その手の主は

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第1話


「いい? 私がイイよって言うまで、離さないで」


 素朴で可愛い人に手を引かれて、僕は頷いた。

 知らない女の人だ。でも、不安や怪しさは無い。代わりに愛らしい動物のような愛嬌はたくさんある。


 ガサガサと暗くて深い茂みをかき分けながら、なんとか進む。星も月も見えない知らない道だけど、怖くはない。

 その手のぬくもりに安心できたから。


「まったく、こんなところまで入り込むなんて運が悪い子ね」

「そうなの?」


「普通は来れない場所なのよ。偶々私が見つけなかったら、あなたはそのうち喰われてたかも」

「怖いね。熊に食べられちゃったら」


「喰われるのは山にだけどね」

「どういう事?」

「気にしないで。ああ、そろそろ境界が近いから目を瞑っておいて。決して開けてはダメよ」

「それじゃ前が見えないよ」

「私の手を離さなければ大丈夫」


 言われたとおりに瞑ると、目の前が真っ暗になった。

 足は止まっていない。どこへ行くかもわからないけれど、ゆっくりゆっくり動いている。


「さあ頑張れ頑張れ、男の子でしょ」

「うん、頑張るよ男の子だからね」

「うんうん、いい子いい子」


 ふっ、と。

 周りから音が消えた気がした。

 茂みをかきわける音も、土や落ち葉を踏む音も、生き物の音もしない。


 けど、不思議と手を離さないでいてくれる女の人の声だけは聞こえる。

 だから足は止めなかった。


「お父さんとお母さんは怒ってるかな?」

「どうだろう。悲しんでいるかもね」


「どうして? 入っちゃいけない山に遊びに行ったのは僕なのに」

「だとしても、子供が帰ってこなかったら親は悲しいものよ。少なくとも私はそういう人達を知っているわ」


「そうなの?」

「ええ。だから、私は出来る限りあなたのような子を帰すようにしているの。山に喰われた後、大勢に荒らされるのも嫌だしね」

「怖いね」

「そう感じるなら、おいたは程々にしておきな。さあ、そろそろだよ」


 目を瞑っていて暗いはずなのに、白い光が向こうに見えた。


「さあ、あとは光に向かって」

「手を、離さないとダメ? 僕、もう少しだけ離さないでいたいよ」

「仕方ないね。イイよ、もう少しだけ離さないでいてあげる。その代わり、今度おあげを頂戴」


 なんでおあげ? と思った矢先。

 強くて真っ白なものが、僕らを呑み込んだ。



 ◇ ◇ ◇


「おーーい、行方知れずの子が見つかったぞーーーー!!」


 響く野太い声。

 身体は上手く動かせない。冷たい川の泥塗れだからだろうか。


 でも、掌だけは温かくて。

 そこには前足を乗せているお狐様が一匹居た。


「……おあげは、今度ウチに取りに来て」


 かろうじて笑みを浮かべると、お狐様はちょっと嬉しそうに頷いてから姿を消した。

 

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