1DKに死体がひとつ

λμ

とりあえず

 坂本さかもとは寝巻き姿のままベッドに腰掛けるようにして膝の上で頬杖をつき、足元で異彩を放つを見つめていた。


 死体である。

 女の死体である。

 春色のワンピースにゆったりとしたジャケットをあわせ、少々の土埃と赤い水玉を大胆にあしらった、女の死体である。


 なぜか、こちらを向いている。


 顔は、まあまあ良い。生前の化粧のおかげか青ざめているであろう肌色もかろうじてファンデーションでカモフラージュできている。しっかりと見開かれた瞳と僅かに開いた唇がとてつもない圧を放っているが、これは仕方ない。死んでいるのだから。


 問題は、その女が誰か、中西には皆目検討がつかないことである。


「……落ち着け」


 中西は誰にいうでもなく――いや、自身に言い聞かせるべくいった。


「とりあえず、落ち着け。俺」


 朝に弱い中西にしては珍しく、頭痛と意識だけははっきりしていた。

 ――起き抜けに死体を見つけたからだが。

 

「とりあえず……とりあえず、だ」


 中西はとりあえずと口にした。さしあたって、ただちに、すぐに、まずは、


「……考えろ」


 何を、であろうか。

 なぜ死体が家にあるのか?

 うん、たぶん、それだ。

 

 これが海外だったら、まあなくもない。たぶん。土葬だからだ。

 たとえば、アメリカだったりしたら、深酒した夜についつい墓場で死体を掘り返して持ち帰ってくるということもあるかもしれない。

 

 しかし、ここは日本である。

 土葬できる地域は限られている。

 中西は見開かれた女の目と視線を交わし、いった。


「あのフランスだって火葬が増えてきているんだぞ?」


 なんだって君は、そんな生っぽい見た目でここにいるんだ。

 もしアメリカ生まれだったら、中西も死姦趣味の一つくらい持ち合わせていたとしても不思議ではない。

 

 だが、ここは日本で、中西は日本人である。

 仮に骨壺に偏愛を抱いていたとしても――いや、あるか。


「骨格は……あるな」


 そう口にしてから、中西はハッと気付いて寝癖だらけの頭を掻き回した。


「バカ野郎。落ち着け。ねぇよ。ない。焼いてんだぞ?」


 違う、そうじゃない。中西は自らの頬を張った。


「落ち着けって。変な方向にいってるぞ」


 深呼吸ディープ・ブレス――鼻腔を仄かな花の匂いと幽かな死臭がくすぐる。

 

「……そうか。とりあえず、身元確認か」

 

 中西はベッドから降り、女の死体の脇に膝をついた。花の匂いはこの子の香水だろうか。甘ったるいローズ系。いわゆるババコロ――オバサンないしババアがむせ返るほどつけていがちな香りである。柔軟剤の場合もあるが。


 とりあえず、中西は耳を女の口元に寄せた。一瞬、女が耳に齧り付いてくるような気がして身を離し、目を瞑った。


「呼吸なし」


 死んでいる。たぶん。

 薄目を開けてみてみると、女は相変わらず目をガン開きしてこちらをみていた。せめて白目を剥いていてくれたら、と思う。そうでなくても、せめてあっちを向いててくれよ、と中西は女の頬に手を伸ばす。


「――ヒェッ……!」


 あまりの冷たさに情けない声が漏れた。顔をしかめたまま強く押す。グリリ、と女の首の筋肉が軋むような感触があり、泣きたくなった。動く気配すらしない。さらに力を込めると、床を擦るような音がして、死体そのものが数ミリ滑った。


「あああああ無理!」


 言って、中西は死体から手を離した。指先にじっとりとした冷たさが残っていた。


「そうだ、そう、とりあえず、そうだ……あっち側に回ればいいんだ。そうだろ」


 中西は立ち上がり、女の逆側に回り込んだ。

 だが。


「……こっち向いたらどうすんだよぉ……」


 また情けない声が出た。変な想像が頭から離れない。

 とりあえず、振り向かれるよりはマシだからと元の位置に戻った。死体の周りをぐるぐると回っているなんて、なんて楽しくないワルツなのだろう。


 再び定位置に戻った中西は、片手で自らの鼻口を塞ぎ、もう片手を女の胸へと伸ばした。無論、触ってやろうとか、揉んでやろうとか、そんな不適切な理由ではない。


「心音……心音をたしかめるだけだから……」


 女の死体に言い訳しながら、中西は必死に腕を伸ばした。掌が女の死体に近づくのに反して、頭と上体は距離を取ろうと反っていく。


 ――届いた。冷たく、柔らかな布の感触の奥に、音のない胴体。指の腹が細かな砂の粒子をザラザラと撫でる。乾いた血。突起。小さな突起。中西は目をやった。指は胸のすぐ下、みぞおち辺りにあった。


「これ、なんだ……?」


 指を滑らせると、プツプツとした突起は真っ直ぐに――つまり胴体を横断するように伸びていた。


「えっと……そう、とりあえず……とりあえず、身元」


 死んでいると分かれば不気味でも恐ろしくはない。中西は息を荒くしながら女のジャケットを探った。ポケットには何もなし。内ポケットもなし。ワンピースのポケットはどうだろうと服の上からまさぐった、瞬間だ。


「うぉわ!?」


 と悲鳴をあげて中西は尻もちをついた。

 ポケットはちょうど腰のあたりにあった。そこを撫でた掌に、さっきと同じプツプツとした感触があったのだ。


「なに……? なに? なんなんだよ……」


 中西は両肩を抱き、背中を丸め、前後に揺れた。まるで揺りかごのように。あるいは、だるまのように――。


「と、とりあえ、ず……」


 中西はワンピースの腰のあたりをつまみ、上へと引っ張りはじめた。

 ゆっくり、ゆっくりと、めくりあげつつ呟いた。


「すいませんすいませんすいません……! ちょっと、たしかめるだけなんで……!失礼します……!」


 女の死体の足首が顕になっていく。青黒い肌がカーテン越しの陽光に晒される。

 そして、足首の、縫い痕も。

 女の足首は明らかに一度、切り離され、太く茶色い糸で継ぎ直されていた。

 中西は喉を鳴らし、一息に女の死体のワンピースをめくり上げた。

 

「……ウッ……!」


 と込み上げてくるものを口を押さえてこらえる。

 膝にも、太ももと骨盤の継ぎ目にも、下腹にも縫い痕があった。

 中西は浅い呼吸を繰り返しつつ、女の死体の腰のあたりに跨って、両腕を背中の下に回した。たしかめずにはいられなかった。


 死体は硬く、重い。

 低く唸りながら力を込めて引き起こす。ギシギシと軋みながら女の上体が持ち上がっていく。


 ――ただし、二段、三段と不自然に折れ曲がるようにして。


 中西は全身に汗を浮かしながら女の死体のワンピースをまくりあげ、ジャケットごと掴んで脱がしにかかった。腰を上げ、太ももを踏み、力任せに引っこ抜くようにして踏ん張った。


「ふぎぎぎぎ――ヅァッ!」


 抜けた。拍子に中西は尻もちをついた。女の死体はベッドのほうを見つめたまま床に座り、継ぎ目だらけの左腕を高々とげていた。右手はない。


 右手は、ない。


 中西は瞳を震わせながら視線を落とす。ジャケットの右袖に、そして――。


「――ヴッ!」


 ジャケットの袖から出ている手首とそこについた継ぎ目を見た途端、胃の奥から重たい感情が喉を駆け上がってきた。両手で口を押さえ、何度もえづきながら耐えていると、ふいに視界の端で何かが動いた。


 咄嗟に目をやると、女の上体が後ろ向きに倒れようとしていた。

 あ、と声を出す間もなかった。


 ドタン! と音を立てて女の上体が倒れた。

 ついで、ゴロン、ゴロンと音がした。首が取れていた。首は顎のすぐ下から千切れていて、ボールのように転がり、こちらを向いて止まった。


「――――ッッッッッッ!」


 中西は両手で口を塞いだまま廊下へ駆けだす。勢いよく扉を開いて、真っ赤なユニットバスに飛び込み、便器に顔を突っ込み嘔吐した。


 ――なんだよ! なんだ!? 誰だよアイツ!!


 腹の底から込み上げてくる疑問と感情がとめどなく口から溢れた。涙と鼻水を垂らしながら呼吸を続ける。ふと気付いた。便器が赤い。吐瀉物はともかく、便器の内側が赤く、両手をかけた便座がヌルヌルしている。


 中西はおそるおそる顔をあげた。赤い。真っ赤だ。ユニットバスが飛び散った血液で赤黒く汚れている。

 

 首を軋ませながら振り向くと、浴槽はもはや直視に耐えぬ惨状だった。


「お、俺、俺は……俺が……? 俺がやった……?」


 疑問が湧く。記憶にない。そんなはずがないとしか分からない。昨晩の記憶はない。忘れている。思い出せないのではなく、思い出したくないだけなのでは?


「……いや。待て。お、俺じゃない。そう。違う」


 仮に、ここで切断したとして、あんなふうに繋ぐ技術はない。道具もない。

 浴室を見渡してもそれらしきものはない。女の身分証も。

 処分したのだろうか?

 誰が? 

 俺が?


「違うって!」


 声が浴室に反響した。とりあえず。そう、


「とりあえず、身元……身元確認」


 うわ言のように呟きながら部屋に戻った中西は、愕然とした。


「え……あ……死体、は?」


 女の死体がなくなっていた。脱がした服だけはそのままに、死体だけがそこからなくなっていた。


「え、は……?」


 振り向き、中西は目を瞬いた。浴室の惨状は消えていた。壁中に撒き散らされた血が綺麗サッパリ消えていた。


「は……あ……?」


 パチン、と中西はこめかみを平手で打った。視界が揺れる。

 死体はない。服だけがある。ジャケットをもちあげてみるも下着はない。

 女の死体は下着姿のままどこにいったというのだろう。

 中西はジャケットとワンピースを手にしたまま、ベッドに腰を下ろした。

 

「とリあえず……とりあえず……とりあえず……とりあえず……」


 寝よう。夢だ。これはきっと夢なのだ。

 中西はジャケットとワンピースを床に落とし、布団に潜り込んだ。瞼を落とし、浅い呼吸を繰り返しながら唱え続ける。しだいに意識が薄らいで、


 とりアえヅ……とりアエず……トリあえず……


 そう繰り返す、女の声が聞こえた気がした。

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1DKに死体がひとつ λμ @ramdomyu

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