曼珠沙華 -陸-

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 ──鷹彦は、瞼を開けた。

 無事祝言を挙げて、小春と夫婦になり、幸せな日々を過ごす場面だった。


『鷹彦様。おはようございます。朝餉あさげが出来ておりますよ』


 小春は、手際よく料理をしながら振り向き、可愛らしく微笑んで、鷹彦を見つめてくれる。鷹彦は、この幸せな時間が永遠に続けばいいと思いながら、微睡みに落ちていった。


『お寝坊さんですね、鷹彦様』


 やがて小春は鷹彦に微笑みかけ、優しく抱きしめてくれた。

 しかし、夢の中の小春が鷹彦に触れた瞬間、彼はこれが夢だと気づいてしまった。


 彼は自分の全身が毒であることを思い出し、小春と触れ合うことができないはずだという事実を直視せざるを得なかった。


「小春……」


 鷹彦はこれが儚い夢だと知りつつも、小春を抱きしめ返して、涙を流した。

 小春は、優しく鷹彦の頭を撫でながら、『鷹彦様。いつまでも、お慕いしております』と言い、その言葉と共に彼の腕の中から溶けるように消えていった。


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 鷹彦は、夢から覚めると、山奥の村に転がる村人の死体を目にし、最愛の小春がもう死んでいることを受け入れざるを得なかった。


 ザアザアと雨が降りしきる中、鷹彦は左腕で村人の遺体を担いで、穴を掘り、墓地に埋葬した。

 本来ならば、荼毘に付すべきだったかもしれないが、雨が降っていて火をつけることができなかった。

 鷹彦は、親切にしてくれた山奥の村の村民一人一人の名前を呼びながら、土に埋めた。彼は自分が彼らに対してできることがそれしかなかったことを責めた。


 そして、鷹彦は白無垢の姿の小春の遺体を抱きしめた。彼は必死に山の木を切り倒して簡易な棺を作り、小春の遺体を優しく入れた。

 小春の額に口付けを落とし、彼女の冷たい肌に触れる。

 最後に、鷹彦は左手で小春の頬を撫でて、棺の蓋を閉めた。



 村は、夜行独尊やぎょうどくそんや血の匂いに惹かれて来た妖怪の襲撃によって荒廃している。鷹彦は、小春や村民たちの遺体が獣に荒らされる可能性があることを考えた。

 鷹彦は、ふと、村の隅に曼珠沙華まんじゅしゃげが咲いているのを見つけた。

 この曼珠沙華は、鷹彦に寄生している妖花ようかではない。ごく普通の曼珠沙華はなであったが、その毒性によって、鼠や土竜もぐらなどを寄せ付けにくくなる効果を持っていた。

 彼は曼珠沙華を集めてきて、小春や村民たちが眠る墓地の周りに植える。

 

 鷹彦は、もう誰もいなくなった村を墓場から見つめながら、小春との日々を思い返した。

 彼がこの村で過ごしたのは半年程の時間であったが、それでもささやかな思い出が、村の各所を見る度に鮮明に思い出せた。鷹彦は、小春と共に過ごした家を見つめて、静かに涙を流していた。


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 小春の墓の傍で、鷹彦は孤独な時間を過ごしていた。彼は誰もいなくなった山奥の村で、小春の墓守をして過ごすことも考えたが、心の奥底でそれは逃げであると感じていた。小春と村の人々を襲った夜行独尊を放っておけば、更なる被害を出してしまうことは容易に想像がついた。鷹彦は、小春と村の人々の仇を討つため、そして、こんな悲しみを背負う人を一人でも減らすために、命に代えても夜行独尊を討つことを決意した。

 

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 鷹彦は、村を発つ前に、岩を運んできて、村人全員と小春の名前を彫った墓標を作った。粗い作りであったが、それでも、ここに大切な人たちがいたことを形として残しておきたかったのだ。彼は墓標を見つめながら、もうこの地に戻ることは出来ないかもしれないと思いつつも、それでも、夜行独尊を倒すための旅に出ることを決意した。

 

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 墓標が風に吹かれる中、鷹彦は村の風景を最後に目に焼き付けた。彼は村人たちとの思い出を胸にしまい込み、夜行独尊との戦いに向かう覚悟を決めたのだった。そして、彼の心には、小春の優しい笑顔と、村人たちの温かい声が響いていた。


 鷹彦は、山奥の村を発つ前に、たったひとつだけ、小春の形見を持って小春と過ごした家を出た。

 たったひとつだけ持ち出したものは、小春がいつも大切にしていた、簪だった。可愛らしい花の意匠の簪は、小春によく似合っていて、それを褒めると、小春は照れくさそうにはにかんだ微笑みを浮かべてくれた。

 

 鷹彦は、小春のことを思い出すと、胸が締め付けられるような苦しい気持ちになる。冷たくなった小春の重みは、鷹彦の腕にまだ残っていた。彼は小春を失った悲しみと痛みを抱えながらも、それでも、旅立つことを決意した。


 鷹彦は小春の簪を左手に握りしめ、その小さな花の装飾を見つめた。その瞬間、小春の優しい笑顔が鷹彦の心に浮かび、彼の悲しみを和らげるように感じられた。



 小春の思い出とともに、彼は村を後にした。

 


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絢爛妖花 -けんらんようか- ジャック(JTW) @JackTheWriter

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