『はなさないで、四ノ宮君』KAC20245

ヒニヨル

『はなさないで、四ノ宮君』

 ——僕の顔がノッペリしてるやて? 何言うてんねん——自分の顔鏡で見てみぃや、で? ——んな訳あるかい!


 よく寝た。んん。あれ、いつの間にか授業終わってる? 誰かがスマホでお笑い動画を見ている。


 俺は欠伸をしながら、黒板の上の時計を見た。今日の四時間目にはお楽しみがある——俺は思わずニマニマ笑う。その前に、一服しておきたいッ。ポケットを探ったが、中身がカラの箱が出てきた。しょうがない、拝借に行こう。


「夜君、おはよう」

「よく眠っていたね」

 近くの席の女子が、面白そうに半分笑いながら俺に声を掛けてきた。

「おはよう。校長室行ってきまぁす」

 そう言うと、俺は女子に手を振って教室を後にした。


 普通、生徒は校長室なんて出入りしないだろう。でも俺はする。はいつも教室では無くて、校長室にいらっしゃる事が多いから、鞄もそこに置いてらっしゃるのだ。


 目的地に到着すると、俺は扉をノックした——案の定、中からの返事は無い。だいたい、休み時間は誰もいない事が多いから、形だけの礼儀。

「失礼しまぁす、誰もいませんねぇ」

 俺は忍びのように辺りを見回すと、目の前の椅子に置かれていた犀川先輩の鞄に近づいた。それを手早く開けると、内側にある奥まったポケットから、一本だけ使用された形跡のある煙草を箱ごと抜き取った。制服のポケットにしまう。任務完遂。


 その時、背後で扉が開く音がした。俺は振り返る。珍しい人の登場だ。

「夜君来ていたんだね、こんにちは」

 鳥尾校長先生。お爺さんというには若く、おじさんと言うには落ち着きすぎている。俺の実のお婆ちゃんのような眼差しで、こちらを見ている。


「こんにちは、校長先生」

 俺はポケットから手を出しながら、挨拶をした。何と無く、この校長、優しい顔をしているけど怖いんだよね。昔、札付きのワルだったという噂は、実話なんじゃないかと思っている。目が細くてどこを見ているのか分からないけれど、時々ギョッとする視線を感じるんだよね。


「犀川君は不在かな?」

「そう見たいですねぇ。俺も行きますねッ」

 もうここに要は無い。早く退散しよう。そう思った俺の肩に、鳥尾校長先生は手を置いた。何ッ、何ッ。


「夜君。喫煙は大人にバレないように、こっそりお願いします。あと、校舎裏によく吸い殻が落ちています。あれは良くありませんね? 風紀も乱れますから……」

 最後の一言を終える時、鳥尾校長先生はいつもの皺のような目を見開いて、俺の方をギロリと見た。怖ッ! 思わず顔がひきつった。


 俺の様子を確認すると、校長はまたいつものお婆ちゃんの眼差しに戻った。そして自分の胸ポケットから取り出したものを俺の手に握らせた。

「これをあげますから、使って下さい」

 手渡された物は携帯灰皿だった。

「……ありがとうございます」

 鳥尾校長先生の前では、俺は不良になれない。


「そうそう、夜君。先日面白い海外の映画を観ましてね。もし良ければ私のオススメ聞いていきませんか?」

 校長先生の話長いんだよね、四時間目には出なきゃだし、一服出来なくなっちゃう。

 俺は滑舌良く、ハキハキした小学校低学年のような声で言った。


「校長先生ごめんなさい。俺は今アダルトビデオにしか興味がありません」


 鳥尾校長先生は少し残念そうな顔をしながら「それは仕方ありませんね。またいつでも聞きに来て下さいね」と言った。

 俺は礼儀正しくお辞儀をすると、校長室を後にした。


 ※


 一服し終えて、廊下を歩いていると、正面から内股気味の女子がこちらへと走ってきた。


「あれ、ゆきちゃん。美月ちゃんは一緒じゃないの?」

 俺の彼女、美月ちゃんのお友達の幸ちゃんだ。彼女はいつも肩にオカメインコを乗せている。このオカメが雄か雌かは分からないが——ひっそりと手際良く、かつ大胆に、美月ちゃんのゆとりの無いブラウスのボタンをはずす芸当と男気を、俺は買っている。


「美月ちゃんから、頼まれていたの」

 幸ちゃんはそう言うと、二つに折りたたまれた紙を俺に渡した。それを開くと、タヌキ? ネコ? アライグマ? が描かれたファンシーなメモ紙にこう書かれていた。


 夜君へ

 お腹が痛いので、今日は早退します。

 また一緒に帰ろうね。 美月


「ありがとう、幸ちゃん」

 俺がお礼を言うと、幸ちゃんは内股気味に一年二組の教室の方へ走って行った。


 美月ちゃんはスマホで簡単にメッセージのやり取りが出来ると言うのに、時々こうしてメモ紙でやり取りしたがる。そこが何と言うか、照れ屋で恥ずかしがりな美月ちゃんらしくて、俺は好き。

 それにしても美月ちゃん、女の子の日かぁ。残念——俺はポケットからスマホを取り出すと、美月ちゃんにメッセージを送った。


 美月ちゃんへ

 幸ちゃんからお手紙受け取ったよ。

 元気になったら、愛し合おうね。


 美月ちゃんからの返事はすぐに届いた。


「夜君のえっち」

 ……だってさ。スマホの画面の前で、頰を染める美月ちゃんの姿が浮かぶ。はぁ、可愛い。


「夜先輩、ひどい顔ですね」

 急に低い声がして、俺は現実に引き戻された。声の主は四ノ宮君だった。

 彼は以前、いじめられていた所、俺が助けてあげた縁でよく話すようになった。あの一件以来、いじめられる事は減ったらしい。

 気のせいか、最近俺に対して少々態度がでかいような気がする。ちょっとからかってやろう。


「美月ちゃん、今日は早退しちゃったんだってね」

「ご存知だったんですね」

 四ノ宮君はそう言いながら、眼鏡のフレームを触った。俺は廊下の窓の桟に手をつきながら、

「女の子って大変だよね。月一のアレ」

 と言って、チラッと四ノ宮君を見る。彼は赤面している——ウブだなぁ。俺は再び窓の外を眺めながら言った。

「俺も、俺の“あいぼう”もションボリだよ。だから、元気になったら愛し合おうねって、メッセージを送っていたんだ」

 返事が無いので振り返ると、そこに四ノ宮君は居なかった。


「なんだ、怒っちゃった? 何も言わずに行っちゃうなんて」

 俺は眉尻を下げて、ニヤッと笑った。



 四時間目が始まる。

 俺は今日、と言わず毎授業、この時間をとびきり楽しみにしていた。わざわざ毎回、黒板の真ん前の席にいるヤツに、この時間だけ席替えを頼んでいるくらいに。


 授業の始まりを伝えるチャイムが鳴る。教室の扉が開いて、ヒールの音と共に、白衣の女性が入ってきた——学校一の美人人妻教師、日本史の豆子先生。

 クラスの男どもが色めき立つ。何とも形容し難いめちゃくちゃ良い匂い。長い白衣の中からチラチラと見える、谷間と太もも。教師なのにそんな格好で良いの? という疑問は、この際置いておく。


 日本史の先生なのに、どうして白衣を着ているかって? 女子が質問しているのを聞いた事がある。なんでも、チョークの粉でスーツが汚れるのが困るかららしい。

 身体のラインがありありと分かる、タイトなスーツ姿も堪らないけど——その上から白衣を羽織るだけで、豆子先生の大人の魅力が増して見える。

 俺は先生から、裸よりも、着衣によるチラ見えと妄想のエロスを学んだ。


「前回は、53ページまで進みましたね。夜君?」

 豆子先生が黒いストレートの髪を耳に掛けながら、俺の教科書を覗き込む。より強い芳香と、谷間が近づく。俺は思い切り息を吸い込み、鼻の中に蓄えたまま頷いた。


 豆子先生は授業を進めながら、チョークで黒板にスラスラと綺麗な字を綴っていく。先生は書くのが早いので、一通り書き終えると、生徒が板書を終えるまで椅子に座って待つ——この姿が堪らないッ。

 美しい御御足おみあしを、惜しげもなく俺の前で組みかえる豆子先生。手には伸縮自在の指示棒。時折その棒で、黒板を指し「ここはしっかり頭に入れて置いて」とややSっけのある声で言う。先生が足を組みかえるたびに、生唾を飲み込んでいるのは俺だけでは無いはずだッ。


「みんな書き終えたかしら」そう言った豆子先生は、立ち上がる時に指示棒をうっかり落とした。それを拾おうとして前屈みになる——俺の前に豆子先生の谷間。思わずじっと見入ってしまう——あ。拾い上げた先生と、俺は目が合ってしまう。俺はガン見し過ぎてしまった。


「夜君……」


 豆子先生の指示棒が、机の下の俺の下半身を指している。

「張るのはココじゃなくて、試験の山にして下さい!」

 シーンとした教室に、先生の冷たい声が響く。俺はガタッと音を立てて立ち上がった。


「豆子先生ごめんなさい。夜君はもよおしたので、お手洗いに行ってきますッ」


 背筋をピンと伸ばして一礼すると、俺は猛ダッシュで教室を飛び出した。



 恐るべし、人妻教師。

 俺は男子トイレの個室で“あいぼう”としっかり向き合うと、豆子先生に「イカくさいわね」と罵られないように後始末をして出た。


「一服してぇな」


 とりあえず、今日の午前中の一仕事は終わった。俺は人気ひとけの無い廊下を歩き、いつもの場所へと煙草を吸いに行った。



 教室に戻ろうとした時、家庭科室の前で鳥尾校長先生に出会った。


「夜君、私がプレゼントしたものを使っていますか?」


 まさか一日に二回も遭遇するなんて。いつも学校を空けて、国内外飛び回っている校長だから、リモート出勤が常だと犀川先輩が言っていた。

 こんなに合うなんてッ。まだ授業中なのもあって、少し気まずい俺。


「ちょうど良かった。家庭科室でお昼ごはんに焼きうどんを作りましてね。犀川君の分も作ったのですが、今日は彼、お弁当を持参していたそうで。良ければ一緒に食べませんか?」


 俺が授業をサボっている事に触れない校長。それにしても焼きうどん? 俺、うどん大好きなんだよねッ。お腹もちょうど空いてきたから「食べますッ!」と勢いよく返事をした。


 家庭科室に入ると、とても旨そうな匂い。でもちょっと、俺の思っていた焼きうどんの香りと違うような。焼きうどんだよね?


「ここに座って下さい」


 鳥尾校長先生が椅子を引く。俺が席に着くと、校長は料理に最後のアレンジを加えて——俺の前に白い器を置いた。


「校長先生、これは焼きうどんですか?」

「これはYAKIUDON(※)です」


 白い器に盛られた焼きうどんは、フレンチ? イタリアン? にしか見えないフォルムをしていた。どういう事、俺、もしかして鳥尾校長先生に試されてるッ?

 俺はドキドキしながら、焼きうどんに見えない焼きうどんを食べる——旨いッ。見た目だけでなく、味のクオリティも高い気がするッ。


 その時、誰かが家庭科室の扉をノックした。現れた人物に、俺は焼きうどん以上にドキドキしてしまう——犀川先輩!


「校長先生、昼食中に失礼します。ご相談したい事がありまして……」


 先輩は眉目秀麗、成績優秀な好青年だが、ここでは大きい声で言えないような裏の顔を持っている。あからさまに一瞬、眉根を寄せた犀川先輩だったが、校長先生がいる手前、俺に何も出来ない。

 早く焼きうどんを食べ終えて、退散しよう。


「校長先生。資料のこの部分ですが、もう少し経費を抑える事ができると思いますが」

「ああ、その部分は——」

 と会話を始める二人。え、犀川先輩って、この学校の経営面に口を出してるの? 詳しい内容は聞いていてもよく分からないけど、生徒と校長がする会話じゃないでしょッ。


「もしよろしければ、僕のポケットマネーからご融資しましょうか?」


 何となく、俺はここに色んな意味で長居してはいけないような気がする。慌てて焼きうどんを口の中に収めると、俺は頬張りながら手を合わせてご馳走様をした。

 なるべく音を立てないように、立ち上がると、そそくさと家庭科室を後にした。


 ※


 いつチャイムが鳴ったのか——緊張感があり過ぎて分からなかった。廊下には生徒たちの姿。自販機で飲み物でも買って、一服しに行こうかな。


 ゆるゆる廊下を歩いていると、お弁当らしきものを持った四ノ宮君に出会う。

「夜先輩」

 そう言った彼の顔は、やや嫌そうだ。

「随分俺のことを煩わしい顔で見るんだなッ。いつぞや四ノ宮君を助けてあげた、命の恩人の夜先輩だぞッ」

「それはもちろん、感謝しています」

「そういう顔に見えないなぁ」

 俺はひどく落ち込んだ表情をして見せた。すると「す、すみません……」と四ノ宮君は申し訳なさそうにする。


「まあ、いい。自販機でコーラ買ってきてくれたら許す!」

 俺がそう言った時だった。廊下の端から凄まじい殺気を感じた。振り返るとそこには犀川先輩ッ。うわぁ、めちゃくちゃ怒ってるッ。お怒りの理由は、今朝の煙草だけじゃない。色々と心当たりがありすぎるッ。


「夜君、君という人間は……!」


 思った以上に犀川先輩は速く、すぐ側まで迫っていた。逃げ切らないッ。俺は先輩に襟首を掴まれたのと同時に、四ノ宮君の右腕を掴んだ。


「前回のお仕置きでは足りなかったようですね!」


 見た目に反して、その言葉にはかなりの怒気をはらんでいる。目力が強過ぎて、直視なんてできないッ。前より怒ってるッ。


「……四ノ宮君」

 ギュッと、四ノ宮君の腕を掴んだ手に、力を込める。犀川先輩が俺を引っ張る。最早頼みの綱は、四ノ宮君の腕しか無いッ——それなのに。ヤツはおもむろに俺の手を握ったかと思うと、指を一本一本引き剥がし始めた。


「はなさないで、四ノ宮君」

「夜先輩、僕お昼ごはんがまだなんです」


 四ノ宮君はすがりついていた俺の最後の指を剥がすと、手を振った。


「し、四ノ宮君ッ。俺と昼ごはん、どっちが大事なんだよッ! 恩知らず! お前は恩知らずだッ!」

 大声で俺は叫ぶ。そんな俺に「シャラップ!」と犀川先輩は嗜めると、掴んだ襟首に一層力を込めてズルズルと引き立っていった。



     Fin.




※鳥尾校長先生が作られたYAKIUDON写真はこちらから。(鳥尾巻さまの近況ノートに飛びます。笑)

https://kakuyomu.jp/users/toriokan/news/16818093073654243635









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