土砂降りの雨粒が古い石造りの店舗の窓硝子にあたって流れ落ち
葛西 秋
土砂降りの雨粒が古い石造りの店舗の窓硝子にあたって
土砂降りの雨粒が古い石造りの店舗の窓硝子にあたって流れ落ち、薄暗い店舗の中に複雑な光の紋様を描いている。
店の常連客が買い求めた明の時代の青い草花が描かれた茶碗を丁寧に梱包している若い女性店員の耳には窓ガラスを滑る雨水の音が聞こえていた。
茶碗を買った常連客は年老いた白髪の男性で、ゆっくりと店内を眺めている。もう何度も通っているこの客は存在自体がこの店の品物のような雰囲気だった。
常連客はふと、何かに気を取られたかのように足を止めた。彼の目は壁際に据えられたマホガニー製の飾り棚に向けられている。そこには世界中から集められた物が並べられていた。
木彫りの置物、青銅の金具、ガラス玉、土の器、ブリキでできた玩具。
客が手に取りやすい中段辺りには人気のオルゴールや小物入れが並べられている。だが入れ替わりが頻繁な中段とは違い、一番上の棚は何が置かれているのかすら見えない。
店の仕様を勝手知ったる常連客は、
「ちょっと失礼」
そういって売り場の片隅から脚立を持ち出した。
「気をつけて下さいね」
明朝の茶碗こそが神経の注ぎどころ、店員はちら、と常連客に目を向けただけで梱包作業を継続した。
脚立に上った常連客は、彼にとっても未だ未知の領域だったマホガニー製の飾り棚の最上段に手を伸ばした。ただでさえ薄暗い雨の日の、ただでさえ薄暗い古い石造りの店の中なので自分の指の先すら暗くて見えない。
そのそうっと伸ばした手の先に触れた物を白髪の常連客は引き寄せた。
それは陶器でできた小さな鳥の置物だった。
つぶらな瞳に小さな嘴、真っ白な体のわりに尾が長く作られている。
背中には穴があけられて中に何かを入れられるようになっていた。
「ちょっと君、これを試してみていいかね」
店員は彼の手元をじっとみて、
「お買い上げになりますか」
「鳴ったらね」
脚立から下りてぐるりと辺りを見回した常連客は、窓辺の植物に水をやるための如雨露を見つけた。
そうして手に持った小さな磁器の鳥の背中に如雨露の水を注意深く注ぎ込んだ。
「ふむ、大丈夫そうだ」
そうしてハンケチを出して鳥の尾の先を軽く拭うとそこに口をつけて軽く息を吹き込んだ。
Prima di tutto
Prima di tutto
古い石造りの店舗の中に、鋭く朗らかな鳥のさえずり声が響き渡った。
「なんですの、それ」
呆気にとられた店員が常連客に説明を求めた。
「これは水笛だ。この中に水を入れて尾の先から空気を吹き込むと今のように鳥の鳴き声のような音が出る」
Prima di tutto
Prima di tutto
Prima di tutto
常連客は何回か、続けて鳥の水笛を吹いた。
「きれいな音ですね。どこも悪くありません」
感心している店員だが、どうも常連客にその水笛の買取を勧めているようだ。
常連客もこの可憐な水笛に心を惹かれていたので、嫌な顔一つせず明朝の茶碗とともに買い求めることにした。
「ではお包みしましょう」
客の手から白くひんやりとした磁器の小鳥を受け取った店員は、それがいつもの癖で小鳥をひっくり返してその腹を見た。
「"Prima di tutto"と書いてあります。鳴き声のことかしら」
ほっ、ほっ、ほっ
常連客は不意に笑い始めた
「鳥だから、か」
「この文字の意味を御存じなのですか?」
「Prima di tuttoとは伊太利語で、とりあえず、という意味ですよ」
「トリあえず、……ですか」
釈然としない様子で店員は磁器の小鳥の水笛を丁寧に包んで明朝の茶碗と一緒に常連客に引き渡した。
Prima di tutto
Prima di tutto
磁器の小鳥が包まれた後も二人の耳には澄んだ水笛の音が残っていた。
「……とりあえず、もう少し雨が止むまでこちらでお待ちになりますか」
「そうだな、とりあえず待たせてもらおうか」
Prima di tutto
Prima di tutto
水笛の音色が太陽を求めたのか、雨雲は次第に薄くなりつつあった。雨が止むまでもう少し。常連客と店員はそれぞれ椅子に腰かけて、窓硝子にあたって流れ落ちる雨粒の模様を黙って眺めた。
土砂降りの雨粒が古い石造りの店舗の窓硝子にあたって流れ落ち 葛西 秋 @gonnozui0123
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