第5節 20年の喪失
それから何が起こったのかは――情報としては把握しているが、どれも実感はない。
眼の前にある薄い膜に投影された映像を見ているような、朧げで空虚な出来事たちだ。
まずはダンジョンの消失に気付いた報道ヘリが素早く戻ってきた。ローターの音と風圧がやかましかった。
じきに警察がやってきて、ルカの死体は回収され、俺はパトカーに乗せられた。
警察庁で呆然としている俺――と同室にいるお偉方に伝えられたのは、検視の結果、胴枯ルカの確実な死亡が確認されたということだった。
「やった……! ついにやったんだな!」
「これでようやく、あのダンジョンとかいう災厄も終わるのか?」
「ともかく、これで他国との連携ももう少し積極的に取れるようになるでしょうな」
爺さんたちは彼女の死に沸き立っている。俺の隣にいたキョウヤはそれを見て身を乗り出しかけていた。
「よせ、キョウヤ。意味ねぇよ」
「でも……! だからって、あんな……よくもまぁ、セイジさんの前で……!」
肩を震わすキョウヤは少し涙ぐんでいるようにも見えた。俺はそれがとても嬉しかった。
ルカの死に涙を流してくれるのは、少なくとも俺だけじゃないんだと思えたからだ。
「本当によくやってくれた、神凪セイジ!」
「君の働きに感謝する。君のおかげで日本は救われた」
「後日君には、非公式にはなるが勲章を……お、おい!?」
とはいえとても聞いていられなくなったので、俺は途中で部屋を出た。奴らはなにか呼び止めようとしていたが、俺には関係なかった。
それから家に帰って、飯を食って、眠った。
起きて、それから途方に暮れた。何をしたらいいのかわからなかった。
ダンジョンに行く必要はもうない。迷宮教は壊滅した。俺にはもう、何もやることがない。
この20年間、ずっと考えていたのは迷宮教やブライトのこと。その決着をつけるためだけに生きてきた。俺という器は、常にその思考で満たされていた。
役目を果たした。決着をつけた。とどめを刺した……。
俺の中に入っていた、俺を構成する液体はすべて流れ出て、もう何も入っていないのだ。
俺の人生は、俺の執着は、俺の恋は――すべて流れ落ちてしまったのだ。
『いま日本全国で、ダンジョンの出現が収まったという報告が相次いでおり――』
『世界でも、発生していたダンジョンが解体前に消滅していく例が多発しています』
『数十年ぶりに、日本にダンジョンがない日がやってきました!』
『ダンジョン解体人を生業としていたAさんは、「嬉しいような、悲しいような半々」と語っており――』
特に見ているわけでもないテレビを付けっぱなしにして、ソファに座る。
何をする気も起きない。涙も出ることはない。昼も夜も、何もせずただ佇んでいるだけだ。
ただ時折思い出したように、ルカにとどめを刺したグロック18Cを手に取る。
警察庁からの支給品だが、黙ってそのまま持ってきてしまった。引き金に指をかけて握り、その感触を確かめている。
「…………」
そしてその銃口を、俺の頭に向ける。命の危険につながる行為。
にもかかわらず、俺の体は、精神はアラートを上げない。恐怖もなければ、抵抗感もない。
痛いのかもしれないし、苦しいのかもしれない。だがそんなことが俺に関係あるのだろうか?
『東京都内を走行中の電車内で、また銃乱射事件が発生しました。ダンジョン発生以来の武器の解禁によって、日本の治安は悪化の一途を辿っており……』
『インターネット上での誹謗中傷を苦に自殺をしたとの報告が、大学の関係者から……』
『金巻議員は、高額なブランド品の購入や、高級レストランでの飲食、さらには海外での豪遊などに、政治資金を使っていたとの証拠が……』
日本を守り、世界を救った。少なくとも俺は、警察からはそのように認識されるだろう。
ニュースから流れてくるのは馬鹿馬鹿しい報道の数々だ。こんな国を守るために俺は、ルカを殺したのか?
なんだかもはや、何もかも馬鹿馬鹿しくなってきて、自分が握りしめる拳銃に愛おしさを覚え始める。
そうだ。そうだな。もう、行こう。
俺はテレビを消して、リビングにブルーシートを敷く。それから、雨の日のためのレインコートを着てフードを被った――。
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