宇宙人を求めて
海沈生物
第1話
まだ小学生三年生の頃の話だ。私のクラスには、夕凪という少し変わった女の子がいた。彼女はいつも周囲の人間に冷たい態度ばかり取っていた。
東に「将来はお姫様になりたい」と夢見るクラスメイトがいれば、行って「イギリス王家にでも嫁ぐんか? あんたの顔では無理やろ」と嘲笑っていた。
西に「今年はサンタさん来るかな」と期待するクラスメイトがいれば、行って「サンタって両親だし、家にお金あれば来るんちゃうか?」と欠伸をしながら言った。
適当に嘘を付いて「良いよねー」と相槌を打っておけば平和に終わる所を、彼女は決して自分の意見を曲げなかったのである。今よりもっと内気だった当時の私は、そんな彼女の自我の強さを羨ましく感じていた。
私にも、彼女のように他人から何を言われても「は? 知らん」と言えるような精神性があったのなら。きっと、毎日のように「女子の人間関係、ダルすぎる……」と溜息をつく日々から解放されるのではないか。
そんなことを毎日のように考えていたある日、ついに転機が訪れた。
いつものように教室でクラスの女子と他愛のない話をしていると、私の元に夕凪がやってきた。まるでテレビの向こう側にいるタレントにでも会ったように「あ……あ……」と声にならない声をあげていると、私の額に彼女の人差し指が向けられた。
「あんた、宇宙人の存在を信じているんやって? バカやなぁ!」
なぜ、そこで「宇宙人」の話が出てきたのか分からない。その話は以前、彼女のいない下校中、信頼できると思っていたクラスメイトに教えた秘密だった。誰にも聞かれていないはずの秘密が、どうして漏れているのか。
まさか、と思い教えた相手の方を睨み付ける。彼女はまるで「私の視線など一ミリも感じていないが?」という顔をして、他のクラスメイトと話していた。ただ、時々こちらの方を見ては「あはは」「ふふふ」と小馬鹿にするような笑みを浮かべている。女子のこういう陰湿な所がやはり苦手だな、と再認識した。私は溜息をつく。
「何を溜息ついてるんや。宇宙人は実在せーへんのや。そんないーひんものを”いる”と信じることに意味はないやろ。バカなんか?」
いつものように自慢げに持論を宣う彼女の姿に、少し気圧された。そうだ。彼女の言う通り、宇宙人なんて実在するわけがない。それを信じることに意味はない。もう面倒だし、それでいいのではないか。
けれど、宇宙人を信じる信じないは別にして、夕凪から「バカ」「バカ」と罵られることが癪に障った。つまり、単純にイラッと来たのである。私は感情に任せて背の高い彼女の胸ぐらを掴むと、グイッと自分の顔の方に引っ張る。
「宇宙人は実在するよ。だって、いた方が面白いでしょ?」
言ってから数秒で「何調子こいてんだ、自分」と死にたい気持ちで顔が真っ赤になった。いつもは荒れ狂う人間関係の中で「平和に暮らしたい」と思っている癖に、なんで露骨に浮いてしまうような発言をしてしまったのか。ただ、後悔しても遅い。言ってしまったことは取り消すことができないのである。
「どうにでもなれ」と私は精一杯の威圧的な笑みを夕凪に向けてやった。すると、どうしたことだろう。いつもは勝気で決して怯み腰にならない彼女が、顔を真っ赤にして、私の手を振り払い、そそくさと教室から逃げ出していったのである。
普段の彼女なら「はぁ? 何言ってねん」と呆れた目を向けて来るだろうに、珍しい態度を取ったのに困惑した。
そうして夕凪を論破した(していない)私は、クラスの皆から尊敬の眼差しを貰うことになった。「愛美ちゃん、宇宙人を信じているのかっこいいー!」「愛美ちゃん、”しんねん”があって良いと思う!」とめちゃくちゃに持て囃された。
その結果として、調子に乗りやすい私は「宇宙人」というものにアイデンティティーを感じるようになった。宇宙人と話したい、存在を証明したい、と思うようになったのである。
そんな宇宙人への執着は、大学を卒業して一般企業に就職してもなお続いた。
休日になると、朝から晩までお手製の通信装置から宇宙にメッセージを送り、宇宙人とコンタクトを取ることができないかと努めた。周囲の人々は、黙々と宇宙人とコンタクトを取ろうとする私のことを「変人」だの「お前が宇宙人」だのと言って笑った。だが、私は気にしなかった。きっと、宇宙人の存在を証明することができたら、いつかのように彼らも一転して私に称賛の声を向けてくれるのだから。
けれど、宇宙人とのコンタクトを試み続けて数年が経過した頃のことだ。
特に変わることなく、宇宙人へメッセージを送り続けていた。だが、この頃の私は少し疲弊し始めていた。来る日も来る日も宇宙人からメッセージは来ない。もはや、宇宙人は存在しないのではないか。私の信じていたものは無駄なのではないか。これはただの現実逃避の行為でしかなく、資格勉強や旅行にお金を投じるべきなのではないか。そんな漠然とした不安に、時折襲われていた。
そんな時、ついに宇宙人からの返信がやってきた。私はまるでロケットの打ち上げにでも成功した時のように「おおおおおおおおおお!」とけたたましい声をあげた。隣の部屋から壁ドンされた。落ち込んだ。だがすぐに気持ちを切り替えると、早速翻訳機を使い、どのような返信を送ってくれたのか確認することにした。
『ハナサナイデ』
私は首を傾げた。私が送ったメッセージは『こんにちは』という単純なものであった。なので、向こうがこちらの言葉の意を汲み取ってくれているのなら『こんにちは』と挨拶がかえってくるものだと思っていた。それなのに思っていた返事がかえって来ないということは、翻訳機が壊れているのだろうか。
ポンポンと翻訳機を叩いてやったが、別に突然画面に表示された翻訳が変わることはない。スクリーンには『ハナサナイデ』という言葉が映し出されるばかりである。これはもしかすると、質問が悪いのではないか。手を変え品を変え『あなたの名前はなに』だの『我思う故に我あり』だの送ってみた。だが、あらゆる返信に返ってきたのは『ハナサナイデ』のみだった。
こうなってくると、この『ハナサナイデ』自体に何か意味があるのではないかと思い始めた。簡単に思い付くものとしては、『ハナサナイデ』が『話さないで』という意味である可能性である。私との会話を拒絶している。だからこそ『話したくない』という意を込めて『話さないで』と返信をしてきている、というものだ。
次点で考えられるのは、この言葉しか話せない可能性である。現象としての近さなら「英語のワンフレーズしか知らない日本人が、英語圏の相手と話すために”アイムハッピー! イエーイ!”などと言って雰囲気で意思疎通を取ろうとするアレ」である。アレアレ。
私が通信している宇宙人は、地球の言語について『ハナサナイデ』という、なんでそれしか知らないんだよ、みたいなものしか知らないのではないか。だから、こんな意味不明な発言ばかりを繰り返すのではないか。
様々な可能性や仮説が頭に思い浮かぶ度、心がドキドキしてくる。ああ、宇宙人と意思疎通を図ることができるとは、なんて素晴らしいことなのだろうか。だが、ふと気付いてしまった。私の通信機に幾重にも接続されているコードの内、一つが本来繋がっていないはずの窓の外へのと伸びていたのだ。
「なんか……おかしいな」
私は窓を開け、コードの先がどこに繋がっているのかを確認する。
「……は」
そこには、あの女……かつて冷たい発言ばかりしてクラスで嫌われていた、夕凪の姿があった。繋がれたコードの先は彼女のスマホに接続されていた。彼女の画面を見る限り、スマホで『ハナサナイデ』という言葉を、繰り返し、繰り返し、私に送り続けていたようだ。私が窓から覗いていることに気が付くと、彼女は苦笑いのようなただの笑いのような、微妙な笑みを浮かべた。
「ひ、久しぶりや……な……?」
今、ここに野球のバットがあったのなら、夕凪のぴょこんと立ったつむじごと脳天を貫いていたかもしれない。だが、私はそこまで野蛮ではない。ので、そんなことをしない。代わりに右手を勢い良く振り上げると、直前でスピードを落とし、彼女の頭を「とんっ」と叩く。
「……えっ? 痛く、ないやん?」
「それは本気で殴ってないからだよ」
「なんで殴らへんの? あんたの長年の夢にくだらない唾を吐くようなことをしたのに」
「逆に聞くけど、Mなの? そんなに殴って欲しいんなら、SM風俗にでも行ったらどうかな」
「そんなん興味ないわ! アホか」
「お、またアホって言ったね? ……あはは。夕凪からのアホ呼ばわり、なんか久しぶりだね」
「なんでちょっと喜んどるんや。愛美の方がMなんちゃう? 気持ち悪……こういう時は怒るのが普通やろ」
「いや少しは怒っているけど。でも、それよりも、久しぶりに夕凪に会えた懐かしさの方が勝ってさ。しかも、昔と変わらない万人受けしなさそうな性格をしているのが……なんか、面白くて」
夕凪がいかにも「理解に苦しむ……」みたいな顔をしているのを見ると、なんだかおかしくて笑ってしまう。彼女は大人になって多少は柔らかくなったようだが、相変わらずらしい。そんな彼女の変わらない姿を見て、宇宙人に対する熱意が揺らいでいる昨今の自分に少し劣等感を覚える。
私は夕凪みたいになれない。自分の信念を貫ける人間になれない。宇宙人という唯一無二のアイデンティティーが揺らいでしまうような、弱い人間なのだ。なんだか泣きそうになった顔を隠すように俯くと、一言「それじゃあね」と言って別れを告げ、窓を閉めようとした。
だが、唐突に割り込んできた彼女の手がそれを止める。窓の隙間に彼女の手を挟みそうになった私は、思わず「わっ」と声をあげた。
「ああああ、あ危ないじゃん、夕凪。指切り落とされたいの?」
「そんなわけないやろ! アホか」
「じゃあ、どんなわけがあるの?」
「それは……分かるやろ、普通」
「……その”普通”が分かる奴が、宇宙人なんて追ってないでしょ」
「それは……確かにそうやね、すまんかった。ちゃんと言葉にせえへんと分からんようなやつやね、愛美は」
「なんか鼻につく言い方だけど……いいよ。許したげる。それよりも、なんで私が窓を閉めるのを阻止してるの?」
「いや窓閉めるのは防犯上全然ええねんで? そっちじゃなくて、愛美……なんか……あったんか?」
別に。別に、何もない。そう言いたいのに、彼女のように堂々と言いたいのに。声を出せば一緒に涙が出そうになって、不安で不安で仕方なくて、何かに持たれかかりたくなる衝動に駆られる。
「なんも……ない、よ」
「そーか」
そんな感情を察してくれたのか察していないのか、他人から持たれかかられるのが嫌なのか。真相は分からないが、私を無言のままでいさせてくれた。他人に冷たい態度ばかり取っていた当時の彼女からは考えられない行動である。多分、私にも色々あったように、彼女にも何かあったのだろう。私はただ、その好意に甘えて膝に顔を埋め、息を殺して泣きじゃくった。
しばらくして涙が引っ込んでいくと、少し元気が出てきた。そうだ、そうなのだ。こんな所でくよくよしている場合ではない。私にはするべきことがある。面白いと思うからしたいことがある。「宇宙人と会う」という人生を賭けた目標があるのだ。
「……よし。元気出てきた。ごめんね、夕凪。私はもう大丈夫」
「大丈夫という奴って大体大丈夫じゃないよな」
「これは大丈夫な方の大丈夫だから!」
窓の向こう側にいる夕凪のつむじに「ごんっ」とチョップしてやると、彼女は「痛いわー」とわざとらしい悲鳴をあげた。
「まぁでも、愛美の元気が出て良かったわ。うんうん。……ほな、またな」
夕凪は「どっこらせ」と言って立ち上がると、そのまま玄関の向こう側へと消えていった。私は窓越しにその背中を見送りながら、首を傾げる。結局、彼女は何をしに来たのか。わざわざ私の宇宙人研究の妨害をするためだけに来たのか。
相変わらず理解することができない夕凪の姿に困惑の表情を浮かべながら、でもその意味不明さが少し彼女らしくて面白いな、と笑みを零していた。
宇宙人を求めて 海沈生物 @sweetmaron1
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