第6話 弁当を買いに

 昼ご飯ができたと聞いたので203の部屋に入ってみると、真田さんがいつもの赤いジャージを着てベランダで太陽の光が差す青空を眺めていた。


「来ましたよ」

「ああ、食べてくれ」

「真田さんは?」

「ちょっとしてから食べる」


 あれから数日間、ずっとこんなやり取りばかり繰り返している。やっぱり、キスはやり過ぎたかな。


「管理人、ちょっといいですか?」


 最初はあまり気にならなかったが、いつまでもあの状態でいられると困るので花壇に植えられた青いアサガオに水やりをする大和管理人に聞いてみた。


「私と話している時は、そんな感じないけどね」

「じゃあ、あの時だけか」

「疲れてるんじゃない?」

「え、何に?」

「ほら、いつもご飯作ってもらってるんでしょ? 料理って疲れるのよ」

「楽しいもんじゃないんですか?」

「楽しくても疲れるのは当たり前。これで、晩は買ってきてあげたら?」


 管理人はジーンズのポケットから野口英世が描かれた千円札を2枚取り出し、右手に握らせる。

 思いつく限り、駅前にあるこぢんまりとした弁当屋しかない。定食が好みな真田さんなら、少しは喜んでくれるだろう。


「おばちゃん、幕の内弁当2つ」

「夫婦で食べるのかい?」


 何でそうなるんだ。胸元を見たところで私を既婚者だと判断できないだろ。


「違うよ。友達と」

「そうかそうか、それは失礼したわい。これから作るから、私の書いたこれでも読んで待っといてくれや」

「はいは、ん?」


 表紙に目が行った。『解体新書』と二文字ずつ縦書きで大きくと書かれている。私の書いた本、ということはあのおばちゃんって。


「おばちゃん、名前は?」

「ここに書いとるじゃろ」


 指差された名札を見ると、カタカナで『スギタ』と書かれていた。


「やっぱり」


 本は開かず、閉ざされた踏切を通過する電車をぼんやりと眺める。乗っている人の顔は何もわからないが、通過した後の電車に興奮する小学生くらいの男の子のキラキラした目はよくわかる。


「きゃっ!」


 車道を越えた反対側の歩道から女の悲鳴がする。


「誰か、あの人捕まえて!」


 ピンクのカーディガンを着たお姉さんが指差し、覆面を被った男がショルダーバックをラグビーボールのように抱え、付近で停車する黒いワゴンに駆け込む。


「おい、何こっち見てんだ!」


 男は私に荒げた声で脅迫する。手元を凝らして見ると、小さなナイフの刃先を向けている。そんなことで脅されても、慣れたものだから何も怖くない。


「警察、呼ぶよ?」

「やれるもんならやってみろ。その代わり、お前には死んでもらうぞ」

「そう言われても、お仲間さんはそんな気じゃないらしいよ」

「え、あっ、おい! おめぇらぁ!」


 停車中の黒いワゴンは既に男を置き去りにし、逃走していた。


「こうなりゃ仕方ねぇ」


 逃げ場を失った男は私を人質にとり、ナイフを首元に近づけて周囲の人々を脅した。でも、そんなところをしたところで彼に負のオーラが漂っているのは見え見えだ。


「おい貴様、そこで何をしている」

「何って・・・・・・ひいぃっ!」


 男の首に突きつけられる刃。男は赤いブラウスを着た真田さんの冷酷な目と、本物の刀に映る自分の姿を目にすると、顔が強張って巻きつけていた臭い腕から力が抜けた。


「さっさと離れろ」


 真田さんは声を低め、刀を少し首元で動かす。追い詰められた男は、無意識にナイフを手放し、膝から崩れ落ちた。

 彼女が来てくれたおかげで、男は駆けつけていた警察官に逮捕された。まさか、交番が100メートルもない近距離にある中でこんな馬鹿をするとは思わなかった。それ以上に、もう一人罪人がいることを忘れていたことが怖かった。


「ダメだよー、いくら正当防衛とはいえ、日本刀なんて持ってちゃ」

「離せっ! そもそも貴様ら、何者なんだ!」


 これは、帰ってきてから現代の文化をもう一回教えてあげなきゃいけないかも。でも、助けに来てくれたことは素直に嬉しかったよ、真田さん。

 

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赤い服の真田さん 七村メイナ @nanamura_meina

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