偶然の出会い
あべせい
偶然の出会い
ガン、ギッギギーッ!
「コラッ、待てーッ」
路地に面した家の裏口から、無精ヒゲの中年男が大型の紙封筒を手に飛び出してくる。
男に前をふさがれ、2トントラックが急停止。
30代のドライバーが窓から顔を出す。
「オイ、どけよ! 轢いちまうゾ」
「轢くか? 轢けるものなら、轢いてみろッ バス通りに出れば交番がある。あそこのお巡りは、うちに借りがある。いまの暴言だけできさまを逮捕させてやる!」
「待てよ」
ドライバーが、トラックから降りて、中年男の前へ。
「おれがナニをしたって、いうんだ。この荷物、急いでいるンだ」
「うちの塀に車をこすりつけただろう」
「?……」
「今日だけじゃない。2日置きに、ここを通るトラックが、うちの塀をこすり、傷をつけて行くんだ。いままでは我慢していたが、今日という今日は勘弁ならン!」
ドライバーが、トラックのフロントを見て。
「これか。オヤジさん、この傷、弁償してくれるっていうの」
「ナニをいいやがる。弁償して欲しいのは、こっちだ。このブロック塀は、昨日新しくしたばかりなんだゾ」
「なるほど、この横並びの3枚だけ、新しくなっている。うまくやるもンだ。プロはこうでなくちゃな」
「部分補修は却って、割高なンだ」
「あのね。言っとくけど、おれがこの路地を通るのは、多くて月に一度。第一、この塀に付いているのは、赤い塗料だ。おれのトラックのボディは見ての通り、青色だ。色違いだろうが」
「ウーム。しかし、いま車体が塀をこする音がしたじゃないか。それが何よりの証拠だ」
「あれは塀をこすった音じゃない。そこに落ちている石油缶を踏んづけた音だ。この車体の傷も、おれじゃない。ほかの運転手がやった傷だ」
「それ、見ろ。おまえたち運転手はいつもそうして、あちこちで車体をこすりつけているンだろうが」
「この路地が狭過ぎるンだ。こんな道を野放しにしている役所は、ロクなもんじゃない」
「なにを言いやがる。この道は元々、おれの親爺の親爺の親爺が、大昔に田んぼに行くのに作った農道だ。それを、おれの親爺が寄付して出来たンだ。第一、おまえらはここを抜け道に使っているンだろう。それとも、この路地に用があるっていうのか」
「オヤジさん、バッカじゃねえの。おれたち宅配トラックが、バスの走る大通りを使っていたら、仕事になンねえの。信号のない道を見つけて走るのが、ドライバーの腕だ。もっとも、きょうは珍しくこの路地の先の家に、最後の配達があるけンどよ……」
「それはおまえたちの都合だろうが。ここを抜け道に使うから、住民は迷惑している。そんな話はいまはいい。この塀の修理代をいますぐ払え!」
「だから、おれのトラックじゃないって言ってるだろ。色が違うのに、払いようがない」
「ナニぬかす。新しくする前のブロック塀には、おまえのトラックと同じ青色のスジがいっぱい付いていた。この塀を修理したときの請求書がここにある。こんなときのために、用意しておいた」
紙封筒からA4の文書を取り出す。
「ここにある通り、13万円、耳を揃えて払え。おまえが払えないンだったら、おまえの会社に請求してやる」
「オヤジさん、おれのトラックが、新しくする前のブロック塀に傷をつけたという証拠があンのか?」
再び紙封筒から、写真を取りだす。
「これが修理する前に撮っておいた証拠の写真だ。青いスジがいっぱい付いているだろうが」
「写真なンか証拠にはなンない。オヤジさん、刑事ドラマを見ていないの。塗料を分析して、両方の成分が一致しない限り、証拠にはならない。少しは勉強しろよ」
「ヤカマしい!」
そのとき、
「お父さま」
裏口から、無精ヒゲの娘が現れる。
ドライバーは娘の美貌に、一瞬気を殺がれる。
無精ヒゲ、煩わしそうに、
「なんだ!」
「ここで話をしていると、路地を通る人が迷惑するでしょ。トラックが道をふさいでいるし……」
「すいません。お嬢さん、すぐ車をどかせます」
ドライバーは運転席に戻り、エンジンをかける。
「待て! 逃げるのか」
「そうじゃない。この先に1個、配達したら、すぐに戻ってくる」
「?……」
3分後、ドライバーが再び姿を現す。
しかし、路地には無精ヒゲの中年男も娘もいない。
ドライバーは、無精ヒゲが出てきた裏口の戸をノックする。応答はない。そっと戸を押すと、静かに開く。
ドライバーは恐る恐る中へ。そこは、10坪ほどのよく手入れされた庭になっている。
「ごめんください」
「なんだ!」
庭越しに縁側があり、そのガラス戸を開けて、無精ヒゲが立っている。
「すいません。お詫びにまいりました」
「きさまは、何者だ」
「ですから、さっき、この裏の路地を走っていたトラックの運転手です」
「それがどうした」
「こちらのお屋敷の塀を、トラックで傷をつけたのではないかと思いまして……」
「認めるのか」
「いいえ。ですが、路地を通るとき、一度くらいは、間違いをしたのではないかと、ちょっと反省したものですから……」
「一度くらい?」
「それくらいしか、思いあたらないものですから」
すると、無精ヒゲの背後から、
「お父さま」
あの美しい娘だ。
無精ヒゲの娘とはとても思えない。
ドライバーは緊張する。
「お客さまに失礼です。あがっていただいたら?」
娘は、さらに、ドライバーに、
「どうぞ。汚くしておりますが、こちらからおあがりください」
縁側への上り下りに使う沓脱ぎ石を示す。
ドライバーは一瞬躊躇するが、意を決して、
「では、失礼します」。
ガラス戸の向こうには、縁側を挟んで障子戸があり、娘に勧められるまま、部屋の中へ。
部屋の中央に欅の一枚板の座卓があり、娘は床の間に向き合う位置に座布団を敷く。
「どうぞ」
「はァ……」
娘は、ドライバーの左隣の席へ。
ドライバーには、どうしてこういう扱いをされるのか、まるで見当がつかない。
無精ヒゲは、いつの間にか消えている。
「お嬢さん。私はお詫びにうかがっただけです。それにトラックがそこの神社の境内に停めてありますので、早く行かなくては……」
「氷川神社でしょう?」
「はい」
「父があの神社の氏子総代をしていますので、ご心配なく……」
「ですが、仕事が……」
「知っております。あなたは、もうきょうの配達はすべて終えられて、営業所に戻るだけだ、と」
「どうして、それを……」
「佐多さん、本当に何もご存知ないのですか?」
「どうして、ぼくの名前を。トラックに名札は差していますが……」
「父は井元猪之といいます」
「井元さん?……アッ、社長ッ!」
「申し遅れました。私は娘の由梨果です」
「由梨果さん……」
「父が清水町の営業所に行くのは、いつも午後になるから、みなさんにお会いする機会はなかなかないと申しております」
「私は入社して1年弱、社長には、まだ一度もお目にかかっていませ……いえ、きょうお会いしました。ただ、社長のお顔は写真で一度拝見したことがあります。気がつきませんでした。すいません」
「父は体をこわし、この1ヵ月、会社を休んでいます。それで、ヒゲも剃らずに、あのように……」
「社長が欠勤しておられるという話は、社内の噂で聞いています。でも、本社には行ったことがありませんし、都内に8ヵ所ある営業所も、清水町以外は知りません」
「佐多さん、お引き止めしたのには、お願いがあるからなンです」
「お願いですか」
「トラックの運転をやめていただきたいのです」
「解雇ですか」
「代わりに乗用車を運転していただけないか、と……」
「どういうことでしょうか」
「父は来月から出社します。しかし、これまでのように自分で運転して行くのはつらいと申しています。家から最寄駅までは徒歩で30分近くかかり、バスは1時間に2本しかありません。それで、佐多さんに父の車の運転をお願いできないかと……」
「お父さま、いえ、社長の運転手をしろということでしょうか」
「車の運転だけでなく、いつもそばにいて秘書として働いてほしいというのが父の希望です」
「秘書!? ぼくにできますか?」
「できます。佐多さんなら、立派にお出来になります」
「失礼する」
井元猪之が障子戸を開けて入ってくる。
佐多、驚いて、一歩退く。
「社長、さきほどは失礼いたしました」
猪元は無精ヒゲをきれいに剃り落としている。
「こちらこそ、失礼しました。ヘタな芝居をして、気を悪くなさらないでください」
「芝居ですか」
由梨果が笑い、猪之、続いて佐多もつられて笑った。
1週間後の車内。
佐多、社長車を運転しながら、後部席の井元に、
「社長、ずーっと気になっているンですが、どうしてぼくのような者を秘書にされたのですか?」
「一番優秀なドライバーを選んだ結果だ」
「そのようなテストを受けた覚えはありません」
「各営業所の所長から、腕のいいドライバーを推薦させ、その者たちに、私の家のあの路地だ、あの路地に面した家に届け物があるように工作して、あの路地を走行させた」
「あのとき、送り主がうちの会社なので、おかしな荷物だと思っていたのです。それに受取人の番地は空き家で結局届けることができませんでした」
「もう少し、うまい方法を考えればよかったが、テストは本人に内緒でやりたかった」
「それで結果はどうだったンですか。私より、腕のいいドライバーはたくさんいますよ」
「家で静養している間、由梨果の部屋の窓が、路地のようすがよく見える位置にあったから、ふとそんなテストを思いついた。由梨果にうちのトラックのナンバーを教えておいて、それぞれがどんな運転をするか、7項目についてチェックさせた。うちの塀に傷をつけるのは論外だが、そういうドライバーは幸い1人もいなかった」
「私は路地に転がっていた石油缶を踏ンづけました」
「あれは、わざと置いたンだ。みんながあまりにも優秀だからな」
「エッ!」
佐多、ブレーキを踏み、車を停止させる。
「石油缶を置いたのは、キミだけだ。由梨果に叱られて、やめた」
「それでは、私が選ばれた理由にはなりません。お嬢さんは、どんな審査をなさっていたのか……」
「キミは鈍感な男だな。娘の選択が気に入らンようだな」
「選択? 社長が最後の決定をなさったンでしょう?」
「そりゃそうだが、由梨果が『佐多さんがいい、佐多さんのことがもっと知りたい』と言ったンだ。それでも、まだわからンのか」
「……」
「由梨果は、2階の部屋からキミを見て、運転技術の審査など忘れてしまった。バカな娘だ。私は、娘の尻馬に乗るのもどうかと思い、キミにあんな芝居を仕掛けた。どんな男か試そうと思ってだ。しかし、キミは私のテストに合格した。あれだけのやりとりができるのなら、娘を守れると思ったからな」
「待ってください。私は、これからもお嬢さんの審査を受け続けることになるのですか」
「由梨果は慎重な娘だから、納得がいくまで、身近でキミを見ていくだろう」
「納得? 納得がいかなければ?」
「元の宅配ドライバーに戻るだけだ」
「納得がいけば?」
「キミと交際を始める」
「私の気持ちは?」
「交際を始めてから、キミが娘をどう思おうとキミの勝手だ。好きになるか、嫌いになるか。それとも、次期社長の座を狙って、娘にプロポーズするか。あとはキミの考え次第だ」
「社長、この話はお断りします。聞かなかったことにします」
「佐多クン。キミは由梨果のことが気に入らないのか」
「私は、初めてお会いしたとき、脳天を打ち割られたような衝撃を受けました。一目で好きになりました。ですから、あの日、必要もないのに、裏口からお訪ねしました。でも、それもいまのお話を聞いて、目が覚めました」
「由梨果は言っていたよ。あの日、キミが戻ってきたのには驚いた、と。『きっと私の気持ちが通じたのだわ』とな」
「社長、ぼくは偶然が好きなンです。男女の出会いも、神が介在したと思われるような偶然に憧れています。しかし、お嬢さんとの出会いは予め仕組まれたようなものです。夢がない」
「キミは若い。青臭い。わかったッ。明日から営業所に戻れ!」
「いいえ、戻りません」
「どうしようと言うンだ」
5年後の井元邸、寝室。
「あなた」
「なんだ?」
「ずーっと気になっていたンだけれど、あなた、どうして私と結婚したの?」
「そりゃ、好きだったからだ」
「でも、父には、私たちは偶然の出会いじゃないから、って言ったンでしょ。男女の出会いは偶然でないといけない、って」
「そうだよ。男女の結びつきには、神秘的なものが必要なンだ」
「それで、父の会社をやめて、レンタカーの陸送会社に勤めたの?」
「そうだ。あの仕事は、次にどこに行かされるか、わからない。レンタカー屋は、各営業所に乗り捨てられた車を、元の営業所に戻したり、注文の車がない場合、よその営業所から持ってくる必要があるから、子会社の陸送屋にその都度頼むンだ」
「私がおともだちと新潟に旅行したとき、空港の営業所でレンタカーを待っていたら、あなたがそのレンタカーを運転してきた」
「あのときは本当に驚いた。キミとあんなところで再会するなんて、信じられなかった」
「でも、それを期待して、陸送を始めたンでしょ?」
「そうだよ。キミは旅行したとき、よくレンタカーを利用することは聞いていたが、キミに出会える確率は、ドライブ中に空から落ちてくる隕石と出会うようなものだ。ほとんど期待できない。それなのに、あの日空港でキミと出会った。これは天の啓示だ! そう思ったから、迷わずその場でキミに交際を申し込んだ」
「そうだったの。わたしは、あなたがわたしの旅行先を知っていて、借りたレンタカーで空港まで会いに来たのかと思った」
「車は確かにレンタカーだったけれど、あれは陸送の仕事だったンだ」
「わたしは、新潟まで会いに来てくれたと思って、とても感激したンだから。なんだか、損したみたい」
「キミは、偶然の再会には関心がないようだな」
「わたしは、尽くしてくれる男性の愛情を大切にしたいの」
「ぼくとキミは考え方が違う。これが性格の不一致か。それじゃ、5年前に戻るか」
このひと、これで父の跡が継げるのかしら。新潟で再会したのだって、父が陸送屋に手を回して、このひとが空港にレンタカーを運ぶことになるように、お膳立てしたからなのに。まだ、わかっていない。困ったひと……。
(了)
偶然の出会い あべせい @abesei
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