系の娘が自分と同じように怖がられないようにとか考えてるのかなと思いましてね」

「左様に思います。事実、今日のようにテレス殿下の誕生日祝賀会は毎年開催されますが、コンスタンティナ殿下のものはありません。国民に存在こそ知られてはいますが、表向きにはほとんど『いないもの』とされている向きがあります。両陛下はこのまま、娘の存在を隠し続けるおつもりなのか……」

「テレスさんがシティさんに飽きた時、シティさんは捨てられるんじゃないですかね、知りませんけど。彼、そういうところありそうなんで、飽き性というか」


 チャールズという皇太子と皇女の側近の、考えはしたが言ってはいけないと長年思い詰めていた言葉を家庭教師ははっきりと言ってのけた。ベッドから身を起こして、扉や窓のことも気にせずアリスは続ける。


「シティさん自身に教育がされていなさすぎて、自分でそんな考えを起こすとは思いませんけどねー。でも彼女にとって兄が世界の全てすぎるなって思うんですよ。テレスさんの世界はこのたった二ヶ月ですら広がったように見えます。あいつは裏世界に来たいと言っていましたけど、それで俺の話を面白がってるうちにシティさんはどんどん置いていかれますよ。彼女の意思がどうこうの前に、彼女に意思がないんですもん」


 チャールズは重々しく頷いた。全くその通りだ。


「男児が家を継ぐ決まりなら尚更、ケアとボディーガード要員のままだと、テレスさんが独り立ちしちゃった時にシティさんは存在意義を失いますよ。兵士になるにしたってもう少し学をつけないと。俺にそこまでやらせるつもりなら時間も報酬も足りないです、俺は錬金術担当として雇われてるんで」


 アリスは普段の調子で早口で意見を述べたが、表情はいくらか深刻そうだった。チャールズは軽く頭を抱えながら話を聞いていたが、息をついて立ち上がる。


「重要な課題です、実に。しかしあなたのご意見を伺えて良かった、教育担当の二人からの提案であれば両陛下も聞き入れてくださるやも……。まずは、今日のことを」

「ご機嫌ななめさんの扱いに何かいい案はあるんですかぁ」

「それは今から、あなたが考えるのです」

「あれれ? えーとじゃあ、全責任はチャールズさんが取るんでいいですね」

 チャールズはにっこりと頷いた。


───


 テレスの部屋に大きな破裂音が鳴り響いたのはそれから小一時間後だった。驚いたのなんの、ベッドの上で三回ほどでんぐり返しをしてからテレスは妹のスカートの中から顔を出した。


「何! なに!」

「窓が大変なの〜」


 コンスタンティナは呑気な声で言いながら窓を見ている。窓ガラスが割れて吹き飛んで開き、激しい風が吹き込んでなにやら轟々とした音が響いている。


「て、敵襲!」

「ごもっとも〜」


 これまた緩い声。テレスは怯えながらも慌てて窓に近づくと、縄梯子にぶら下がって水鉄砲を手にした家庭教師の姿があった。


「聞こえますかね殿下ぁ。そろそろ投降して出てきてくださいね。でないともう一発撃ちますよ」


 水鉄砲に取り付けられた拡声器越しに家庭教師は嘯く。ご丁寧にサングラスまでかけて、縄梯子の先の魔道気球の熱風に負けそうになりながらなんとか引っかかっている。


「なにそれ!」

「魔道気球ですって。なんかチャールズさんが扱えるっていうから」

「チャールズそうなの!?」

「私、実はかつては裏世界のオールマイティーパイロットだったもので」


 気球上からのその声は流石に地上へは届かない。チャールズはニヤニヤしながら操縦桿を握る。窓を破壊されるとは思っていなかったしここまでやったら流石に皇帝から謹慎を受けると覚悟したものの、一周回って楽しくなってしまったようだ。


「ともかく諦めて部屋から出なさい。さもないと〜」

「やだ!」

「射撃ィ!」


 テレスが拒絶するもアリスは真顔で水鉄砲を発射する。錬金式水鉄砲は水元素に火と風の元素を同時に混ぜ込み、着弾すると水蒸気が爆発的に拡散する代物だ。テレスの咄嗟の足踏みにより、彼の足元からエネルギーが地面を伝って土柱が突き出て防御壁となり建物への被害は免れた。熱の性質と乾の性質が拡散しながら土の中の冷の性質と水の冷が合わさり、残った湿の性質が急速に収縮して強い空間の乱れが発生する。位相凝集だ!と嬉しそうに叫ぶアリスは縄梯子の上で激しく揺さぶられて絡まりながら気絶した。


「ねえなにこれー!」


 テレスが半狂乱で叫ぶうちに、コンスタンティナが横から外へと飛び出す。兄と違って視力のいい彼女は縄梯子に引っかかったマフラーで首吊り状態のアリスの姿に気がついて、『初めて兄以外の生物の命を救うために、彼女自身の意思で』縄梯子に飛び移ったのだ。


「シティ!?」


 脅威の跳躍力と腕力で縄梯子にしがみついたコンスタンティナはアリスのマフラーを取り去ってから頭を引っ叩き眠りから起こそうとするが、叩く力が強すぎてうまくいかない。


「ダメだよ、危ないよ! 降りてきて!」

「コンスタンティナ殿下、それ以上は、それ以上はアリス様が再起不能になります」


 チャールズもこうなれば遊んでいる場合ではない。なんとか事態を留めようにも縄梯子に二人をぶら下げている状態では着陸することもできず、声をかけながら必死に魔法を駆使して態勢を維持している。コンスタンティナは頷いて、起きない青年を仕方なく肩に担ぐが、流石の怪力でも揺れる梯子の上では大人の男を担いだまま梯子を登るには至らない。一人ではどうしようもないと判断すると少女は地上で呆然としている兄を振り返った。


「テル、来てほしいの」

「ええ! 無理だよ」


 テレスは半ば悲鳴のような声を出す。火元素と風元素の魔法を融合した熱気球による大きな風の音と、今目の前で起きている訳のわからない事態に今にも泣きそうだ。


「足場を作って、ジャンプしたら届くの」

「怖いよ!」

「テルならできるの、アリス落ちて死んじゃうの」


 風が唸る激しい音の中でコンスタンティナはこれまで出したことのない音声で叫ぶ。それは困る、とテレスは鼻水を啜った。


「大丈夫、テルはすごーく、強いの」

「……僕は、すごーく、強いん、だ!」


 妹の励ましに涙を拭う。窓枠を超えて部屋から飛び出し、瓦礫まみれの庭にそろそろと歩き出る。強い魔法を放つときの首の後ろが燃えるような感覚も厭わず、少年は『初めて妹以外の生物の命を救うために、彼自身の意思で』地面に手をついた。


「来い! 大地を統べる王国の名の下に!」


 樹の形に地割れが広がる。十の光が漏れ出し、割れた岩盤や倒壊した建物の一部が組み上がりながら人型を為す。巨大な土人形はその頭に王を戴き、気球の風船部分を片手で掴み取った。

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