ジンスル領の戦い
押し寄せるディラルド公国軍の兵士を見ながらウスルは一瞬子供たちの無事を考えた。
本当に一瞬だけ、二人の愛する我が子の成長を思い返しながら彼らの父親を思い出す。十数年前、ヴィドゥ・ビギ国で起きたクーデター。ウスルは反乱軍に属し、この国の生まれ変わりを目にした。クーデター前は軍人としてこの国の治安維持に奔走した。前国王は人格者であり、民への愛情に溢れる君主であった。しかし、聖人とも言える人格者でありながら前王は政治の才に恵まれなかった。隣国や大国に不平等な貿易を迫られる日々。当然国内は二分化された。反乱軍側に立ったのは前王の体制での文官達、反対に兵士長を含めた軍部の多くは前王側に付いた。結果は反乱軍の勝利。クーデターを主導した大臣アディシャがそのまま新王となる。軍事力で劣る反乱軍の勝利には各国からの共通奴隷達で構成された傭兵団の存在が大きかった。このことがヴィドゥ・ビギ国での奴隷の社会的地位につながる。ウスルは王都に初めて進軍した部隊の長だった。前王と兵士長とも面識があり、生前の彼らに子供たちを託されて、今日まで育ててきた。ウスルはあのクーデターを起こした一人として責任を感じていた。この国を強大な外敵が攻めてきた時に絶対に逃げてはいけないという責任が。
「みんな!我々の役割は耐えることだ!直に王都から援軍が来るはずだ!」
兵士の士気に気遣いながら、ウスルは側近に指示を飛ばし続けていた。戦況はなかなか好転しない。攻めの手を緩めないディラルド公国軍をなんとか抑えているという状況だった。
そもそもジンスル領側の兵力はその多くが奴隷からなる傭兵団、商人や使節の私兵からなっており、ウスルが直接動かせる正式なジンスル領兵は全体の5割程度でしかなかった。にも関わらず、ウスルの人徳やかねてからの防衛戦闘訓練によってジンスル領軍は善戦していた。ディラルド公国の上陸後、速やかに閉じられた各関所で辛うじて侵攻を食い止めることができている。
この状況は奇跡といってもいい。幸運なことに港を壊滅させた新砲台は陸上戦で用いられなかった。実際、関に押し寄せるディラルド公国軍を何度も撃退し、未だ各関所陥落の報は届いていなかった。
しかし、ウスルには大きな懸念があった。それは、防衛の要である主要関所のその全てをウスルの手勢が防衛しているわけではないことだった。敵は港を攻略した際、砲撃後、間髪入れずに上陸した。その結果、新型砲台による優位を失ったのだ。無策であろうはずがない。恐らくは国内にすでに私兵として兵を忍ばせている可能性がある。すでに内偵の可能性は狼煙で全ジンスル領軍に伝わっている。迅速な情報の共有はウスル配下の兵の信用を高め、各使節団と私兵達が分担して関所を防衛する現状を生み出した。だが、それは戦力を集中させることが難しく、ディラルド公国軍が軍を集めた時の対応策に乏しかった。
ウスルはジンスル領兵を緩衝材として、部隊の再編成を急いでいた。ジンスル領兵を都市中央のより重要な地点の防衛にあたらせ、周辺をより信用できる同盟国や古くからの関係で信頼を置ける傭兵団で固めていた。部隊の移動の際には確実にジンスル領兵が移動を監視する見事な手腕であった。そして、それは出来うる限り内密に行われていた。ウスルは若い頃、軍人として名を馳せたが、真の才能はその政治力にあった。此度の戦いにおいても、より内側に配置された兵はウスルからの信頼を受け高い士気を抱き、外側に配置された兵はウスルからの不信に気づくことはなかった。
ウスルは部隊の再編が完了すれば、ジンスル領は数ヶ月持つと踏んでいた。都市部はなだらかな丘となっており。高台から眼下の戦況がよく見える。ディラルド公国軍が兵を集めた地点に的確な援軍を向かわせ、戦線をなんとか維持していた。同時にディラルド公国と手を組んでいる可能性のあるいくつかの私兵の目星を立てていた。
戦線が崩壊しないように援軍を送りながら、領内での裏切りにも備える。また、それに並行しながら民を国外に逃すことにも尽力していた。ウスルは見事な綱渡りを演じて見せていた。前線の部隊はウスルから確実な援軍が送られる安堵を与えられ、友好国や信頼のおける傭兵団は物資の運搬や援軍を引き受けていた。部隊の主力であるジンスル領兵は民の避難や治安維持に置いて秀でた活躍を見せた。
しかし、事態は急変する。3ヶ所の関所が突如開門したのだ。ディラルド公国軍がなだれ込む。周囲を包囲されたいくつかの私兵軍は壊滅し、傭兵団は寝返らざるを得なかった。
一気に前線を押し込まれたジンスル領軍は一気に窮地に陥った。特に大きいのは兵士たちの士気低下である。眼下の街に家族が取り残されている兵士も少なくはなかった。それは友好国の私兵団も同様であった。
そして、開戦から9日目、ついに援軍が到着する。ディラルド公国軍が陣を張る港へと。
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