身を焦がす愛は、同時に激しく憎む事でもある(福山典雅 愛の滑落より抜粋)。
僕はこの物語から、愛の不毛、その意味を叩きつけられたような衝撃を覚えた。
KOUJI 、それが彼女の愛した男の名前だ。
きっかけは些細な事だった。今にして思えば、抗えぬ残酷な愛の運命が二人を引き合わせたとしか思えない。それはまるでフィンセント・ファン・ゴッホが「夜のカフェテラス」で、黒を使わずに夜空の生き生きとした姿を描いた様に、深い闇の中で見果てぬ希望を渇望する二人の心が引き合っのだと、僕には思えてならない。
だが、出会ってはいけなかったのだ。
僕はこの物語を通して、彼女が壊れてゆく様をただ一人の傍観者として眺める事しか出来ない。彼女のその純粋な心が、その純粋さゆえに、無残に傷つき、どうしょうもなくかき乱され、哀れなほどに自己を見失い、遂には破滅の誘惑に憑りつかれてゆく。
救いはないのか、何度、僕はそう思っただろう。
彼女の想いは決して届かない。幾度も裏切られ、幾度も失望し、幾度も泣き叫んだ事か。それでも尚、彼女は愛を探す。もしかして最初からそんな物は無かったのかも知れないのに、彼女は蜃気楼の様な掴めぬ想いを手に入れようと、歯ぎしりし、怒りに我を忘れ、無様にのたうち回る、そんな狂った愛の羅刹として生きる事を選んだ。
愛は憎悪。憎悪は愛。
この物語は極炎に包まれた「100%の純愛小説」である、と僕は思った。
※このレビューと内容は一切関係ございません。
※「愛の滑落」という小説はフィクションです。
※よいこの皆様は、普通に小説をお楽しみ下さい。宜しくお願い致します( ;∀;)