夜のまたたき、静かの闇に
季都英司
不思議な夜の世界で遊ぶ二人のお話
月の見えない静かな静かな夜だった。
少女は一人こっそりと家を出る。
どこまでも暗く穏やかな真の夜。
夜を遮る光はここにはない。
風の音も聞こえない、森のざわめきも聞こえない。息をする音がはっきりと聞こえてくる。
こんな日には夜の世界への扉が開くって聞いたことがあった。だれが言っていたことだろう。母親だっただろうか、それとも話し好きの祖母だったろうか、はたまた友達の噂話だったか。
少女はその話を聞いてからと言うもの、夜の世界に行くことに心から憧れていたのだった。
夜の世界の扉を開く方法は簡単。
月の見えない晩に外に出て、最も影の濃い場所を探し、柊を編み込んだ冠を頭にかぶって強く目をつぶる。
そして片手を前に。3つ数える。
たったのそれだけ。
少女は家の周りを見回し影の濃い場所を探した。大きな樹の影が二つ重なる場所がこの辺りで最も影が暗そうだった。
影が重なる最も暗い場所の上にそっと立つ。
そしてぎゅっと目を閉じた。
――1、2、3。
3つ数える。
これから起こることにドキドキしながら、最後の儀式、右手を前に出した。
誰かが少女の手をつかんだのがわかった。
少女は激しく驚いたが、なんとか動揺を抑えて動かないままでいられることが出来た。
そんな少女の心の中に声がひびいた。
『ようこそ、僕は夜の世界の案内人。君は夜の儀式を行った。だから君はこの世界に来る資格を得た』
男の子の声だ。たぶん歳は少女と変わらないくらい。優しい声だと少女は思った。
『君たち昼の住人が、夜の世界に来るためには二つの約束がある。それは《はなさないで》ということ』
『1つ、僕の手をけっして離さないこと。夜に迷ってしまうから』
『2つ、けっして声で話さないこと。夜が驚いてしまうから。僕に話しかける時は心で思ってくれればいいからね』
そんな声がした。
少女は驚きながらも、期待していたものが現れたことに感動していた。噂は本当だったんだ。
『約束できるかい?』
少年の声に少女はこくんとうなづく。
約束通り声は発しなかった。
『なら、契約は成立だ。さあ目を開けて。夜の世界が見えてくるよ』
少女は声に従い目を開けた。
そこには違う夜があった。
同じように暗いのに、
同じように静かなのに、
すべてが違う夜の闇。
これまでが色のない灰色の闇だとすると、この場所は深い深い海のような青の闇。
静かで静かで、でもさみしくはない暖かい闇。
そんな不思議な夜だった。
素敵な素敵な夜だった。
少女の右手の先には、少年の手があった。握手じゃなくて手を引いてくれる先導者の手のつなぎ方。少年は夜の闇にも負けない濃い黒の髪で、闇のように深い青の服を着ていた。
少女とつながっている手には、夜を固めたような色の宝石が付いた指輪が飾られていた。
『さあ、行こう。夜の世界で遊ぼうよ』
少女は笑顔とともに『ええ』と心で答えた。
少年が手を引き走り出す、少女も併せて走る。
これから始まる冒険に胸が高鳴った。
夜の世界は不思議なことだらけだ。
少年は最初に夜の森を案内した。
鋭く青い瞳をした真っ黒なフクロウのような鳥が音も立てずに飛んでいる。
『あれは夜の賢者だよ』と少年が教えてくれる。
黒く透き通るクラゲのような生き物が、あちこちにふわふわと浮いていた。
『闇の月って呼ばれてる生き物だよ。おとなしいから触ってごらん』
少年の言葉を聞いて、少女が目の前に浮いてきたクラゲを指でつんとつつくと、驚いたように縮んだり広がったりして忙しそうにぐるぐると回った。とてもかわいらしいと少女は思った。
『夜の空を飛ぼうよ』
少年は言うと浮かんだ。
『私は飛べないわ』と少女が言って。
『大丈夫任せて』と少年が言った。
少年が手を引くと、少女の足が影の地面からふわりと浮いた。重さがなくなったみたいだった。
どこまでも高く飛ぶ。
少年が夜の世界を教えてくれる。
『あれがさっきいた夜の森、あっちが影の平原、そしてあっちが……』
そんな感じで飛びながら案内をしてくれた。
どこも不思議でとても楽しかった。夢を見ているようだと少女は思った。
夢なのかもしれないとも思った。
次に少年は速度を上げて自由に夜の空を飛び回る。風を切るような感覚がとても気持ちよかった。
月はなく、星もなかった。ただ深い夜がそこにあった。いつもあるものがないのは不思議だったが、それでも足りないとは思わなかった。
『素敵な場所を見せてあげる。夜の世界で一番綺麗な場所』
『ほんとに? とっても楽しみだわ』
少年は少し飛んだ先で降り、少女もゆっくりと着地する。少しだけ飛んでいる感覚がなくなるのが惜しいと思った。
そこは岩山のようだった。真ん中に大きな四角い岩がはまっている。扉のようだ。
『ここは《星の生まれる場所》。君たち昼の世界の夜に見える星はすべてここで生まれるんだ』
『お星様がここで生まれるの?』
心の会話にも慣れてきた少女が驚きながらも問う。
『ああ、驚くよ」
少年が岩の扉に手をかけると、岩がすっと横に動く。やはり音は立てなかった。
いりぐちの先には狭い通路が伸びている。
少年に手を引かれて、狭い通路を少し行くと、その先に広い空間があるのがわかった。
『さあ、ここだ《星の生まれる場所》だよ』
少年が先を促し、少女が前に出た。
――夜の中に輝きが見えた。
深い深い闇の中に、小さな瞬く光があった。
これが星なのか、と驚き少女は目を見開いた。
『これは生まれたばかりの星の赤子。これから大きくなって、いつか君たちの世界の空に輝くようになるよ』
少女は星たちを眺める。
瞬きは眠る赤子の安らかな息のリズムに見えた。
穏やかに、そして優しく。
希望といつかの輝きを感じさせる小さな光だった。
少女は、なにげなく一番近くの星に触れる。
星は触れられたことに気づいたのか、またたきが早く強くなった。
『!』少年の驚く心が聞こえる。
少女が触れた星を中心に、他の星も同じようなリズムで強く早く瞬きをはじめた。
まるで泣いた赤子が連鎖していくような、そんな命の鼓動に見えた。
その景色はとても綺麗で壮大で。
宇宙を間近で見ているような、そんな感動があった。
「わあ、なんて素敵なの!」
少女はその光景に思わず声を出してしまった。
『あ! 話してはいけない!』
少年の強い心の声が聞こえた。
少女の声が夜の世界に響くと同時に、少女の周りから夜の闇が、まるで波がひくように離れていく。
『手を離さないで!』
少年の声が届くが、闇がひいたことで二人の世界が離れていくのが少女にはわかった。
『待って! 私はまだここにいたい!』
強く少年の手がひかれ、少女の手が離れそうになる。
『……く、だめだもう持たない! 残念だけど、契約は破られた。夜の扉は閉じられる』
『そんな、でも私はまだ!』
『僕の指輪を』
「指輪をどうすればいいの!?」
もう少女に心の声を出す余裕はなかった、声がひびくたびに世界が元に戻っていく。
『これは夜石の指輪だ。これを持って行けばきっとまたいつかこの世界の扉が開く』
少女はつないだ手が離れそうになるのをぎりぎりでこらえて、少年の中指にあった指輪をつかむ。
「ありがとう、楽しかった! またいつか!」
『……ああ、……ま、た、……いつか、夜の。世界で、君と……』
少年の声は次第に遠ざかり、いつしか聞こえなくなった。嵐のような激流の中少女は意識を失った。
…
……
………
少女は目を覚ました。
少女は自分のベッドの中にいるのに気づく。
辺りにはいつもの自分の部屋の景色だけ。
窓の外には明るい日差しが見えていた。
ふと頭に手をやると、かぶっていたはずの柊の冠はなかった。
夢だったのかな。と少女は思う。
少しの悲しさで手を強く握りしめる。
違和感があった。
右手を開くとそこには一つの指輪。
それは深い深い青の石のはまった指輪。
あの少年が持っていた夜色の指輪だった。
それはあの夜の世界が確かにあった証拠だった。
少女は微笑む。
指輪を指にはめてみた。
この指輪は約束。いつかまた夜の世界の扉を開こう。
少女は次こそはと誓う。
もう、はなさない、と。
夜のまたたき、静かの闇に 季都英司 @kitoeiji
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