第六話 獣の魔女①

 木の葉が揺らぎ、落ちた木陰が水面のように形を変える昼の森。

 穏やかであるはずのその場所には凄惨な地獄が広がっていた。


 潰れたあか。千切れたあか。飛び散ったあか。あか、あか、あか。

 そこはあかに満ちていた。


 むせ返すような鉄の匂いの中、白の少年は立ち尽くす。

 呆然と、自分を仲間と呼んでくれた者達だったものを眺め、吐いた。

 不愉快な音を立てて吐瀉物が泥濘んだ土に跳ねる。ついた膝が赤く染まり、ついた両の手にはべっとりとした質感が感じられた。

 その感覚が更なる吐き気を誘い、また吐いた。

 もはや頬を伝う水滴が仲間を想うものなのか、胃酸の刺激によるものか、少年には分からなかった。


 やがて嗚咽と酸で喉が枯れると、少年はフラフラと立ち上がりじっと地面を見つめる。

 赫に塗れた地面に数か所、土の色を残した部分がある。土が凹み、固く踏み固められたその点こそ、少年達を襲ったモノの足跡であった。


 おぼつかない足取りで、しかし確かな意志を持って、少年は足跡を辿っていく。

 向かう先は森の最奥。


「──奪い返す」


 少年はボソリと呟いた。


 ◆◆◆


 鳥が囀り、澄んだ空気に青空が透ける朝の森。

 鉛の灯火イグニスのある街から西に位置するこの森は比較的危険度の低い魔物が生息しているため駆け出しの冒険者を見かける事の多い場所である。

 しかし今日は様子が違った。この時間帯であれば意欲的な新米冒険者のパーティーが二、三は彷徨いているものだが、現在森にいるパーティーは一つだけ。それも新米とはかけ離れた上位ランカー達だった。


「ったく、討伐作戦前の俺達がなんでこんな案件を担当すんだよ」


「まぁまぁ、危険な魔物の討伐も私達冒険者の仕事の一つですよぉ」


 悪態をつく赤いツンツンヘアーを長い金髪の女神官がたしなめる。

 今日の依頼はやや緊急の案件。本来生息していない上位級の魔物が一匹、この森に住み着いてしまい、付近を通る街道の安全確保のためにも対象を討伐して欲しいというのがギルドからの要望だった。

 とはいえ、彼らは上位ランクの中でも上澄みのパーティー。その道中はまるで戦闘前とは思えないほど呑気なものだ。


「新入り二人とのチームワークを高めるにも、今回の依頼は良い機会だ。そういう事だろ、エドガー?」


 地図を眺めつつ獲物の痕跡を探す女狩人が視線は手元に落としたまま、声だけでパーティーの長の言葉を引き出す。


「あぁ、そういう事だ。というわけで悪いが付き合ってくれ、リヒター」


 鎧の剣士のウィンクにやれやれと言わんばかりにリヒターはため息をつく。


「……俺はまだソイツらを仲間と認めちゃねぇからな」


 そんなコテコテなツンデレを炸裂させるリヒターの肩を細い指がつつく。

 振り向いたリヒターの前には一見すればお淑やかな黒髪の邪竜少女。


「あん?」


「──喧嘩、売ってる?」


「ステイ!エトナさんステイ!」


 ファイティングポーズを取ったエトナを白い少年が必死に抑える。


「止めないで、ちょっと拳で語り合うだけ」


「止めるわ、お馬鹿!その方法で語り合うのは魔物だけにしてくれ……!」


 一方のリヒターはディアナのヘッドロックを決められながらも鼻息荒く拳を握り締め、血走った眼でエトナとリッカを睨んでいた。


「は、な、せ!コイツは殴って分からせる!」


「先に煽ったのはお前だろうが!ちょっとは大人しくしろ!」


 ディアナの力が強まりリヒターの顔が赤色を通り越して青紫になっていく。流石に苦しくなったのかリヒターがタップするが、ディアナは普段の鬱憤を晴らすかのようにやや力を強める。結局、タップが両手での連打になってようやくリヒターは解放された。


「あらあら……元気なのは良いですけど、魔物と戦う体力は残しておいて下さいよぅ?」


「まぁまぁ、メンバーの仲が良いのは素晴らしい事だ。リッカ君とエトナさんが皆と打ち解けていて私は嬉しいよ」


「エドガー……この状況をそう評する君の視力が私は心配だよ」


 屈託のない笑顔のエドガーをディアナは座った眼で見つめるのだった。


 六人は獲物が残した痕跡を辿って森を奥へ進んでいく。

 森は奥に進むほど鬱蒼としていき、やがて木漏れ日も殆ど届かなくなる。そのためリッカの光源魔術で視界を確保しつつ進んでいた一行だったが、ふと先頭を歩んでいたディアナが足を止めた。


「……全員これを見てくれ」


 ディアナが灌木の葉をめくると、そこには白い体毛が付着していた。


奇獣キマイラの毛だな。リッカ君、君の眼で観察してみてくれるかい?」


「了解です。……若干だけど魔力が残ってる。おそらく獲物は近いと思います」


「流石だ。ありがとう」


 エドガーが目配せをすると、ディアナは無言で頷き、とある魔術を行使する。

 発動したのは身体強化魔術の一つ『聴覚強化ヒアリングブースタ』。百m先の針を落とした音でさえ聞き取れるほどに聴覚神経を鋭敏化させるこの術式は、一歩間違えば神経を損傷するリスクがあるため基本的に一定間隔で使用することでソナーのように獲物をあぶり出すのに使われる。

 もっとも今回はリッカの魔眼によってディアナはほぼノーリスクで獲物の位置を探ることができるのだが。


「──見つけた。三時の方向、距離は二百くらい」


 その言葉でエドガーは無言のまま全員に合図を送る。瞬く間に戦闘陣形が組み上げられ、一行はそれを保ちながらディアナが獲物を捕捉した地点へと向かう。

 やがて現れたのは木々の無い広場のような空間と、その中央に座す白い大型の獣。

 獣は獅子の様な前半身と山羊のような後半身、蛇のような尾を持ち、獅子の頭とは別に背中より生えた山羊の頭と尾の先端に備わった蛇の頭を持つ奇怪な外見をしている。奇獣キマイラ、それがその魔物の名前だった。


 エドガーは全員を見回した後、全員から見えるように右手を挙げて一本ずつ指を開く。最後の一本が開かれると同時に、エドガーが叫んだ。


「──作戦開始!」


 その声に反応し、奇獣は威嚇するように咆哮を上げる。

 木々を震わす大轟音。尋常の生物であれば、それを耳にした途端に失神しその場に倒れることとなるだろう。

 ──だが、尋常ならざる者たちが、獣を討とうとする者たちがいたのなら、その隙は余りに致命的となる。


「──絶技ぜつぎ、『崩山撃やまくずし』」


 先陣を切ったのは赤髪の戦士。彼は獣の肩口へと得物の戦斧を振り下ろす。

 戦士の全体重、全筋力を注いだ必殺の一撃。刃はまるで空を切るかのように容易く肉を断ち、骨を断ち、一切の抵抗なく獣の肉体を通過する。

 直後、遅れて生じた衝撃波が軌跡に触れる肉を、骨を吹き飛ばした。

 魔力を用いない、己の力と技によってのみ成立した超絶技巧の一撃。

 その直撃を受けた奇獣は血液を吹き上げながら大きく後方へ吹き飛ばされた。


「チッ、これで足りないか」


 しかし、左肩を三日月状にえぐられながらも、奇獣はその驚異的な耐久力で倒れること無く迎撃の構えを取った。

 眼前の敵対者に向けて三つの頭が同時に顎を開き、それぞれに別々の属性を帯びた魔力が収束していく。リヒターがそれを認識するのとほぼ同時、三つの頭は収束させた魔力を超常の吐息として解き放った。

 獅子の頭からは炎の息吹、山羊の頭からは氷の息吹、そして蛇の頭からは雷の息吹が全力の一撃を放ったことで硬直したリヒターへと襲いかかる。


「──防御結界プロテクション!」


 だが、いずれの息吹もリヒターには届かない。

 無防備な彼を包むのは魔力で編まれた光の障壁。


「リヒター、突っ込みすぎですよ」


「でもお前なら防御できただろ?」


「……次は防ぎませんよぅ」


 アリシアの介入によって始めて奇獣は自身が既に包囲されていた事実を正確に認識した。


「──気付くの遅い」


 木々の影から放たれた火球が奇獣の傷口を焼き、奇獣は激しい苦悶の叫びを上げる。

 しかし、そうして生じた隙は無慈悲にも彼らにさらなる攻撃の機会を与えてしまった。


「グッドだエトナさん!ではディアナは拘束を。リッカ君とエトナさんは私に続いてくれ」


 鎧の剣士が茂みから飛び出す。奇獣は彼を目で追い、またも傷口への警戒が疎かになる。


「学ばないな──雷電付与スパークエンチャント、『紫電一閃ライトニングアロー』!」


 狩人の詠唱と共に展開された魔術陣が彼女の番えた矢に魔力の電流を纏わせる。

 そして射られた矢は放電現象による白い軌跡を残しながら空中を一直線に貫き、獣の左肩の傷口に吸い込まれるように突き刺さる。魔電を帯びた矢は命中と同時にそのやじりに閉じ込めた膨大な電流を白紫の発光と共に解き放った。


 森に奇獣の絶叫が響き渡る。

 しかし、冒険者達は攻撃の手を緩めない。彼らはここで手を緩める事が如何に致命的な失敗を招くかを経験から理解していた。


「ここだ!リッカ君、エトナさん、私に合わせて!」


 その指示を合図にエドガー、リッカ、エトナの三人がそれぞれの方向から奇獣へ疾走する。

 接近する新たな敵対者に対し奇獣は頭を向ける。それは生物としてはごく当たり前の反応だった。

 ただしこの獣は尋常ならざる三首の獣。その三つの頭はそれぞれが脳を持ち思考する。そんな頭がそれぞれの敵を睨むということは、つまり奇獣は《その場に釘付けとなる》ことを意味していた。


「二人共、奴の下へ!」


 エドガーの指示に従い、リッカは蛇の頭を睨みながら奇獣の股下を滑り抜ける。

 三つの頭それぞれが迫る敵対者へそれぞれの迎撃行動を行おうとしたために、奇獣は自身の足元を滑っていく三人をただ眺めることしか出来なかった。

 立ち上がり奇獣に向き直ったリッカの眼の前にはがら空きの獅子の首があった。

 奇獣の三つの首は正面、右肩、尻尾に備わっている。それぞれの首の正面から奇獣の股下を一直線に通過した場合、確実に頭の死角に到着する。それこそがエドガーの作戦であり、リッカもその狙いを理解していた。

 そのためリッカも他の二人もほぼ同時に動き出した。


「──『断凍剣フリーズブレイド』」


 短剣の刀身に収束した凍てつく魔力が大気中の水分を凝固させ氷の刃を形作り、リッカは上段に構えた短剣ごとその氷の刃を振り下ろす。

 氷の刃は獅子の首に触れると同時に刃に秘めた極低温の凍気を奇獣へと解き放ち、結果として獅子の首は破砕されるように斬り落とされた。

 リッカが顔を上げると残る二人も、片や長剣の一撃で、片や竜鱗結界による切断で、それぞれの首を落としたところだった。

 すべての首を失った奇獣の胴体は静かに膝を折り、そして動かなくなった。


「戦闘終了。みんなお疲れ様」


 奇獣の討伐を確認したエドガーがそう告げると、張り詰めていた空気が途端に軟化した。


「お疲れさまですぅ。最後の三人、息ぴったりでしたねぇ。これは意地悪な先輩も頑張りを認めてくれるのでは無いでしょうか?」


 突如アリシアのキラーパスがリヒターを襲う。


「なっ、俺に言わせりゃまだまだだ。この程度で認めてなんか、やらねぇよ……」


 トラップに失敗したリヒターはいつものこじらせツンデレを発動させ、見事にそっぽを向いた。

 そんな態度に拳を握り、今にもリヒターに殴りかからんとするエトナを必死に抑えるリッカの肩をエドガーがポンと叩き、そして呟いた。


「ふむ、この依頼で親睦を深めてほしいと考えていたが……リヒターがそこまで嫌がるのなら、誠に残念だが二人はパーティーから除籍するか」


「ハァっ?!」


 その言葉に、リヒターは変な声を上げた。


「おいエドガー、確かに俺は反対してるがよ、他の奴らとは上手く出来てんだ、何もクビにすることはねーだろ……!」


「いいや、この先の獣の魔女との戦いではパーティー全体でのチームワークが重要になる。君一人でも、呼吸を合わせられないメンバーがいるなら彼らにはこのパーティーから去ってもらわないとね」


 エドガーの意図を察したリッカはエドガーにまで殴りかかろうと暴れるエトナを抑え込みながら、必死に悲しげな表情を偽る。

 その様子を見たリヒターは冷や汗を流しながら他の仲間の方へ振り返る。


「な、なぁ、アリシア。ディアナ。お前ら二人もコイツらと仲良くしてたよな?何か反論はねぇ訳?」


 二人は俯きがちに首を振る。


「残念だがエドガーが決定なら異存はない」


「悲しいですがしょうがないですぅ……」


 あてにした二人があっさり引き下がった事でリヒターは更に慌てて右往左往し始めた。


「どうしたリヒター?厄介がっていた後輩がいなくなるんだ、君にとっては嬉しい話だろう」


「そ、それはそうだけどよ、仲間としちゃ認めてないが、冒険者としちゃあ……」


「仲間として認めてないならやはり駄目だな。二人には去ってもらおう」


「ちょっ、待て、分かったから。……仲間としても認めてる。だからパーティー抜けさせる必要はねぇよ」


 リヒターがそう言うと、エドガーは静かに振り向きリッカとエトナに笑顔でサムズアップした。


「──とのことだ。何分不器用な男だが、二人共よろしく頼む」


「は?」


 笑顔満点の仲間たちを見て、リヒターは一人ぽかんと口を開けていた。


「ふぅ、腹が捩れるかと思ったぞ」


「素直に言えて偉いですよぅ」


 ディアナとアリシアは状況を飲み込みプルプルと震えるリヒターの背中を笑いながら何度も叩く。


「──てんめぇエドガー!俺のこと騙したな!」


「そう怒るなよ。素直なことは良いことだぞ」


 エドガーは詰め寄るリヒターに素直の美徳を説いて宥めようとする。

 リッカとエトナも他の二人と一緒になってその様子を面白おかしく笑っていた。


 仲間たちとの幸福な時間。


 咎人と虚ろな漂着者には勿体ないほどの幸福な時間。


 だから、えぇ。

 ここで壊してしまいましょう。


「──その通り、素直なことは良いことよ。ねぇ、私の愛しき奈落の翼エトナさん?」


 そこにいつから立っていたのか。

 聞き慣れぬ声に振り返った冒険者達は、恐怖、驚愕、焦燥、その全てが入り混じった表情でそのを、を見た。


 それは真紅の髪だった。地面に着くほどに垂れ下がった長いその髪は、さながら燃え上がる地獄の業火のよう。


 それは漆黒の声だった。蜂蜜のように甘ったるくて、タールのようにドス黒い、粘着質で蕩かすような声。


 それは魔女だった。喪服のような黒一色の悪趣味な衣を纏い、顔はベールと鍔の深い帽子で隠されて、その身から溢れる魔力は例え魔眼など使わずとも、その強大さを認識できた。


「何故貴様がここにいる!」


 鎧の剣士が魔女に吠える。

 しかしその矮小で無価値な空気の振動は魔女と邪竜の逢瀬を邪魔するには値しない。

 にも関わらず、煩い声で剣士は叫ぶ。実に低俗で、実に的を射たその名前を。


「答えろ──!」

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異世界モノクローム~転生雪兎と邪竜少女の解呪契約~ 水溶性オムライス @omu_suiyousei

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