最終節 残照

 レインコートがカサカサと音を立てている。屋内で着るとなかなかに蒸し暑いが、できるだけ血を散らさないようにしておきたい。清掃も大変だろうからな。


 死んだあとのことを考えて自殺者が気を遣うのもおかしな話ではあるが、どうせならわざわざ迷惑を増やすこともない。


 改めてそう考えてみると、俺の口座とかはどうなるんだろうか?


 金に執着はないが、どうせなら知り合いにでも渡したほうがいいのかもしれない。


 俺のまともな知り合いはキョウヤくらいのものか。遺言でも残しておけばやってくれるんだろうか?


「……ハァ。面倒だな」


 スマートフォンを取り出し、メモ帳を開く。さて、なんと書こうか……。


「……ん?」


 そのときちょうど、スマホになにかの通知が来ているのが見えた。誰かに連絡先を教えたことはないはずなんだが……。


『どうもこんにちは! カラオケショップONGAKUです。前回のご来店から1ヶ月が経ちました。またのご来店をお待ちしていますよ!』

「……なんだ、こりゃ?」


 カラオケショップからの自動送信メッセージだったようだ。カラオケショップ? なんで俺がこんなものを?


「……あ」


 そうか。あのときの、か。ルカと、「趣味探し」をしていたとき――。



「ん? ねぇ、セイジ。これ見て」


 ドリンクバーで持ってきたメロンソーダを飲みながら、ルカは伝票をこちらに渡してきた。


「これ。お友達登録でちょっと安くなるんだって」

「なんで俺が。カラオケなんてそう来るもんじゃないんだぞ」

「いやいや〜。カラオケにハマるかもしれないじゃん、これから!」

「お互いほとんど歌も歌ってないのにハマれるわけないだろ」


 そう当然の指摘をすると、ルカはむーと唸った。


「でもちょっと安くなるんだよ? それに、次来店したときも値引きだってさ」

「うーん……」

「あと私スマホ持ってないし」


 そういえばそうだった。そっちの理由をもっと早く言え。


「えーと……アプリを入れる必要があるのか」

「入れ方わかる? 私が入れてあげようか?」

「俺をなんだと思ってんだ。記憶喪失のお前よりはわかるよ」


 そうして順当にアプリをダウンロードしてインストール。カラオケの店のアカウントを友達として登録した。今回の会計から200円割引されるとのことだった。


 俺の貯金を考えると端金すぎて笑ってしまうが、それでも「お得」というものには未だに惹かれてしまう。何故だろうか。


「よかったねセイジ。これでいつでもカラオケに来れるよ」

「行かないっつーのに」


 あはは、と屈託なく笑うルカ。やっぱりというか何というか、こいつ若干俺のことをうっすら舐めているフシがあるな。


 ……もしかして、以前の俺とルカとの関係性を無意識に覚えているから、だろうか。


 そうだとしたら、ふとしたきっかけで……記憶を取り戻す可能性もあるのか?


 ブライトの記憶は取り戻さずに、ASSISTの頃の記憶だけ蘇ってくれたら最高なんだが……さすがに、それは高望みし過ぎだろうか。


「セイジ、どしたの? こっち見て笑って」

「……笑ってたか?」


 視線を逸らし、窓の外を眺める。そんな俺の内心を知ってか知らずか、ルカは続ける。


「ソロ割もあるみたいだから、もし私が用事とかでいないときは1人で来るといいよ!」


「……お前、基本常に俺と行動してるだろ」

「そういえばそうだったかも!」


 もう何がなにやら。適当にしゃべるルカに苦笑を漏らした。



「……あのときの……」


 もし私がいないときは、1人で……か。なんだか少し笑えてしまう。


「ふ……フッ。ははっ」


 そうして笑い声を上げた途端――表面張力が限界を迎えたコップのように、目から涙が溢れてきた。


「ハッ、ハハ……ああっ! うわあああああ!!」


 それに伴って、激情が溢れてくる。


「バカ野郎……! バカ野郎! ああああああああっ!!」


 床を叩きながら、大泣きした。叫ぶように泣いた。唸るように泣いた。


「ずっと好きだったのに……! ずっと一緒にッ、いたいだけだったのに!」


 何が憎いのかもわからない。何を怒っているのか、何を悲しんでいるのかもわからない。


「好きなんだ……! 好きだったんだ! ルカ!!」


 もういない人物に向かって、意味もないプロポーズを続ける。


「ごめん……! ごめんな……! ごめんな、ルカ……!!」


 子供のように泣き続ける。赤子のように泣き続ける。


「あっ、ああっ、あああ……! うわあああああああ……!!」


 泣き続ける。泣き続ける。泣き続ける……。


 子供の頃を思い出す。泣いて、泣きまくって、それが続いて……もう、なんで泣き始めたのかもわからなくなるんだ。


 そうしてようやく、涙が出終わって。俺はブルーシートの上で倒れていた。


「……ルカ」


 その名を口にするだけで、喉の奥から胸にかけて刺激物のような苦しみと甘さが去来する。


 なぁ、ルカ。死者に念のようなものがもしあるとして。


 ――この通知が表示されたのは、あるいはお前の導きだったりするんだろうか。


 思い出した。思い出せた。あの日の思い出。数々の、お前との日々の記憶。


 それがあまりにも美しくて、消したくなくなる。


 俺を殺すことで、その記憶を消したくない。


 俺はまだ――。

 生きていたい。


「もう少し……。生きていても、いいかな?」


 返事はどこからも返ってはこない。しかし、俺は手にしたグロックから弾を抜いて、マガジンをゴミ箱に捨てた。



「……あぁ、もしもし。キョウヤか。悪いな、しばらく連絡しないで」

『ホントに心配したんですよ……! セイジさん、あのまま消えちゃいそうでしたから』

「ああ、悪いな……。グロックも今度返すよ。で、着信が大量に来てたが、どうした? 何かあったのか」


『あ……そ、それが。ダンジョン……ルカさんが作ったダンジョンは世界中で一斉に消えたんですけど。

 いわゆる、異常空間。つまり、20年前にASSISTが対応していた、階層もランダムなダンジョンですね。アレの出現が確認できたんです』

「……なんだって?」


『考えてみればある意味当然なんです。だって、ルカさんが大変革を起こす前からダンジョンはこの世にあったんですよね?

 彼女が亡くなったからと言って、元々あったものまで消えるわけではない……。それをどうしようか、ダンジョン解体人制度も今後どうしていくのか……そういう意見が聞きたいらしくて』

「また警察庁のジジイどものところに行けって?」

『ま、まぁ……そうなります』


「……今日は何曜日だ?」

『? 水曜日です』

「じゃダメだ。今日は用事があるんでな」

『は、はぁ……結構すでに待たせてますし、それは別にいいですけど。

 セイジさんが用事ですか? 珍しいですね。何かあったんですか?』

「だよな。俺もそう思うよ。何か、ってほどでもないんだけどな」



「――趣味でも、探そうかと思ってよ」



 20年前、ダンジョンは異常空間と呼ばれていた


 第3部 『Life goes on(人生は続く)』完

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20年前、ダンジョンは異常空間と呼ばれていた〜記憶喪失の女子高生がダンジョンだらけの世界を滅ぼすまでの話〜 玄野久三郎 @kurono936

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