ウスル・ジンスルの闘い
開戦から9日後の早朝、ディラルド公国軍に援軍の船が4隻到着した。看板には一際目立つ大きな影が見える。大きな体に豪快な髭を蓄えた彼は一言、「出迎えご苦労!」と叫んだ。その声はウスル自身の耳にも届いており、新たな援軍到着の報はジンスル領軍の士気を大きく損なわせるものだった。
船から降りた大男は部下に持たせていた金棒を受け取るとそのまま前線へと向かった。
前線ではディラルド公国軍がジンスル領兵と戦闘を繰り広げている。ジンスル領兵は貿易相手国や傭兵団など、多様な兵士体系を持っていた。その多岐にわたる戦闘の特色もディラルド公国軍が手こずる要因の一つであったのはいうまでもない。
前線に到着した大男に対し、部下は跪きながら敬礼する。
「ドラヌ将軍。お早いお付きで。」
ドラヌと呼ばれた大男は、部下に自分の帽子を預けると、「少し持っときな」と呟いて肩に担いできた金棒を思い切り振り上げた。関所の上から弓を放つジンスル領軍に狙いを定めると、投擲された金棒は回転しながら関所の弓隊を薙ぎ払った。
関所の内部から悲鳴が響く。
ディラルド公国軍がそれに呼応するかのように、なだれ込む。大勢が決した瞬間であった。
この瞬間、ジンスル領軍が持つ地の利、多様な戦術、全ての優位性を正面から破壊する男が参戦したのだ。
ドラヌは落とした関に見向きもせずに隣の関所へと向かっていた。
なんなく二つ目の関を落とし、次の関所に向かおうとするドラヌはある違和感を覚えた。関所内のジンスル領兵の少なさ。全ての関所を陥落したことを知らせる伝令がドラヌの下へ届くまで時間は掛からなかった。
ウスルは突然のドラヌという脅威に対して、全軍の撤退を命令。最終防衛地点である街の中央区画まで兵を退避させた。
開戦から10日目、すでにジンスル領の戦いは最終局面を迎えていた。
攻め込むディラルド公国軍はジンスル領兵を包囲するだけで動かず、ドラヌという圧倒的な英雄が最前線へ到着するのを待っていた。
前線にドラヌが到着すると一際大きな歓声が上がる。手には大きな手斧を持つドラヌに兵士たちが道を開けた瞬間、門が開門した。
門外に出たのはヴィドゥ・ビギ国ジンスル領主ウスル・ジンスル。領主とは思えないほどに無骨な鎧に身を包み、その剣の鞘は青黒く光っている。
「ディラルド公国軍将軍、ドラヌ殿だと見受ける。開城の相談に参った。二人で話がしたい!」
そう言ってウスルは剣をその場に置きディラルド公国軍が群がるその輪の中へと進む。
ドラヌは手斧を持ったまま、ウスルの下へと歩み寄る。二人の間合いが交わる寸前のところでドラヌは立ち止まり、部下に「おい。その剣をよこせ」と指示した。
部下からウスルの剣を受け取ると、それを二人の間に落として見せた。
「拾いな。話はそれからさ。」
「かたじけない」
ウスルはそう呟くとなんなく剣を拾い上げ、「これで対等な話合いができる」と凄んだ。
ドラヌは一瞬黙って、すぐに天を見上げて大笑いした。
「さすが、ウスル・ジンスルだ。俺も傭兵上がりの将軍、貴殿とも戦場で一度だけお会いしている。すっかり名君に成り下がったと思っていたが、やはり武人に違いないか」
「なに、もはやおいぼれよ。最近は剣より筆を持つことの方が多いのでね。」
「それで、一人でぬけぬけと出てきてどういうつもりだ?」
「貴国の目的はこのジンスル領を貿易の中心としてその手中に収めることで間違いないな。そのためにはこの国をできるだけ傷つけずに、占領する必要があるはずだ。」
「降伏するというのだな。」
「ああ、そして現在ジンスル領にいる兵士を含めた領民の助命を約束してほしい。」
「それは出来ない。」
「なぜだ?急な侵攻を始めたのは貴国であろう?ここで領民の助命が約束されないのならば我々は徹底的に抗戦せざるを得ない。時間が掛かれば各国による貴国の包囲網は厳しくなるぞ。それに、領民の助命があれば、対外的な印象も良いだろう。」
「それじゃあダメなんだよ。俺は暴れたりないんだ」
「貴殿ならそう言うと思った。やはり噂通りの方だ。」
そういうと、ウスルは剣を鞘から抜いた。
騒然とするディラルド公国軍を制止させ、ドラヌは言う。
「俺に勝てたら領民の命は保証しよう。レイギ!俺の剣を!」
そう言うとドラヌは手斧を思い切り地面に振り投げた。レイギと呼ばれた細身の男性から剣を受け取ると、「俺が死んだら領民とこいつの命を助けて撤退だ。いいな?」と指示を出した。
二人は互いに背を向けて距離をとる。
「ウスル殿!お互い、騎士道ってやつを学んでよかったな。傭兵の戦いでは、相手に背など向けれねえ」
「ドラヌ殿。それは無粋であろう。」
向き直った二人は剣を構えたまま動かない。誰もが息を呑んだ次の瞬間。二つの影は同時に地面を蹴った。
打ち合いは長くは続かなかった。戰場での一人の戦士としての強さとはすなわち膂力の強さである。薙ぎ払い、押し潰す。ドラヌは戦場に置ける圧倒的な強さだけで一国の将軍の座を得た。対してウスルの剣はより繊細でより美しいものだった。戦場に置いて、彼の剣は誰よりも早く、正確であった。相対する敵の僅かな体の動きを読み、最速の後の先が彼の剣技であった。
しかし、ウスルは戦場から離れすぎた。元来より賢人であったウスルはこの戦いでより多くの命を救うには圧倒的なカリスマ性で戦後処理に温情を与えられるドラヌに依るしかないと気づいていた。
ドラヌに喰らいつくことで、武人としてのドラヌの記憶に残る強敵として彼の温情を受けることが目的になっていたのだ。いわば、強者に媚びへつらう剣であった。断じて、勝利を目指す剣技ではなく。
遂にドラヌの剣がウスルを捉えた。腹部を貫通した剣はたった今登ったばかりの朝日に照らされている。
ウスルの体から力が抜けていく。最後の力を振り絞り剣をドラヌの鎧へと立てるが、そのまま貫く力など彼には残っていなかった。
ウスル・ジンスル戦死の瞬間である。
もう動かないウスルの体をゆっくりと地面へ下ろし、「貴殿の思い通りになるのは釈だが」と呟いた。
ドラヌは門の前まで向かうと、
「開門せよ!ウスル・ジンスル卿との約定通り、現在の領内にいる全ての民への恩赦を認めよう!速やかに開門されたし!」
こうして、ジンスル領の戦いはわずか10日で終戦を迎えた。そして、ウスル・ジンスルという稀有な才を持つ男も、歴史の小さな1ページに埋もれることとなった。
ディナ戦記 ニドキ @meguminoki
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