お嬢様のご冗談

平 遊

~それはちょっと、キビシイです!~

 夜明光留よあけみつるは私立の高校に通っている一年だ。自分ではごく普通の目立たない、可もなく不可もない生徒だと思っている。

 けれどもつい先日、ひょんなことから、同じ高校の二年生の、朝陽華恋あさひかれん下僕しもべとなった。

 華恋は光留の通う高校の理事長の姪で、理事長は姪である華恋を殊の外可愛がっているとのこと。頭脳も美貌も学内一と評判の華恋は、その容姿に見合う高飛車な性格で、華恋を少しでも傷つけた生徒はなんのかんのと理由を付けては退学させられている、との噂。でも実際に退学させられたという生徒の話は聞いた事がない。

 ただ、光留自身、理事長からの圧は確実に感じており、華恋との時間を楽しみながらも、退学の危機に戦々恐々としていたのだった。



『光留、明日のお昼はわたくしの所でわたくしの作ったお料理を食べなさい』


 そんなメッセージを華恋からもらった翌日。

 光留は昼休みになると、二年生の華恋の教室へと向かった。

 華恋の下僕という認識がかなり広まり定着しているらしく、今では二年生の教室の前を一年生の光留が一人で歩いていても、好意的に受け止められているが、それでも一年生の光留にとっては二年生の教室へ向かうにはまだそれなりに勇気がいる。

 だが、主人である華恋の呼び出しなのだ。下僕としては行かない訳にはいかない。


「光留、こちらへ来なさい」

「はい……えっ?」


 教室の中。

 華恋はなぜかエプロン姿で光留を待っていた。


「はい、下僕君しもべくんはここに座ってね」


 華恋の親友である日中愛美ひなかめぐみが光留を華恋の机の前に座らせる。


「お料理は出来立てが一番美味しいと言うでしょう?わたくし、頑張っている光留へのご褒美として、あなたにお料理を振舞う事にしたのよ。どう?嬉しい?」

「……はぁ、まぁ」

「ふふふっ」


 華恋の机は、両隣に他の机が付けられていて、横に長くなっていた。その机の上には、料理に使うと思われる様々な具材やボウルなどが並んでいる。


「とは言っても、ここに調理器具は持ち込めないでしょう?だから、簡単な和え物にしてみたのよ。光留、好きな具材を言ってみなさい。朝陽家特製のドレッシングで和えれば、どんな具材でも美味しくなるのよ」


 普通にお弁当を食べると思っていた光留は呆気に取られて華恋を見ていた。

 その華恋は、目をキラキラと輝かせて、光留の言葉を今や遅しと待っている。


「ご褒美って、俺そんなに何もしてないですけど……」

「わたくしからのご褒美が、気に入らないと言うの?」

「いえ、そういう訳では」

「では、遠慮はいらないわ。好きな具材をおっしゃい」


 菜箸とボウルを手に光留の言葉を待つ華恋の隣で、日中がニヤニヤと笑いながら言った。


「下僕君の胃袋ガッチリ掴むんだ!って、華恋張り切ってたもんねー」

「ちょっと、愛美っ!」

「だから、遠慮はいらないのよ、下僕君。なんでも好きなもの言って、華恋に胃袋掴ませてあげて」

「……はぁ」


 これ、理事長が見たら絶対にまた『とても主人と下僕の関係ではないように見えたが?』って言われるやつだよなぁ……どうか理事長がここに来ませんように!


 心の中でそう祈ると、光留は改めて華恋の机の上に並べられた具材に目をやった。


「じゃあ、エビと、アボカドと、わかめと」

「意外と健康的な具材ばかり選ぶのね」


 言いながら、華恋は光留の伝えた食材をボウルの中へと入れていく。


「ナッツ類も美味しそうですね」

「そうね」

「あと、卵と、トマトも」

「卵に、トマト、と。もういいかしら?」

「……そうですね」


 華恋は1つ1つの食材を大量にボウルに投入するため、ボウルの中には既に大量の具材が入っている。

 それらの上から、『朝陽家特製』というドレッシングをかけると、華恋は菜箸で具材を混ぜ始めた。

 ふわりと、食欲をそそる香りが、光留の鼻腔をくすぐる。


 腹減った……そう言えば、ガッツリ系の具材、入ってないかも?


 ボウルの中身を混ぜている華恋を気にしながらも、光留は再度、机の上に並べられた具材を確認する。

 そして。


「華恋さん、これも」

「ダメよそれは!」


 光留が指さした具材を見ると、華恋はピシリと光留を止めた。


「えっ?」

「だって、言うでしょ」

「は?」

「『トリあえず』って」

「……へっ?」


 光留は改めて、自分が指した具材を見る。それは、トリのささみ。

 一瞬華恋が何を言っているのかが理解できず、光留はポカンとしたまま華恋を見つめた。

 気のせいか、教室中も静まり返っている気がする。

 すると、華恋は徐々に顔を赤くしながら、小さな声で言った。


「だから、トリ、和えず、よ。トリは和えちゃダメなの」

「……あ~」


 ふたたび、教室の中が空気を取り戻したかのように、いつものざわめきで満たされる。


「も、もちろん、冗談よ!でも、お肉は別のドレッシングを掛けて食べた方が美味しいから、この中には入れないの」

「分かりました。でも……ふふっ」

「何がおかしいというの?」

「いや、華恋さんでも駄洒落とか、言うんですね」

「わたくしを揶揄うなんて、ほんとに生意気な下僕ね、あなたって!」


 顔を赤くしたまま、華恋は少し乱暴に光留の前にボウルを置く。


「できたわ」

「えっ?もしかしてこれ全部……」

「はい、ご飯と、それからトリ肉ね。トリ肉にはこのドレッシングを掛けてちょうだい」


 言いながら、華恋は光留の前に大盛のご飯と山盛りのトリ肉を置く。


「ちょっと華恋さんっ⁉俺、ひとりでこんなに全部食べられませんけどっ⁉」


 慌てる光留に、華恋が恨めし気な目を向ける。


「……わたくしの手料理が食べられないと言うの?」

「違いますって!そうじゃなくて、量の問題ですっ!」

「育ち盛りなのだから、それくらい食べられるでしょう?」

「どんだけ大食いだと思ってるんですかっ!こんなに食べられませんよっ!」

「では、わたしもいただこうか」


 突然聞こえて来た良く響く低い声に、光留はギクリとして振り返った。

 するとそこは理事長の姿が。


「伯父さまっ!来てくださったのね!」

「可愛い華恋からの呼び出しだからね。来ない訳には行かないよ」


 教室の中は少しだけざわついたものの、すぐに普段と変わらない空気に戻る。もしかしたら、理事長はちょくちょく華恋に教室に呼び出されているのではないかと、光留は思った。


 どんだけ伯父バカなんだ、理事長……


 と同時に、背筋にスッと寒気が走る。


 この状況……もしかしたらヤバいのでは⁉下僕がご主人様に手料理振舞って貰って、それを拒否しているように見えるこの状況って⁉


夜明光留よあけみつる君」

「は、はいっ!」

「キミが食べられる量をまず取りなさい。華恋、取り皿を貰えるかな?」

「はい、伯父さま」


 理事長経由で取り皿を受け取り、光留は緊張しながら慎重に料理を取り分ける。

 せっかく華恋が作ってくれた料理だ。少しでも零してしまったりしたら、大変な事になりかねない。

 それこそ、『即退学』かもしれないと、内心ヒヤヒヤしていた。


「確かにこれはひとりでは食べきれないだろうね。華恋、料理はちゃんと量を考えて作らないといけないよ?そうだ、キミ達も良かったらどうだろうか。具材も余っているようだし。好きな具材を選んで食べるといい」


 理事長の一言で、教室の中遠巻きに眺めていた華恋のクラスメイト達が一斉に集まって来る。


「さ、わたしたちは先にいただこうか、夜明光留君」

「はいっ」


 理事長に促され、光留は緊張しながらも華恋の作った和え物を口にした。

 とたん。

 口の中いっぱいに広がる美味しさに、思わず顔が綻ぶ。


「美味いっ!これめっちゃ美味しいです、華恋さんっ!」

「ほんとう?」

「はいっ!いくらでもイケそうです!あっ……もちろん、限度はありますけど」

「嬉しいわ、たくさんお食べなさい!」


 理事長の言葉にシュンとしていた華恋も、光留の言葉に笑顔を取り戻す。


「ところで夜明光留君」

「はいっ」


 料理を食べ終えたところで、理事長が立ち上がりながら言った。


「いつも華恋の我儘に付き合ってくれてありがとう」

「えっ?いや……えっ?」

「でももし、この先キミがもう下僕は無理だと思うことがあったなら」


 胸ポケットに手を入れ、理事長は名刺を一枚取り出すと、光留へと手渡す。


「いつでもわたしに相談しなさい」

「……はぁ」


 フッと微笑みを向けると、理事長は華恋に軽く手を上げて、教室を出て行った。


「光留、お代わりはどうかしら?」

「もうお腹いっぱいです」

「……わたくしの手料理はお代わりしたくなるほどは美味しくなかったということね」

「違いますっ!美味しかったって言ったじゃないですかっ!本当にお腹いっぱいなんですって!」


 恨めし気な目の華恋を宥めつつ、光留は名刺を制服のポケットにしまいながら、理事長の言葉の意味を考えていた。


 もし俺が華恋さんの下僕が無理だと思ったら、理事長に相談?

 相談して、どうなるんだ?

 まさか……この学校を退学になったあとの学校を紹介してくれるとか⁉

 いや、その前に俺、退学になんてなりたくないからっ!


「じゃあ、今度はもっともっとお腹を空かせて来なさいね」

「いくらお腹空かせてきたって、あんな量は絶対食べられませんってばっ!」


【終】

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