はなさないで

新巻へもん

スリーアウト

 佳奈は女の子にしては活発な子だった。

 保育園に預けるときもお着替えは必須で、行きと帰りで同じ服装だったことはない。

 公園に遊びにいくと本人の十倍以上高いところからスタートする滑り台もへっちゃらだし、男の子に混じってターザンロープを何十回も繰り返して遊んでいる。

 興味を引かれると脱兎のごとく走っていってしまうから、道路では絶対に手をつないでいる必要があった。

「路上では絶対に手を放さないで」

 それを繰り返し言い聞かせていたのに、スーパーマーケットからの買い物帰りに、夫の克彦は佳奈の手を放す。

 横断歩道に向かって飛び出そうとする佳奈を見て心臓が止まりそうになった。

 両手に持っていた荷物を文字通り放り投げて佳奈を捕まえる。

 キーっというブレーキ音がして佳奈の鼻先に車が止まった。

 運転席でおばさんが目を見開いている。

 へなへなとくずおれながら佳奈を抱きしめた。

 振り返ると克彦はスマートフォンを手にしながら、驚いた顔をしている。

「もうっ。あれだけ言ったのに」

「だって、仕事先からの連絡が。それに歩行者用の信号は青だよ。悪いのは車の方じゃないか」


 この時のことをもっと深刻に考えておけば良かったと後から思う。

 それから数か月後のこと、ショッピングモールで買い物をしてフードコートで食事をすることになった。

 本当は家に帰って食事をするつもりで用意をしてある。

 それなのに克彦が余計な一言を言ったから、佳奈が食べたいとダダをこねることになった。

「ハンバーガーショップの名前を佳奈の前では、話さないで」

 あれだけ私が言ったことを忘れてしまったらしい。

 先に佳奈のハンバーガーセットと克彦のチャーハンセットが出来上がる。

 そのときは、両方とも克彦が出来上がったものを取りに行き、私が佳奈を見ていた。

 二人が食べ始めた後に私のうどんができたことを示す呼び出しベルが振動する。

「ちゃんと佳奈から目を離さないでね」

「ああ。分かったよ」

 ちょっとうんざりした感じで克彦が返事をした。

 私は早足でうどん店に向かう。

 トレーに乗せて席に戻ろうとした。

 柱の角を曲がるまでに30秒もかかっていないはずなのに席には克彦しかいない。

「ねえ、佳奈は?」

 席にがしゃんとトレーを置く。

 スマートフォンをいじりながらチャーハンを口に運んでいた克彦は顔をあげてこともなげに言った。

「ジュースこぼしちゃったから台布巾を取りに行ったよ」

 指さした方角に佳奈はいない。

 私は嫌な予感がして台布巾が置いてあるところに行った。

 いない。

 通路を見渡すと若い男と手をつないでいる女の子の後ろ姿が目に入る。

 赤と白のギンガムチェックのスカートに薄いライムグリーンのTシャツ、肩からはポシェットを下げていた。

 ポシェットは目つきの悪い猫の顔の形をしていて佳奈のお気に入りの奴だ。

 そして、白のソックスにピンクのスニーカー。

 間違いない。

「佳奈!」

 叫びながら私は猛然と走り出した。

 くるりと振り返った佳奈を引きずるようにして男も駆け出す。

「待ちなさい!」

 私は猛然とダッシュした。

 佳奈がビタンと転んでわーと泣き出す。

 男は顔を歪めると佳奈の手を放して逃げていった。

 私は佳奈のところに駆け寄って抱きしめる。

 わーわーと泣く佳奈をあやしていると近くのお店の人がやってきた。

「どうしました?」

「こ、子供が誘拐されそうに……」

 お店の人は急いで店に戻るとどこかに電話をかけ始める。


 その後、警備員がやってきたり、警察官も到着したりして、大騒ぎになった。

 けれども、側にいるべき克彦はやってこない。

 一旦事務所にという話になったときに警備員に呼んできてもらったときは席に座ったままだったと聞いた。

 しばらくして警察から連絡があり、男はいたずら目的だったと聞く。

 その話を聞いたときに犯人に対しては殺意が湧いたが、同時に克彦のことが情けなくなった。

 もう限界だ。

 私は克彦に離婚を切り出す。

 しばらくポカンとしていた克彦はしばらくしてから恨めしそうな声を出した。

「僕を見放さないで」

 私は黙って首を横に振る。

 そして、佳奈を連れて実家に帰った。

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