第五話 試験②

 時刻は昼前。太陽が高く登り、日当たりの悪い訓練場にも日が差し込み始める頃。

 訓練場の中央に敷設されたリングでは、エトナの試験が始まろうとしていた。


「さて、エトナとか言ったか。試験官は私かアリシア、どちらを選ぶ」


 ディアナの問いかけにエトナは迷いなくアリシアの方を指差した。

 途端に聴衆である冒険者達からブーイングが起こる。やれ日和るなだの、やれ口先だけのチキンだの散々な言われようである。

 しかしエトナは静かにアリシアを見つめ、笑った。


「──まさか皆、彼女が弱いとか思ってる?だとしたら見る目無い。だって、彼女アリシアは多分


 エトナのその言葉は冒険者達に笑いの渦を巻き起こす。しかし、ディアナと彼女の隣に立つアリシアの表情は変わらなかった。

 しかし、エトナに言われて気が付いた事がある。アリシアは両手で十字を象った杖を握っているが、彼女の姿勢には全くブレが無い。


 僕は視線をアリシアの手元、十字の杖に移す。

 神官や魔術師にとって杖は術を扱う為の物。文字を書く為に使うペンの様な存在だ。体の一部と言っても良い。

 そのため杖は軽くて丈夫な取り回しに優れる物が好まれるのだが、アリシアの杖はその逆だった。

 杖の先端に取り付けられた金属製の大きな十字。重心バランスは先端に大きく偏り、これでは杖と言うよりハンマーだ。

 そんな不思議な得物を携帯しながらもアリシアの姿勢は、より正確には体幹は全くブレなかった。


 数秒の沈黙の後、ディアナが口を開く。


「どうやらエトナは本気らしいが……どうするアリシア?」


 一見すればアリシアの身を憂う様な言葉。だが、ディアナの目を見れば分かる。彼女が憂いているのは対戦相手であるエトナの方だ。


「あらあら、そんな熱心に見つめられては私……昂ってしまいますぅ」


 さっきまでの澄ました顔はどこへやら、アリシアは恍惚とした表情でエトナを見つめる。


「その顔、神官がしていい顔じゃない」


 冷静にツッコむエトナだが彼女もまたアリシアを前に笑みを隠せていなかった。


「あ、思い出した」


 エトナの表情を見て思い出される記憶。アリシアが僕に向けた冷たい視線への既視感、それは地下迷宮でエトナが怪物達に向けていた狂気を秘めた眼だ。

 さながら戦闘狂同士の共鳴と言ったところか。


「はぁ、これだからこの手合は……おいリッカ、先輩として忠告だ。この手の人種はしっかりと手綱を握っておけ」


「あ、はい」


 ディアナは憐れむような、諦めるような表情で僕に忠告しながら、アリシアの首根っこを摘んでリングの端へと運んでいく。何となく、彼女の苦労が垣間見えた気がする。


 そんな一幕を終え、遂にエトナの試験が始まった。


「それでは両者構え──始め!」


 ディアナの号令。リングの二人は同時に、最短距離で接近する。


「シュッ──!」


 先攻はエトナ。邪竜の膂力で放たれる渾身の右ストレートがアリシアに迫る。


「うふふ」


 だが、アリシアは華麗に杖でいなし流れるようにエトナの顎目掛けて石突での打突を放つ。


「──っ!それなら!」


 エトナは身体を反らして杖を避けつつ、カウンターに両手から竜炎を零距離で浴びせる。いくつもの爆炎が炸裂し、舞い上がる砂埃と爆風を利用してエトナは距離を取った。アリシアの次の手を窺うつもりらしい。


「──まぁ、とっても派手な技ですね」


 ところが、砂埃が晴れた先に居たのは無傷のアリシア。彼女の周囲にはボロボロに削れた魔力障壁が浮かんでいた。


防御結界プロテクション……腐っても神官」


 冒険者における神官の役割は主に二つ。一つは治癒魔術による回復や解毒。もう一つが宗教儀式を魔術化した神聖魔術による除霊、解呪や結界による戦闘支援。

 上位ランクの神官という事は当然これらの魔術にも精通しているという事。


「防御結界はこんな使い方も出来るんですよ」


 アリシアが杖を振るうと、エトナを挟み込むように魔力障壁が形成され動きを封じる。


「なっ──?!」


「えいっ!」


 アリシアは拘束されたエトナの頭上へと跳躍し、落下の勢いを乗せて杖を振り下ろす。

 鈍い音がリングに響き、衝撃で防御結界が砕け散った。


「あら?」


 しかし、アリシアはその場から動かない──否、

 振り下ろされた十字の杖は魔力障壁によって空中に固定され、ピクリとも動かない。


「──『竜鱗結界ブレイズ・スケール』。防御結界を使えるのは貴方だけじゃない」


「あらあら」


 常に微笑を浮かべていたアリシアが始めて笑顔を崩し驚きの表情を浮かべる。


「扱いが難しいからあまり使いたく無いんだけど……貴方相手に出し惜しみは悪手。つまり、全力で行く!」


 エトナの跳躍。予備動作無しの垂直跳びで三メートル程の高さを稼ぐ。完全に上を取られたアリシアに対し、竜炎を圧縮した火球を連続で叩き込む。

 防御結界に阻まれた火球が炸裂し、炎幕となってアリシアの視界を遮った。


「──『竜鱗結界ブレイズ・スケール』!」


 その瞬間、エトナは背後に形成した竜鱗結界を足場にアリシアへ向けた直滑降を行う。

 結界の展開を許さない速度で炎幕を突き破って現れたエトナによりアリシアは大きく後方へ殴り飛ばされる。

 竜炎を宿した邪竜の右ストレート。その拳を受け止めたアリシアの杖は大きくひしゃげ、直撃箇所は少し焦げていた。


「あらあら杖が……」


 アリシアは驚いた様に振る舞うが、その表情は満面の笑みだ。

 しょうがないですね、などと心にも無い事を呟きながらアリシアは杖を地面に置き、拳を握りファイティングポーズを取る。


「ではここからは少しはしたなく行きましょうか」


 その言葉と共に第二ラウンドの幕が開ける。

 先に動いたのはアリシアだった。見事な足さばきでエトナへ接近したアリシアは豪雨の様なラッシュを叩き込む。

 防御を捨てて速度と威力に特化した拳の連打がエトナを襲う。


「反撃の、隙が、無いっ!」


 あのエトナが防戦を強いられる程の苛烈な拳撃。アリシアの拳は竜鱗結界の展開速度とほぼ同等の速度で放たれるため、エトナが攻勢に転じる事を防いでいた。まさに攻撃は最大の防御、だ。


「この力、この動き、貴方ホントに人間?!」


 エトナの驚嘆も当然だ。呪いで弱体化しているとはいえ邪竜の反応速度に匹敵する人間、それも前衛職ではない神官がいるなど余りに非常識な状況だった。

 それも恐ろしい事に僕の魔眼は彼女の肉体に魔術の光を視ていない。それはつまり、この身体能力フィジカルは純粋な生身の人間のものと言うことを意味していた。


「ふふ、そうですね。確かに私は人間ですが──この体はちょっとだけ、普通じゃないんです」


 アリシアは連打を緩めること無く、己の体にまつわる事情について語り始める。


「喋るなら、一度、攻撃を止めるべき!」


「……遡ること半世紀前、私のお│祖父じい様がまだ若く、現役の騎士だった頃」


「話を聞かない!」


 エトナの嘆きを打撃音が掻き消し、アリシアの話は続く。


「お祖父様はこの街で一二を争う勇敢な騎士だったそうです。ただ、ある時の御前試合で優勝したのを切っ掛けに異様に力が強くなっていき、しまいには人々から怪物と恐れられる事となってしまいます」


「その御前試合ってので呪われた?」


 もはや諦めたエトナはアリシアの連打を防ぎながら問いかける。


「はい。厳密には試合の直前、突然現れた魔女に唆されと言う果実を食べてしまった。その後、お祖父様は果実の呪いを抑えるために神官に出家し、私の一族には各世代に必ず一人この呪いを受けた子供が生まれるようになってしまったらしいのです」


「果実の呪い……」


 果実に呪われたと言う思いがけない共通点にエトナは何か思う所があったようだった。


「そしてこの呪いをかけたのが、呪いの果実をお祖父様に与えたのが現在『獣の魔女』と呼ばれる魔物です」


 獣の魔女……てっきりただの人型魔物かと思っていたが、人を唆したって事は人語を操る高い知能があるって事か。ますますどんな魔物なのか分からなくなってきた。


「じゃあ、その呪いの復讐が貴方の動機って事?」


 エトナはアリシアと自分の境遇を重ねる様に問いかける。

 しかし、この問いへのアリシアの答えは意外なものだった。


「いいえ、私は私の体について特に不自由はしていません。瓶詰めの蓋とか開けやすいですし」


 そう言うとアリシアは眉をひそめる。


「──それよりも私が許せないのは、魔女が神聖な騎士の御前試合を不埒なドーピングで冒涜した事です。騎士達の清き技巧の戦いを穢す事が何を意味するのか私の拳で分からせます」


 怒りか決意かその両方か、アリシアの打撃のキレが増した。一層苛烈となったアリシアの連打を防ぎつつエトナは深く息を吸い込む。


「貴方の動機は分かった。──でも、私の、私達の動機だって負けてない!」


 その言葉と共にエトナは意図的に竜鱗結界を解き、アリシアの左拳を正面から受け止めた。

 衝撃がエトナを通じて地面へと伝播し、リングがひび割れる。


「あらあら、私の拳を受け止めるなんて無茶しますねぇ」


「ん……結構痛い──けど、この距離なら結界は張れない」


「あら──?」


 その瞬間、エトナは右腕をアリシアの拳から離し、己の拳を竜炎で加速させる。


「──はい、キャッチです」


 しかし、アリシアは驚異的な反射で自身へ伸びるエトナの右腕を掴み取り、直撃寸前で防いでみせた。


「残念でしたね。狙いは素晴らしかったですが──」


「いいえ、私の勝ちです」


「はい?一体何を──っ?!」


 突如、アリシアの体が宙に飛び上がり、背中からひび割れた地面に倒れる。一方、エトナの右手人差し指には黒い炎が燻っていた。


「──デコピンでも、一発は一発。これで私も合格でしょ?」


 エトナは僕の隣のディアナにウィンクを送る。

 壮絶な殴り合いの決着がデコピンとは何とも締まらないが、ルール的に問題は無い。


「……勝者はエトナ・ティフォエウス!」


 ディアナは苦虫を噛み潰したような表情でエトナの勝利を宣言した。

 彼女がそんな顔をする理由は他でもない。満足気に熱い握手を交わすエトナとアリシアを、対照的に青白い顔面で呆然と見つめる挑戦者の冒険者達。

 彼らの胸の内で燃え盛っていた炎は戦闘狂共による狂気の拳闘ステゴロによって完全に吹き消され意気消沈となっていた。


 ◆◆◆


 街並みが茜色に飲まれる夕暮れ時。冒険者ギルド『鉛の灯火イグニス』三階に設けられた会議室の一室に奇妙な緊張が走っていた。


「追加メンバーの選抜試験が終わったと呼ばれて来てみりゃよお」


 すくり、と立ち上がった赤髪の男が僕を指差す。


「──なんでコイツがいんだよ!ああ?!」


 セットにさぞ時間を掛けているであろうツンツンヘアーに似合った尖り具合でリヒターが僕へ吠える。


「落ち着けリヒター。気持ちは分かるが、この男が私に勝ったのは事実だ」


 憤るリヒターをディアナが宥めるが、リヒターは鼻息荒くディアナを睨む。


「あぁん?逆に何でテメェはそんな落ち着いてんだよ。てかこんな野郎に負けてんな」


 リヒターとディアナの視線が交錯し、激しい火花が散る。


「リヒター、君の気持ちも分かる。でも、まずは話を聞いてみようじゃないか」


「エドガー……チッ、お前がそう言うなら話だけは聞いてやる。だがな、俺は絶対認めねえからな」


 リヒターは不承不承と言わんばかりに勢いよくソファーに座り、隣のアリシアが一瞬宙に浮いた。


「ありがとうリヒター。……さて、とは言え私も正直驚いている。まさか君の方から私達のパーティーへの加入を申し出てくれるとはね、リッカ・イナバ君」


 エドガーは真っ直ぐに僕を見つめる。あまりに真っ直ぐなその視線は、まるで心の底まで見透かしている様な不気味さを感じさせる。


「あ、あはは……その節は大変失礼しました。あの頃は少々荒れておりまして……」


「何があの頃、だ。まだ昨日だろが!」


 リヒターが再び吠え隣のアリシアから窘められる。まぁ、間違いなくリヒターの方が正論なんだが。


「差し支えなければ君が心変わりした事情を教えてくれないか?私としては君が仲間になってくれるのは願ってもない事なんだが……リヒター然り、他の冒険者への体裁というのもあってね。可能なら君らの事情も把握しておきたいんだ」


 リヒターはそう言うと僕とエトナの方へ身を乗り出す。

 彼の意見はパーティーのリーダーとしてはもっともだ。だがこちらの事情を詳らかに話すわけにもいかない。封印されていた邪竜を仲間として引き連れているなど知られれば、獣の魔女どころの騒ぎではなくなるだろう。

 するとエトナが僕に耳打ちしてくる。


「ここは目的だけ話したほうが良いと思う。他は適当に誤魔化すべき」


 確かに、霊薬が欲しいのも新しい食い扶持を探しているのも事実ではある。

 僕は少し考えて口を開いた。


「実はエトナには強力な呪いがかかっていまして、彼女は呪いを解くために資金を貯めていたんです。ところがいつもの地下遺跡で崩落が起きてしまい、偶然居合わせた僕とパーティーを組んだものの、二人仲良く路頭に迷っていたんです」


 嘘はついていない。大事なところを話してないだけで。


「なるほど、それで試験を受けたという事か。アリシア、エトナさんの呪いを解呪出来るかい?」


「うーん……多分無理だと思いますけど、一応やってみますねぇ──『解呪ディスペル』」


 アリシアがエトナに向けて軽く杖を振るう。空中に描かれた魔術陣から白い光がエトナの頭上へ降り注いだが……予想通り変化はない。


「あー、やっぱり駄目ですねぇ。この呪いです」


「深過ぎ?」


 エドガーの問いにアリシアは手に持ったグラスを例に説明する。


「呪いは魂を蝕むものなんですけどぉ、その根っこが『内側にあるタイプ』と『外側にあるタイプ』があるんですよぉ。エトナさんのは前者でぇ、こんなふうに解呪の術式を使っても深過ぎて届かないんですよねぇ」


 解呪の術式に見立てたミルクがコーヒーの入ったグラスに注がれるが、底の方には中々到達しない。


「ですので、体内から解呪を行う霊薬は私の神聖魔術よりも相性は良いと思いますよぉ」


 そう言うとアリシアは竹のストローでミルクを撹拌してからアイスコーヒーを飲み始めた。


「なるほど……それなら早速、エトナさんに霊薬を試して貰おうか」


 エドガーは腰のポーチから小瓶を二つ取り出し、僕とエトナにそれぞれ手渡す。


「あの、僕のは結構です。ただでさえ一度断ったお誘いに無理やり参加させて頂いたので、その上霊薬まで頂いては……」


 僕は小瓶をエドガーに返そうとするが彼は受け取らなかった。


「良いんだ。過程はどうあれ、君は僕の誘いに乗ってくれた。その霊薬がいらなければ売り払って資金の足しにでもしてくれ」


 初対面の時から感じてはいたがこの男、清廉潔白過ぎる。性格があまりに主人公というか、白馬の王子様の擬人化というか。性格の良さが善人を通り越してもはや聖人の域まで達している。

 正直、同じ部屋にいるだけで眩しすぎて困るくらいだ。


「えーと……でしたらお言葉に甘えて頂戴しますね」


「あぁ、そうしてくれ。──ところで、エトナさんの具合はどうかな?」


 小瓶の中身をためらいなく飲み干したエトナはきょとん、と首を傾げる。


「飲んだけど……特に?」


「神代の霊薬でも解けない呪いって、エトナさん相当厄介な呪いを受けたんですねぇ……」


 アリシアはエトナの隣に移動して慰めるように頭をなでている。同じ呪われた者同士だからか、アリシアのエトナへの接し方は姉妹のようなものに変わっていた。


 僕はその傍らでひっそりと魔眼を発動させ、エトナの様子を観察する。

 エトナとの契約以降、僕は魔眼を意識するだけで自在に発動できるようになった。眼鏡をつけ外しする必要がないので周囲に気付かれず、こうして魔眼を使うことが出来るのでかなり便利だ。


 魔眼が映し出すエトナの情報は昨晩と大きくは違わない。だが、僕は彼女の身体を走る光の線に微かな変化を発見する。

 ──呪縛の線が一つ、確かに消えていた。

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