はなさないで

キロール

ある老人の日記

 私は田舎とは呼べないが都会とも決して言えない地方都市に住んでいた。

 仕事の合間など、ふと周囲を見渡すと街並みの向こうに連なる山脈が見える、そんな場所だ。

 その光景に何かを感じることなく過ごしていた二十代後半の頃に起きた出来事が私の人生を変えた。


 若い私が仕事の関係で山間の村に足を運ぶことになったのは、今から数十年前の話だ。

 数十年前と言えどもすでに車は有り、道も舗装されている。

 遥か昔と違っていかに山間だろうとも車で走れば一時間から二時間の間には着く。

 精々が慣れない山道に苦労はする程度の困難だが、それとて慎重に運転していけば何の問題もない。

 言わば仕事の時間に出かけるちょっとしたドライブだ。

 朝、職場を出て社用車で山間の村にむかい、昼前にはその村に着いた。

 数年後にはダムに沈む予定の村に。


 ダム建設までにまだ時間はあったが、村人は既に転居済みであり、ただでさえ寂しい村落がいっそう寂れて見えた。

 古めかしい家々がまばらに存在する村落の道は狭く、無理に車で通ることがはばかられた。

 そこで私は村落の入り口付近に車を止めて、徒歩で歩き出した。

 

 入り口の側に置かれた地蔵もどこか寂しげだったのは、私の先入観がそう思わせたのか。

 ともあれ私は村落に取り残された家々を巡り、残された家財がないか、問題になりそうな廃棄物がないかを確認して回った。

 耳聡い業者が村に不法投棄を行うかもしれないと考えたためだが、今回は杞憂に終わった。


 大して大きくもない村落だったため昼過ぎには全ての家を回り終え、私は職場に戻ろうかと考えていた。

 だが、何となく少しばかり周囲を歩いてみることにした。

 特に特筆すべき事もなく寂れた村落や人の手の入った里山を見て回り……いつの間にか子供の手を握って私は村のただ中を歩いていた。

 私の子供ではない、当時の私は未婚だった。

 私が握る子供の、あどけなさを残した少女の手は体温を全く感じさず、ひんやりとしていた。


「けっしてはなさないで」


 少女は鈴が鳴るような澄んだ声音でそう告げ、私は一つ頷いた。

 村落の家々の合間を抜けて、少女に引かれるままに地蔵の前まで来る。

 地蔵の側を通り抜けようとした際に少女がギュッと強く私の手を握る。

 私は少女に何か話す事もなく、だからと言ってその手を振り払って離す事もなく地蔵の側を横切った。

 その途端に、少女が鈴の鳴る澄んだような声で笑った事は覚えている。

 そして背筋が粟立っち明らかに恐怖したのに、その手を放さなかった事も。


 その後、私は一人で山道を歩いている所を保護された。

 あの日から三日ほど経過しており、私の身体はあちこちに縫合された様な跡があった事から、警察は何らかの事件に巻き込まれたのではないかと考えていたようだが、当の私は自分に何があったのかよく覚えていなかった。

 微かなイメージが告げる所、真っ赤、バラバラ、縫合、組み立てと言った言葉が羅列するのみ。

 恐ろしげにも思えるが、今の私はその辺りの事に興味はない。


 或いは主に聞けば何があったのか分かるだろうが、問いかける気にはなれない。

 村から私が連れ出してしまった少女は今では私の主である。

 あの日以降、私は主に連れられて日々を過ごしている。

 村に封じられていたであろう彼女と。


 この事実を誰かに話すことなくこの歳まで生きてきた。

 これからも決して話すことは無いのだろう。

 ただ、それでもこうやって書き記す事は出来る。

 これが少女に対する反抗なのか、人類に対する義務感なのかは分からない。

 或いはこの行為が主の怒りに触れて私はあの時と同じようにバラバラにされてしまうかもしれない。

 それは死を意味しているのか、単なる懲罰でしかないのかは分からないが。

 私個人としては、それで死ねることを願っているのだが……。


<了>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

はなさないで キロール @kiloul

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ