きまじめ料理長は目が離せない

崇期

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 以前、わたしが仕えております御主人様のことや、担当している厨房の話をお聞かせしたことがありましたよね?

 ええ、そうです。天気のいい午後はたいてい庭に出て、ターフ・シート(芝で覆われたベンチのこと)に座ってぬくめた種子シードミルクを優雅にすすっておられるあの御主人様です。

 御主人様、ああ見えて有脚書厨ゆうきゃくしょちゅうであられまして、最近、本をお読みになるたびに「目頭に文鎮が載っているみたいだ」とか「文字がひび割れを起こしているぞ」としょっちゅうこぼされるようになりました。そこで「目にいい料理をなにかご提供しましょう」と提案いたしました。


目赤めあか」という動物をご存じでしょうか? あれの肉が視力回復に効果ありと食医(栄養士)に聞き、さっそく市場に買いに出かけました。

 経木きょうぎに包まれたルビーのように煌々こうこうとした塊肉。岩塩のようにずっしりと重く、草っぱらを駆け回っていたときの目赤の躍動が手に伝ってくる気がするほどの鮮度でした。まっすぐに「オーブン焼きにする」と道が決まり、わたしは鉄板の中央にそれを配置し、肉の脂が吐きだされたときにそれを吸いあげる役目のもの、また肉が乾燥しかけたときに水分を与える役目のもの……などを考慮に入れながら、蕪、きのこ、赤茄子、なつめ、栗らをまわりに敷き詰めていきました。

 すべての準備が整ったとき、わたしの脇を固める部下たちが「まるで夢窓国師が作庭された日本庭園のようだ」と感嘆の声をあげました。

「お造りじゃないんだから。これからお色直し・・・・が待ってる」わたしは内心満足しながらも、賛辞は完成時にちょうだいしたいものだとオーブンへ送り込みました。


 焼きがはじまっても、気を緩めるわたしではありません。四角い機械の窓に、独居房を覗き込む看守のように顔を近づけ、打守りつづけました。脂が多いので焦げやすいことは自明です。脳裏には完成図が──焼きあがりの色が浮かんでおりましたから、そこに到達しそれ以上超えてしまう寸前に炎の中から救いだしてやる、という最後の大一番に心は燃えておりました。


 ところが、そこで室内電話が鳴り叫びました。呼び主は奥様で、「来週月曜を予定していた予算会議を今から行いたい」とのことでした。「ぐぅむ」わたしは歯噛みしてコックコートを剥ぎ取ります。料理人長であるわたしが「後で」などと言えるはずもありません。「四十分待ってください」とも。奥様は気が短い方です。それに関する相談も食医にしていたぐらいで。


 厨房を見回すと、皆自分の仕事にかかっていて、誰も手が離せなさそうでありました。ちょうど通りかかったのは、鷹見たかみという名の膳夫ぜんぷでした。裏戸から酒の壜を抱えて帰ってきたところで、わたしは

「鷹見、すまないがここを頼む」とオーブンを指差して。「絶対に目を離さないでくれ」

「はあ」酒壜をステンレス台に置き、ふやけたみたいな生返事をします。

 この男、鷹見は始終のそっとした置き物のカバのような雰囲気で、カバの方がまだ才気があるかもしれません。こんなやつにオーブンを任せるのも癪に思いましたが、自分の発言の番を先に回してもらいすぐに戻ってくればいいだろうと、そのときはそう思いました。


 しかし会議は、奥様の小言で思った以上に長引いたのです。発言の順番も入れ替えてもらえなかった上、各持ち場の長もわたしの事情に配慮などなく、溜め込んだ不平不満を吐きだすやら言い訳を並べるやら本題より長い世間話を用意するなどの話芸をここぞとばかりに発揮しだす始末。厨房に戻ってきたときには、廊下にまで白い煙と異様な臭気が躍りでておりました。


「どうしたっ!」


 夢窓国師の庭園が見事な炭の山になっておりました。ごぅんごぅんと換気扇が唸りをあげる中、わたしが鷹見を睨むと、

「料理長、わたしの故郷では『メ』というのは食用海藻のことでして」と虚ろな〈目〉で言います。

「こいつ、ずっと乾燥ワカいたんですよ」調味料係の柏岡かしおかが告げます。


「ばかやろっ!」わたしは悔しまぎれに怒鳴りました。「それがなんになるっていうんだ。そんなことラッコでもしないぞ!」


 目を離すな、が「メを離すな」に変換されていたとは意想外でありました。わたしは笑い話をテーブルに届けたいのではない!

 黒焦げの肉と手汗で戻したワカメなど供せられるわけもなく、「会議のせいで」とも言えるはずもなく、オーブンの故障ということにして、メイン料理が出せない旨を御主人様にお伝えしました。御主人様は「今日は寿司でも食いに市街へ出かけるよ」とむしろルンルンなご様子。すでに準備が整っていた菜は使用人たちで片づけました。にしても、メインなしでは腹の足しにもならず、で。


 とにかくこのことから、料理よりも、「部下に目を離さない」がわたしにとって重要な仕事であると確信したわけです。このような無様ぶざまなお話、前菜にもなりませんでしたかね?

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きまじめ料理長は目が離せない 崇期 @suuki-shu

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