第4節 告解

 風がビルの間を通り抜ける音。足元の硬い感触。暗い夜の中、窓に灯る明かり。


 俺は現実世界に帰還していた。無事にダンジョンの解体に成功したのだ。


「動くな」


 すぐ近くに立っていた、黒いローブの人物に銃を突きつける。ゆっくりと両手が上がった。


「……ちゃんと新しい銃を買ったんだね。それとも支給品かな?」

「支給のほうだ」


 日本の警察がかつて使用していたようなショボい銃ではない。


 グロック18Cという対テロ用の特別銃だ。撃てば当然に、人を殺す威力がある。


「その場に跪け。変な動きはするな」

「わかった。今さらこの場では何もできないけどね……」


 緊迫した状況にもかかわらず、彼女の声色は凪いでいた。自らの役目を終えたかのように悟り、落ち着いている。


「……なんで。なんで、こんなことをした」


 すっかり避難が済んだ東京の街は空っぽで、誰も俺達の言葉を聞くものはいない。


「最初に話したとおりだよ。私は世界を変えたかったんだ。

 私が味わった苦しみや、ASSISTの皆が味わった痛みを……もう誰も味わわないように。世界のすべてを秩序のもとに管理して、本当に幸せな世界を作りたかった……」


「元の世界のすべてを、塗りつぶす必要はあったのか?」

「手の届く範囲だけしか救わないなんて不公平でしょ?」


 苦笑する彼女の口調は、だんだんと教祖じみたものから「ルカ先輩」のものに戻ってきていた。


「そのために何人も、何千人も。何万人も死んだんだぞ。ダンジョン災害で、大勢が!」

「そうだね……。悪いことをしたと思ってる。本当だよ。

 でも、だからこそ私はもう止まれなかったんだ。1回目の大変革で、大勢死んだ。ここで何もかもやめちゃったら、その死者は何のために死んだことになるの?」

「……それは」

「その人たちの死を無駄にしないためにも、私は完璧な世界を作りたかったんだよ」


 銃を持つ手が震える。彼女のしたことは間違いなく悪行だと言える。


 だが、その善悪の基準はこの世界の基準だ。もし、ブライトが作り出すダンジョンが――俺が体験した、第4層のようなものだとするならば。


 世界中の人間が、偽りの幸せを享受しつづけられるようなものだったのであれば。


 どっちが正解だったのだろう。この世界を残すのか、全員で夢の世界に行くのか。どっちが。


「私もね。どちらが本当に正しいことなのか、わからなかったんだ。人を殺しておいて、世界中で被害を出しておいて……そうまでして作る世界は正しいものなのかどうか」

「……だから、俺の前に現れたのか?」

「そう。それだけじゃない。5階層で君と戦ったのだってそうだよ。

 新しい世界を作るべきなのか、昔の世界を残すべきなのか。勝ったほうが、それを決める権利を有するんだ」


 勝手に息が激しくなりはじめ、俺は額の汗を拭った。周りには、本当に誰もいない。人がいた痕跡だけが強く残っている。


「そして、君が勝った……。セイジ君」

「はぁ……はぁ……っ!」

「だからさ。私にとどめをさしてよ」


 私に、とどめを。……とどめ。……トドメだって?


 俺が? ルカを、殺すのか? なんで俺が?


「俺は……お前を、逮捕……できれば、それで……」


 胸の奥から喉に何かがせり上がってくる。呼吸がますます荒くなり、喋るのも難しくなってくる。


「逮捕したところで、結局私は死刑だよ。日本史上、最悪の犯罪者……なんだからね」

「だからって……っ!」

「正しいことをしたとは思っていないけど、この行動の真意も知らない連中に裁かれたくはない。

 だから、お願いだよセイジ君。君にしかできないんだ」


 わかっている。わかっているんだ。


 ルカの行く道は2つに1つしかなかった。世界中をダンジョンにして神になるのか、それとも負けて死ぬのか。


 そして彼女は、どちらでもいいと思っていたんだろう。自分が悪である自覚があるから、負けて死んでも構わなかった。


 だからといって、自分で足を止めることもできない。計画の先が世界平和であるという理想で、己を騙して進み続けてきたからだ。


 その結末の1つが、これだってことを。わかっているんだ、俺は……。


「……ル、カ」


 視界が歪む。涙を拭っても、またすぐに溢れてくる。傷口から出る血が止まらないように、いつまでも溢れる。


「セイジ君。最後までありがとうね」


 その声は、記憶の中のどの「ルカ」とも違う。娘のような、聖母のような。この世界との、決定的な決別を示す声色だ。


 喉から目頭にかけて寒気が走るようだ。走馬灯のように、彼女と今までの出来事が頭の中を駆け巡る。


『大丈夫? ……まだ死んではないみたいだね』

『君。私の相棒にならない?』

『なんとなくでも歌うんだよ! ほら、セイジ君のパートから!』

『おおーっ、いいね! 出来上がったら一緒に行こうよ〜!』

『あははははは! ほら、セイジ君も花火やりなよ!』


 自分の呼吸が激しくなり、銃を構えていられなくなる。一旦、俺は銃を下に降ろす。


『ごめんね、セイジ君。私は――守られるのが嫌いなんだ』

『じゃあ、セイジ。改めてしばらくの間よろしくね』

『じゃあ私に自信持たせるためにたい焼き買ってよ。お腹空いちゃった』


 俺は頭を振って、再び銃を構える。彼女の頭に銃口を向ける。


『大丈夫! 何かを始めるのに年齢なんて関係ないって。私と一緒に楽しいこと探そう!』

『やっぱりセイジは強いね!』

『……私、大して役には立ってないしさ。他の人に乗り換えるかと思っちゃった』


 だめだ。だめだ。だめだ。

 再び銃を下ろす。指の力が抜けて、手から滑り落ちそうだ。


『お願いセイジ。私は記憶を取り戻したいの。……私は、何者なの?』

『セイジも考えが変わった? じゃあ、次遠くのダンジョンとか行くときは電車以外で行こうよ』

『今日のデートは――今までの人生の中で、一番楽しかったよ』


 再び銃を構える。手に、力が迸る。


 ――ぱん。


 それから衝撃が俺の手に伝わってきたのがわかった。銃から火が出る。乾いた音が鳴るのを、俺の鼓膜が聞いていた。


 それは、俺が撃ったとは思えなかった。しばらく認識もできなかった。体が勝手なことをしたように感じた。


 彼女の体はうつ伏せに倒れ、じわり、じわりと血がコンクリートを伝って広がっていく。


 全身から力が抜けて、ついでに魂も抜けたかのように感じていた。目の前の死体が、また平気な顔をして起き上がってくるものだと本気で信仰していた。


 10秒経って、20秒経って、1分ぐらいが経ったのだろうか。


 それでもその死体は起き上がってくることは決してなく、二度と喋ることも、歩くこともなかったのだ。


「――――」


 俺は跪く。神に懺悔するように。死刑を待つ罪人のように。


 そうしてそのまま、何分も、あるいは何時間も……何も考えず、指先すらピクリとも動かせなかった。

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