夜に游ぐ
若生竜夜
夜に游ぐ
ああかわいそうに……あんなに
夜に
はじめて出会った一人はアパートのお隣さん。わたしと
そうやって暮らしはじめて数ヶ月。だんだんと汗ばむようになってきた時期の、月のないある夜でした。時計の針も天辺を遠く過ぎて、街灯のうす暗いあかりだけが足下の頼りでした。わたしは会社に忘れた家の
だけどお隣さんの目が、わたしに向くことはありませんでした。ふわふわとまるで現実を知らない夢見る人の足取りで……虹色の大きな尾が、長い
恐ろしい、と思うべきだったのでしょうね。その場から逃げ出して、自分の部屋に逃げ込んで、
ぽかりと空いた暗い穴に浮かびあがるむき出しの骨の白さ、脈打つ心臓の赤、ぬらぬらと尾や長い
魚の尾は、ひんやりとした上等なうすいシルクの感触で、うっとりするそれを指に感じたとたん、お隣さんの心臓ははじけて、彼女はサアッ……と風に散る霞と崩れて夜にとけてしまいました。跡形もなく、骨も身も、身につけていた衣服さえも、すべて夜にとけてしまって。ただ魚が…… 虹色の大きな魚だけが、なめらかに動く尾を、長くうつくしい
その日からです、わたしが夜にさまようようになったのは。
はじめのうちはただ闇雲に夜中に外を歩き回るだけ。とりとめのない探し方で、体の内に抱えた空洞に虹色の魚を
息苦しい夏が
それからは、前よりもずっと探すのが楽になりました。たとえば赤い信号のチラチラと点滅する交差点で。オフィスビルの鏡に似た大きなガラスドアの前で。街灯の陰になる高架下の公園とか、大通りをまたぎ住宅街へ向かう歩道橋のだらだらとした階段でも。たいして夜をさまよわなくても、一度に二人三人とまとめて見つかる日すらあります。触れたどの人たちの魚も、うっとりする感触で……わたしの目の前で、空へと優雅に
もしかすると、わたしは彼らの
こうしてわたしがうっとりする夜を何百となく繰り返すうちに、いつのまにか十四、五年あまりが過ぎてゆきました。
ようすがすこし変わったのは、この春ごろ。桜のつぼみがそろそろ開こうかと、根にたくわえた
見上げた夜空に魚を見つけるとき、大抵の場合、彼らはただ一匹でゆうゆうと
ずいぶんと歳月をかけたとはいえ、わたしが空へと放った魚は、せいぜいがところ数千程度……どんなに多く見積もってみても、万の数には届かないはずです。まさか空で増えたのでしょうか。あるいは、この町には、わたしのほかにも魚に触れて夜の空へと放ってまわる人間が、案外たくさん隠れているのでしょうか。わたし以外にもあの魚たちに触れ、うつくしいと
影絵となった高いビルの傍らを、街灯のあかりをうけた
ああ、ごめんなさい。追いかけて、初めての方に、ずいぶんと長く語ってしまいました。今夜はもう桜はすっかり盛りを終えてあとは風に散るばかりです。けれど魚たちの
そうですね、わたしの中にも虹色の魚が
夜に游ぐ 若生竜夜 @kusfune
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