第4話 なさない
連絡を入れてから1週間後。
私は再び例の喫茶店を訪れた。
ウエイターに案内され前回と同じ部屋へと通された私は室内に二人がいることを認める。
「どうも、先日は失礼いたしました。」
二人に頭を下げる。
打合せ日時を決める連絡を入れた際に、前回の打ち合わせ後について九堂さんに確認したところ、私はその場で気絶してしまったという。
幸いにもソファに倒れ込んだので問題は無かったため、救急車で運ばれることは無かったが、結果的に九堂さんと綺世さんに自宅まで運んでもらうことになってしまったのだ。
時代錯誤かもしれないが、なんというか女性二人に自宅まで搬送してもらったというのが気恥ずかしかった。
もっとも二人ともそのことは気にしていない様子で、むしろ憶測で強いショックを与える事を言ってしまった事を謝罪された。
私はお互い様という事にする事を提案した。 これで貸し借りなしと。
綺世さんが了承したのでこの件は終了となり、さっそく本題へと入っていた。
「前回お話された、母が私を育てていないと言うことは一体?」
私は最初に聞いておきたいことから口にした。
最悪、母との血縁が無かったとしても養子だったと言うだけの話なので、むしろ母に育てられていないことのほうが気になる。
「そのお話の前に葛巻さん。 お母様のお名前と享年について教えていただけますか?」
何を改まって確認しているのかと思ったが、メモの話はしたが母の詳細について話をしていないことを思い出し、私は母の名前と年齢を伝えようとした。
…………。
……。
分からない。
私は母の名前も年齢も知らないことに気がついた。
それは言いようもない恐怖だった。
母は幼い頃の私の支えであった。
その記憶は鮮明に覚えているが、私を見つめていてくれたはずの母の顔を思い出せない。
「気が付かれましたか?」
不意に耳元で綺世さんがささやきかけてきた。
気がつくと私はソファに座らされており、綺世さんがそれを支えてくれていた。
私はそのまま思考停止していたのか10分ほど経過していた。
「わ、私、思い出せないのです。母の名前も年齢も……。」
全身の震えを必死に抑え、やっとのことでそれだけ伝えると私は目の前のコップの水をいっきに飲み干した。
「申し訳ございません。 辛いことになるとは思っていましたが確認させて頂きました。」
全て分かっていたように綺世さんが話す。
やはり彼女たちは私のことに関して何か確信があるのだろう。
恐れはあるが、拠り所であった母についての記憶があやふやである以上、止まっていられない。
私は全てのを飲み込むつもりで彼女たちに話を進めるよう促した。
「葛巻さん。あなたのお母様ですがお名前は『クレンシア・アロールート』になります。」
当然ながら聞いたことがない名前だが、それ以前に海外の人なのだろうか。
「享年は56歳になります。」
そこで更に私は驚く。 母親である以上私よりは年上で当然なのだが、私は今年で45歳になる。つまり11歳差。
とても母親として子供を育てられる年齢差ではない。
「こ、これは一体どういうことでしょうか?」
今更ながらに悪い夢を見ているのではないかと言う思いに苛まれる。
一体何がどうしたらこんなことになるのだ?
「順を追って話を進めさせて頂きますと。」
九堂さんがあらましを説明していく、私の母であるクレンシアは、アロールート製薬と言う製薬会社の創業者の末娘だったという。
生物学、遺伝子工学などで優秀な成績を納めていた彼女は、必然的に家業であるアロールート製薬へ入社、社内の様々な生物工学的なプロジェクトへ参加し実績を積んでいたと言う。
それは世間が大災厄により世界が驚天動地の大混乱となった時ですら変わらなかったという。
これについては、アロールートが会社を半ば独立国家の様にすることで乗り切っていたと綺世さんが補足した。
そして今から約20年前の
それは人口激減による労働力の確保問題。
世界を復興するとなっても、人手が足りないのであればそれをなすことは難しい。
力を残していた企業や国家は当面の対策として、自立型の作業機械を用意し労働力を確保していた。
しかしアロールート社は別の見解を示していた。
それは人間の生産。
ランダムに選んだ男女の遺伝子を使い受精卵を人工的に作り上げ、それを人口子宮を使い誕生させ、その後は遺伝子工学を利用した即席成長と必要知識を直接脳にインプットする事で実践投入を早めようと言うものだった。
そこまで話すと九堂さんは一息入れた。さすがに疲れたのだろう。
ここまでで母の生い立ちは分かったが、まだ自分と母の関わりが分からない。
ある程度の予想はついてきたのだが。
既に冷え始めてきたコーヒーを飲み、一息ついた九堂さんが自分の方を改めて見る。
「ここから葛巻さんとクレンシアさんのお話になりますがよろしいですか?」
私は静かにうなずいた。
「承知いたしました。 では続きを。」
再び彼女が話し始める。
『人間生産』については社外だけなく社内でも問題視する人々が多かった。
一方は倫理的な問題だったが、もう一方はもっと実利的な問題。
いくら促成育成とは言え、稼働できるまでに5年は必要となる。
つまり最初の5年間は『出荷』することが出来ない為、プロジェクトでの歳入が見込めないのだ。
そして促成でも育成にかかる費用は非常に高い。
そこから社内は2派に分裂し対立する様になっていった。
大災厄をうまく乗り切ったアロールート社が、その後の対応で内紛に至るとは経営層もまるで予測できなかった。
結局、人間生産は4年で終了となり、アロールート社はバイオ系サイボーグの生産へと舵を切っていくことになる。
しかし、そこに問題はある。
仮にも4年プロジェクトが存続していた結果、何人かの実験体が存在している事だ。
関係者の多くが責任のなすりつけをしているさなか、プロジェクトには直接関係していなかったクレンシアが調査に乗り込んできた。
彼女の目的は一つ。
プロジェクトで作り上げられた人の評価と待遇の決定。
すぐさま彼女は研究成果を確認し、愕然となる。
それまでもちゃんとした成果は提出されておらず、あくまでデータ上での経過が報告されていたのだが、実際にはそのデータ自体が改ざんされており、実際には最初期に作られた数人だけが生存していたのだ。
これれらの最初期型は即席育成がまだ確立する以前の存在であり、全てが普通の人間と同じであった。
会社としては逐次現場へ投入し成果確認をしたかったが、当然ながらそこにいるのは幼児たちばかりでとても成果など期待できない。
その事で危惧したのは調査を行っていた、クレンシア・アロールート本人であった。
子どもたちを守らないと最悪廃棄処分となってしまう。
そうなる前に彼らを助けるにはどうすればいいか。
単純に逃がすだけではだめだ。 成長させるための土台が必要になる。
そう考えた彼女がとった行動は、私財を投げ売って里親へと引き渡すことだった。
しかし、10人近い子どもたちへの保証は難しく、最終的には自身の将来の役員報酬すら前借りしていたが、最後まで残った一人への補償が難しいとなった。
そこで彼女は作業用のバイオアンドロイドを研修名目で1台確保し、それに母親代わりをさせていくことにした。
アンドロイドの顔立ちは自分に似せて作らせていた。 これは単にモデルが思いつかなかっただけでは有る。
ただそこで彼女に思わぬ不運が舞い降りる。
それは育児を任せたアンドロイドが故障したこと。
このアンドロイドの故障こそ、現在アロールート社を苛む大問題であった。
それはクローニングした人間の頭脳をメインフレームとして使用していることである。
これは人間のクローニングを禁止した国際法に違反したことになり、たちまち世界各地のアロールート社の工場は閉鎖に追い込まれた。
その責任は創業者一族にも波及しており、結果として科学部門の現場トップであった母が責任を取ることとなった。
その後、実家も会社から切り離されることになり、母は持つ者から持たざる者へとなっていた。
その中で母は私のことを思い出し、破損したアンドロイドと入れ替わることにしたのだった。
「それが大体5年くらい前の話でした。」
話しを区切るように九堂さんが立ち上がる。
失礼しますと言うと彼女は部屋の端で伸びを始める。
それを横目に私は綺世さんに話しかける。
「大体のあらましは分かりました。 自分が普通の生まれ方をしていなかった事を含めて。」
「あら、そこまで悲観することはないですよ。」
綺世さんが努めて穏やかな口調で答える。
「世の中にはそれこそ、禁止されている方法で生を受けた人もいます。それにクレンシアさんとあなたは親子では無かったし、直接育ててくれたわけでも無かったけど、親子出なかったわけではないわ。」
そう言いながら懐から何かを取り出す。
それはフィルターに包まれているが、あのメモだった。
「そうだ、母は何を『離さない』で欲しかったのでしょうか?」
私は元々の依頼を思い出し聞いてみる。
それに対して、綺世さんは一瞬不思議そうな顔をした後、何か合点が一体ような表情に変わった。
「なるほど、葛巻さんはそう解釈していたのですね。」
笑いながらそういう彼女だったが、すぐに一枚のレポートを見せながら答えてくれた。
「これはクレンシアさんが会社を辞める時に書いた辞表の一部でした。恐らく文面を練習していたのでしょう。」
そう言いながら、
そこには以下のように書かれていた。
葛巻洋介氏は私の息子です。
しかし彼に会社関連の話はしたことはありません。
ですので今後も
身辺調査はなさないで下さい。
もし聞き入れられない場合は法的手段に訴える所存ですので、
何卒ご容赦いただけますようお願い申し上げます。
私はその一文を目にした時、熱い物が胸の中で湧き上がるのを感じた。
母は血縁者ではなかったし、直接育ててくれた訳でもなかった。
何より全て黙って身代わりと入れ替わっていた。
でも私を愛し賢明に守ってくれていたのだ。
私に話さないが、放さなかった母。
彼女は私の誇りだった。
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