【KAC20245】細川忠興異聞

涼月

第1話

 天正十年六月二日未明 本能寺の変


 その一報が館へもたらされた時、細川藤孝の対応は早かった。直ちに剃髪し信長への弔意を示し、家督を忠興に譲り隠居。お陰で領国である丹後南半国は護られた。

 若くして丹後宮津城主となった忠興だったが、その心の内はぶつけどころのない怒りや悔しさ、悲しみと葛藤が渦を巻き今にも決壊しそうになっていた。


 義父上、何故だ?

 何故謀反等という無謀なことを?


 乱世の武将の家に生まれて、常に戦いと陰謀に明け暮れてきた忠興にとって、天下統一へと邁進する織田信長に仕える事は単なる処世術の一環では無かった。


 早く戦を終わらせて富む国を作りたい。

 海の外の国に対抗できるくらい豊かで強い国に。


 そのためには、信長の慧眼と求心力が必要だと思っていた。


 そんなことは、義父上が一番分かっておられたはずなのに。


 忠興は穏やかで博識な明智光秀の顔を思い浮かべた。己の利益よりも民人のための政をいつも考えている人が、何ゆえ今、挙兵したのかはどんなに考えてもわからなかった。


 所詮、この世に安寧は無いのかもしれない······


 静かに障子を滑らせれば、平伏し待つ妻、珠の姿。今や謀反人となってしまった明智光秀の三女である。


「おかえりなさいませ、忠興様」

「ああ」

「ご当主就任、おめでとうございます」

「そうか。もうそなたの耳に入っているのだな」


 力無くそう呟いた忠興に、顔をあげた珠は気丈にも微笑み返してきた。


「離縁、してくださいませ。ただ、願わくば長(長女)と与一郎(長男)のことだけはお救いいただけたらと」

「珠」


 忠興は静かだが毅然とした声で珠の言葉を遮った。


「私はそなたを心から好いている。故に離縁するつもりは無い」

「それは無理というものです。私の父は謀反人となりました。そのような者を離縁せずにいればお家の存亡にも関わる一大事」

「だが、帰れば死しかない」

「私とてわかっております。でもそれが、この世の決まり事。幼き頃より覚悟を決めるよう教えられてきましたので」

「私は」


 忠興はそこで少し逡巡し、珠の瞳を見つめた。聡明で貪欲、時に己の信念に真っ直ぐな意思を湛えたその眼差しに、忠興は何度も救われてきた。


 だから、絶対に手放せないと思った。


「表向きは離縁して味土野へ幽閉という事にする」

「······」

「だが、そなたは織田方にいつ何時狙われるかわからない身。私が駆けつけやすいところへ送り届ける」

「旦那様、それでは武将の家に生まれた者として、私は恥を抱えることとなりましょう。潔く死なせてください」

「だめだ!」


 思わず珠の手を取り引き寄せる。骨が軋むかと思われるほど、強く強く抱きしめた。


「義父上の後を追いたいのはわかっている。誇り高きそなたに、武将の娘としての本懐を遂げられないことが、どれほど無念で屈辱的なことなのかも。それを強いる私を疎ましく思うだろう事も」


 握る手に力を込め、忠興は懇願する。


「それでも、私はそなたを生かす。そして、それが当たり前の世を作る」

「旦那様······それは、戦乱を終わらせたいということですか」

「その通りだ。私はこんな権謀術数で回っているような世を終わりにしたい。でも、私一人では無理だ。そなたに支えてもらわなければ······」


 珠の瞳に諦めと共に浮かんだのは、微かな希望。


「新たな世を作ってくださるのですね」

「ああ、だから、頼む。私を信じて欲しい。信じてこの手を絶対に離さないでくれ」



 連戦に次ぐ連戦の日々の合間を縫って、忠興は船井郡三戸野へ幽閉した珠の元を度々訪れている。

 二年後、秀吉によって珠を細川屋敷に戻す許可を得ても監視の目は怠らず妻を偏愛し続けた。

 その一方で、柔軟に世相を読み取り主君を変えつつも、やがて天下統一後の江戸時代を見届けてから亡くなっている。


 この時生かされた珠だったが、天下分け目の合戦の頃、人質になる事を拒んで壮絶な死を遂げてしまった。

 忠興の悲しみは深かったが、珠(細川ガラシャ)の意思を尊重して教会葬にも出席している。



 勇猛果敢、時に残虐、ヤンデレ。

 様々なエピソードの残る忠興だが、晩年は角が取れて丸くなったと言われている。そして茶にも精通し異国の文化にも敏感な文化人でもあった。

 もしかしたら、それが本来の彼の姿で、その他は戦乱の世を生き延びるためのパフォーマンス、情報戦だったのかもしれない。



          了

 

 


 

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