雨あがりの夜に

朝吹

雨あがりの夜に

 

 舗装された道路が雨の跳ね返りで爆ぜるような音を立てている。ゲリラ豪雨なんて風情がない呼び名だが、先刻まで晴天だったことを想うと、巧いことをいうものだ。

 時ならぬ大雨に避難してきた人たちでコンビニは混んでいた。滝のような大雨も、少し辛抱したら晴れるのだ。アプリケーションの雨雲レーダーが突然告げる雨の襲撃に、俺たちはすでに慣れてしまった。

「ゲリラ豪雨なんて、私たちの頃は夏だけだったわ」

「夕立と間違えてるわよ、あなた」

「春にこんな強い雨なんて何度も降らなかったわよ。さかりの桜もこのスコールで全て散ってしまうのよ。昔とは違うわ」

 近くにいる老婆たちが大荒れの外を眺めながら声を潜めてそんな話をしている。回顧には少し哀しい色がつきまとう。昔の春の嵐はもっとやさしかったそうだ。


 ウーウーウー。

 遠くで防災サイレンが鳴っている。増水するので水路に近づくなというお知らせだ。豪雨対策で暗渠を拡張したり掘り下げてはいるが、毎年のように何処かが氾濫して道が水没してしまう。かくいう俺も、田舎に暮らしていた子どもの頃に小川に落ちて、ランドセルごと流されそうになったことがある。

「掴まれ」

 あわやというところを、農夫が腕を伸ばして堤に引き上げてくれたが、その時の恐怖体験には何故か、一緒にいた子どもたちの悲鳴とともに、桜の雨が降っている。きっと土手に咲いていたのだろう。


 アプリのお知らせはあと五分もすれば雨が止むことを告げていた。春休みは帰省せずに大学のあるこちらに残ってバイトを掛け持ちしている。立ち読みだけでは店に悪いので、飲料を何本か買ってから出よう。

 誰かが肘を掴んだ。斜め下を見た。子どものつむじが見える。

 俺は読んでいたバイク雑誌を片手で棚に戻した。

 店内を見廻した。保護者らしき人間はいない。六歳くらいの子だ。

 子どもの澄んだ両目が俺を見上げている。

 立ち読みしていたのがエロ系じゃなくて良かった。そんなことを考えていた。


 

 ただいま、と声をかけるのは毎回何だか恥かしいが、鍵を開けて「ただいま」と大声を出した。

「おかえりなさい」

 ベルはテレビに向かってゲームをしていた。

 コンビニから連れて帰った子どものことはベルと呼ぶことにした。昔、実家で飼っていた猫の名だ。最初はもっと洒落た名だったのだが、首輪につけた鈴が釣鐘型で、鈴というよりはベルだったからそうなった。

「遅くなってごめんベル。意外と病院が混んでた」

 この季節特有のアレルギー症状をおさえる薬を、俺は子どもの手が届かないクローゼットの上に置いた。

「大丈夫?」ゲーム中のベルがくしゃみをする俺をちらりと見た。

「うん。毎年のことだから。それよりも、買ってきたよ」

「これが本当のショートケーキ」

「どら焼きも」

 お前は猫型ロボットかというほど、ベルはどら焼きが好きなのだ。

 苺の隣りにろうそくを一本立てた。『お誕生日おめでとう』のプレートもつけたから本当に誕生日のようだ。床に落ちているちらしは区内の菓子店のもので、裏面がケーキの塗り絵になっている。ベルが色鉛筆の青や緑で苺やケーキを塗っているのを見て、「待て。それ違うぞ」と本物のケーキを見せてやる約束をしたのだ。ケーキも知らない子ども。

 さて、皆さん。

 男子の夢は独り暮らしの家に女の子をお持ち帰りすることですよね。異論は認めません。

「ケーキ美味しい」

「よかったな」

 だけど相手が六歳くらいの児童です。残念。

 

 雨上がりの夜、ゲームばっかりしてんなよとベルを連れ出して、家の近所を散歩をしていた。真珠のような月が浮かび、流れる蒼い雲が虹色を帯びている。「桜が残ってる」とベルが指す方を見上げれば、確かに夜桜が枝先にしがみついて咲いていた。

「あの雨に持ちこたえたとは、偉い」

 黒く濡れた枝からのぞく一握りの桜を感心しながら眺めていた俺は、いいことを想い付いた。近年気候変動がはげしいが、東北地方ではまだ、桜や木蓮が肌寒い春を飾って野山に咲き続けている。

「ベル、北国に行ってみようか」

 帰宅をいそぐ人の影。行くところも帰るところも無いのなら俺のところにいればいい。

「こっちにおいで」

 雲が夜空を流れる。氷水のような風の匂い。ネットの画像をベルに見せて、行きたい処を選んでもらおう。

 お別れする時はこうなるような気がしていた。振り返ると桜の木の下からベルの姿は消えていた。


 どうしたの。家はどこ。

 家は探しているところ……。


 ウーウーウー。

 防災サイレンが鳴っている。春だった。雨が降っていた。あの日と同じコンビニに立ち寄る。なにも期待していないが、必ず一度は、入り口近くの雑誌の棚の前に立つ。

 はなさないで。

 また豪雨がくる。庭においた植木鉢を主婦が家の中に取り入れる。

 ベルは夜風に乗って去ってしまった。雨で路上に落ちて排水溝に流されてしまう前に、花粉は人から人にくっついて、受粉先まで移動するんだと。

 いつかまたあの子が現れて、どら焼きを欲しいと云うかもね。

 

 

[了]

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雨あがりの夜に 朝吹 @asabuki

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