流れる星にかける願い

 油性ペンで描かれたような星マークは紛れもなく彼女が言っていた使い魔の証で、流星ちゃんは気まずそうに黙ってしまった。

「使い魔、スライムって言ってたじゃん!」

「うん、お迎え時は間違いなくスライムだったぽ。こう、手のひらサイズの」

「それがどうなったらあんな化け狐になるのよ!」

「多分、んだぽ」

「まさか……」

 拾い食いしたに思い当たる。スライムが何を食べるかなんて知らないけれど、もし……

 きっとそうだ。この中学校に流れ着いたスラちゃんは、呼び出されたこっくりさんを餌にここまで巨大化してしまったに違いない。

 こっくりさんは頭上で騒ぐ私たちに気が付いたようで、明確な敵意を込めて睨み上げた。よく見るとその足元には澱みのような何かがいくつも渦巻いている。

「あれ何……?」

「キラキラとどす黒さを足して二で割ったみたいな気持ち悪さを感じるっぽ。どれどれ……」

 二人して目を凝らし、ようやくそれがであることが分かった。

「学級会なくなれ」「数学の小田ウザい」「朝練ダルい」「小田先生を休職させてください」「学年一位取れますように」「没収された携帯戻ってこい」「校長先生の話長いから何とかして」「小田の依怙贔屓なくなりますように」……これは数多の思念だ。あらゆる生徒の願い事がとぐろを巻いている。まだ叶える前の――「こっくりさんに届いた生餌との引換券」とでもいうべきものだろう。

「あわわ、このままスラちゃんを放っておいたら、少なくとも数学科の小田先生が大変な目に遭うことは想像に難くないぽ」

「まあネチネチ言う先生ではあるけどね……」

 あれだけ窮屈になってしまった学校生活の元凶にまだこんな願いをかけるのか、と半ば呆れてしまう。その願いはいずれ生贄という形で自分に降りかかってくるかもしれないことも分かっていながら、浅ましいものだ。

 流星ちゃんも鼻息を荒くする。

「でもでも、こんなのは健康な中学生がする願い事なんかじゃないっぽ。本当に言いたいことがあるなら――自分で殴りに行くのが正義だぽ!」

 取り出した腕ほどもある太枝を振りかざし、力強く呪文を唱えた。

「星降る夜に願いをかけて――リュウゼツランの百条槍!!」

 数十年に一度しか咲かない蕾が、彼女の呼びかけに応じてめりめりと音を立てる。そして爆発と共に数えきれないほどの黄金の槍が生え、そのすべてが音より早く銀孤へ襲い掛かった。

 こっくりさんは堪らずたたらを踏んだように目を細めたが、流星ちゃんは更なる追撃の手を緩めない。

「続いて――トリカブトのポイズンガトリング砲! キョウチクトウマシンガン!」

 異なる枝を二本持ちし、立て続けに物騒な名の弾幕を張る。二丁の機関銃は唸りを上げ、濃紫と黄緑の弾丸は雨あられのように化物に降り注いだ。さながら怪獣大戦争のような絵面だ。

 校庭の砂煙の向こうでこっくりさんは悲鳴のような咆哮を上げ――しかし視界が開けるより前に煙の中から現れた拳によって、私たちは軽々と叩き落とされてしまった。

 少し抉れた校舎の残骸に落ちた流星ちゃんは、咄嗟に投げたホオズキのクッションのお陰で無事だった。私も地に落ちる前に空を舞って体勢を立て直すことができたから、この時ばかりは蛾で良かったと思った。

「どうしよう……手持ちの枝全部使っちゃったっぽ」

 空っぽの鞄をひっくり返し、そうしょんぼりする流星ちゃん。対して見上げるような銀毛の狐は激高し、足元の私たちを血走った目で見降ろしている。

 どうしよう、絶体絶命だ。

 何かないか、何か、形勢を覆せる何かは……。

「流星ちゃん、これだ――これ使って!」

 複眼で見回し、塵芥の陰に見つけたのは――折れてしまった、か弱い桜の枝だった。

 半壊した教室から落ちてきたであろうそれは、私が不注意で折ってしまったものに相違なくて、見覚えのある先端の蕾は本当なら開くことはなかったもので。

 でも違う。誰より花を愛し、花を操る魔法使いなら――流星ちゃんなら、きっと。

「誰も助けてくれない、私なんていなくてもいいクソみたいな学校だったけど――それでも、こんなぽっと出の奴に奪われていい場所なんかじゃないから!! お願い!!」

 私の願いに応えるように、魔法少女は双眸を閃かせて笑う。

 そして枝に駆け寄ってかすめ取り、ここ一番の魔法を唱えた。

「星降る夜に願いをかけて花は咲く――咲けよ咲け! 千本桜!!」

 声と共に桜は凄まじい光を放ち、呼応するように校庭の桜も輝きを放った。

 ひとつひとつの光は縒り集まり、こっくりさんを包みこんでいく。瞬間、銀狐の身体の至る場所から噴き出すように桜の木が生え始めた。化物の断末魔は掻き消され、見る見るうちに群生の大桜へと変貌していく。

 やがて月が傾く頃には満開の巨木が校舎に寄り添うように立ち、桜吹雪を散らしていた。


 再び静寂を取り戻し、流星ちゃんは座り込んで大きく息を吐いた。私は羽が重たくて足元の瓦礫に留った。何だか身体が空気に溶けだしていくように感じる。元凶がいなくなった今、蛾の身体が元に戻ろうとしているのかもしれない。

 流星ちゃんは私の頭を人差し指で撫でる。

「花乃ちゃんのおかげだぽ」

「……違うよ」

「なーんにも違わないよん」

「私は皆の前から逃げた卑怯者で」

「うん」

「今の今まで学校も皆も消し飛んじゃえばいいと思ってて」

「うんうん」

「だから……これは全部流星ちゃんの魔法のおかげで」

「うん。そうだけど違うよん」

 それまで静かに聞いていた流星ちゃんは、優しい口調で語りかける。

「あたしは自分で輝けないぽ。きらきらスティック用意しなきゃただの女の子なんだぽ。クラスの皆と顔合わせたくないとか怖いとか色々あったかもしれないけども、でもでも花乃ちゃんは学校のことを諦めないで何とかしたいと思ったからこそ、逃げないで一緒に戦ってくれたんだぽ? これからどうしようか踏ん切りが付かなかっただけで。あたしをきらめかすだけの「想い」を花乃ちゃんから受け取ったんだぽ。だから――流星ちゃんは花乃ちゃんの願いを叶える魔法使いになれたんだぽ」

 そんなこと、と口を開こうとしたけれど、もう意識は白い靄に包まれて声が出せなかった。微睡む意識の中で、流星ちゃんの声が遠くに感じる。

「だいじょーぶ。次に目が覚めたらやるべきことは自ずと見えてくるっぽ。あたしが魔法をかけなくたって――」

 最後まで聞こえなかったけれど、見上げた瞳はどんな星々よりも輝いていて、私は安心して意識を手放した。


 ――――

 ――


 白い光が差して目を覚ますと、そこは見慣れた校庭の隅だった。

 寝ぼけた目をこすり、手があることに驚いて飛び起きる。綺麗な校舎も白い腕もいつもの制服もすっかり元通りで、蛾になったのもすべて夢か何かを見ていたようだった。

 ただ目の前に聳え立つ桜の大樹は派手に花弁を散らしていて、昨夜あったことは嘘でも何でもないことが分かった。

 流星ちゃんは、と見回したけれどどこにもいない。代わりに、襟元に小さな手紙が差し込まれていた。慌てて開くと、特徴的な丸文字が綴られている。

『花乃ちゃんへ おはよ。起きたらいつの間にかベッドの上で、「昨日のあれは夢……?」っていうのやりたかったけど、花乃ちゃん重すぎて無理だったぽ。寝てる人間ってすんごい重いんだぽ。流星ちゃん杖より重いものは持てないんだぽ』

「そこは魔法でなんとかしてよ……」

 流星ちゃんらしい釈明に思わず笑ってしまう。手紙はもう少しだけ続きがあった。

『誰だってその気になれば魔法使いにだってなれちゃうんだぽ。これからも花乃ちゃんは花乃ちゃんのやり方できらめいてほしいんだぽ。流星ちゃんは新しい使い魔を探しに行くっぽ。じゃあね、あでゅー 流星ちゃんより』

 流星ちゃんの声で再生された文面を何度も反芻して、ふとあの時の言葉を思い出す。

 ――本当に言いたいことがあるなら――自分で殴りに行くのが正義だぽ!

「私は私のやり方で……ね」

 もう私は私を諦めない。私に消えろと言う奴がいるのなら、醜くても抗おうじゃないか。

 頬に付いた砂を雑に拭って立ち上がる。私の問題は私の手でけりをつけよう。

 とりあえず私を生贄に指名した奴らだ。あいつらをひとりずつこの手でぶん殴らないと気が済まない。


 昇ったばかりの陽の中でそう決めて、桜吹雪を背に私は教室へ力強く一歩を踏み出した。

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流星ちゃんはきらめかない 月見 夕 @tsukimi0518

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