終戦後夜

「ディナ!早く走れ!」

今日は朝から動きっぱなしだ。どうしてミセラはまだ走れるのだろう。さっき転んだせいでポケットに入れておいたトマトがぐちゃぐちゃだ。ごめんね八百屋のおばさん。もらった野菜ほとんど捨てちゃった。今日は朝からウスルさんのおつかいをして、それから午後はサーヴェさんに勉強を見てもらうはずだった。その合間に昨日買った本を読みながら、ミセラが庭で剣を振るのを書斎からのんびり覗いたりして。そんな普通の日だったはずなのに…。八百屋からの帰り道、港に見たことない数隻の船を見た。金色の装飾が下品な船。乗っているのは重装兵たち。彼らもその多くが荘厳な装飾に身を包まれていた。余りにも堂々とした寄港に街を守護する兵士たちの多くがよくある来賓国の船だと思っていたに違いない。あるいは、およそ戦闘向きとは思えない装飾すら私たちにそう思わせるための策だったのか。なんにせよ彼らは、法螺貝の合図と共に港に砲撃してきた。いとも簡単に港は崩壊させたのだ。あれは相当に訓練されている兵士たちだった。通常、砲弾は連射できない。砲弾の装填、砲手による照準設定、そして一度発射した砲身を冷やす時間が必要だからだ。しかし、彼らの船は驚くべきペースで砲弾を連射し、倍以上の数のこの国の軍艦を沈めてみせた。それだけじゃなく、港を壊滅させた後、間髪入れず兵士たちが上陸して街に軍を進めていた。本当に信じられない。砲撃でぐちゃぐちゃにした場所だぞ。並の統率では進軍すらままならないはずだ。そもそも不発弾が怖くないのだろうか。自国の技術に自信を持っているからこそできる高速の侵攻だった。この国はおそらく負ける。兵士の統率力も技術力も何もかもあちらが優っている。とにかく早くウスルさんに伝えないと。兵士はまっすぐ街に向かっていた。街の郊外にあるウスルさんの屋敷に彼らがたどり着くにはもう少し時間がかかるはずだ。

「ウスル様の所の奴隷か!ウスル邸に行くのなら乗れ!」

突然、後ろから声がした。街の中央からウスルさんへの早馬だろう。

「かたじけない!」

駆け抜ける馬に辛うじて掴まり、私たちは兵士と共にウスルさんの屋敷に急いだ。

屋敷に着くと、ウスルさんが鎧に身を包んでいる最中だった。「数年ぶりに着る鎧だろう、似合っているかい」などとサーヴェさんに軽口をいうウスルさんであったが、その表情は固かった。「街はどうだった」というウスルさんの問いに私たちは見たことをできるだけ正確に答えた。短時間で港が制圧されたこと。敵兵はよく訓練されており、敵の技術はこちらより上だと思われること。敵兵はすぐに街を占領しに行ったこと。

「うん、ありがとう。この屋敷に兵を送る前に街の方から制圧したということはこの国の内情をよく知っている可能性があるね。この屋敷にはわずかな兵しかいないこととかね。それにこの街の港は同盟国からの援軍を受け入れる港でもあるんだ。そこが占領されたとなるとどうも分が悪いね」

「ウスルさんはどうするの」

「私は街に向かって防衛を指揮するよ。間に合えば良いんだけど、上手くいけば港方面で敵を食い止められるはずだ。王都への伝令はサーヴェに任せるよ。」

サーヴェさんに伝令内容を伝えるとウスルさんは私たちに向き直った。

「二人はこの街から、いやこの国から逃げて欲しい」

唖然とする私たちにウスルさんはいつもの冷静さで話す。

「恐らく敵国はディラルド公国だと思う。近年、新兵器を用いた勢力拡大を進めている国だ。彼らは港に無差別に砲撃したのは間違いないかい?この国は貿易の中心地だ当然港には各国の商人や使節が滞在している。それこそがこの国の抑止力だったんだ。奴隷で溢れるこの国の兵士は国内の治安維持には長けているが対外的な戦争の経験はほとんどない。この国は落とそうと思えばいつでも落ちる国だったんだ。多数の国を巻き込んだ大戦を起こす覚悟さえあればね。」

現状が未だに理解できない。さっきまで平和な午前中だったのに、世界大戦…?

理解が追いつかない。追いつくはずがない。

「二人はサーヴェについていって王都へ向かってくれ。乗馬の訓練は欠かしてないね?その頃にはディラルド公国に加担する国が動き出すはずだ。情勢を見ながら大国を目指して逃れてくれ。サーヴェ、二人を頼むよ。大事な子供達だ。」

部屋を出て行こうとするウスルさんの袖をミセラが掴んで言った

「この国は勝てないんだろ?それならウスルさんは、父さんはどうなるんだよ。」

「ウスル・ジンスルは逃げないさ。」

それだけ言って部屋から出ていこうとしたウスルさんは扉の前で立ち止まって再び私たちに向かった。

「これを持っていてくれミセラ。ジンスル家の当主に受け継ぐペンダントだ。といっても私が初代なのだが」

そういって部屋を出ていったウスルさんが私たちに再び向き合うことはなかった。


ヴィドゥ・ビギ国ジンスル領主ウスル・ジンスルの戦死が王都に伝えられたのはジンスル領がわずか10日で壊滅してから4日後、開戦から2週間たたずしてのことだった。


私たちはその報を王都で聞いた。翌日には王都を立ち、隣国を経由して砂漠の大国サティランを目指すという中でのことだった。


意外にもミセラは涙を流さなかった。ミセラの目には私たちが初めて見る怒りの感情が宿っていた。反対にサーヴェさんは大泣きしていた。元々サーヴェさんは私たちを監視するウスルさんを監視するためにジンスル領へと派遣されていたらしい。サーヴェさんは王都に残ることを国王から提案されたが、それを却下しウスルさんの最後の命である私たちの護衛を引き受けることを進言した。


ウスルさんがサーヴェさんに託した伝令の中には私たちの身柄をディラルド公国に引き渡す危険性も含まれていた。ウスルさんの先見の明はやはり素晴らしかった。ディラルド公国の動きに反応して隣国との戦闘を開始する国が複数現れた。ヴィドゥ・ビギ国の王都は山に囲まれており、貿易の中心であるジンスル領を失った後、外交力を急速に落としていくことになる。

世界の均衡はもはや破られた。砂漠の雄サティランは比較的安定した治世と国力を持ち、不安定な情勢下でも一定の庇護を期待できる。サーヴェさんはウスルさんからの指示通り、私たちをサティランまで安全に到着させることを約束してくれた。


夜明け前、天然の要塞から見える星々は美しいものだった。先の戦いで散った兵士も天に昇りながらその美しさに息を呑んだに違いない。

「出立しましょう」

サーヴェさんが馬を走らせる。それに私たちも続く。僅かな金と食糧、そしてミセラの首にはジンスル家当主のペンダント。何を覚悟すれば良いのかすらわからないまま私たちは生まれて初めてこの国を出る。後に思う。あれは私たちにとっての開戦前夜だったのだと。




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