月夜のカナリア

野村絽麻子

ボクと黒猫とキャラバン

 天空の柄杓の先に乙女座の麦穂星スピカがぶら下がりはじめる頃、ボクらの住む街には隊商キャラバンがやって来る。

 砂漠を渡って遠い異国の地のから現れる彼らは、分厚い絨毯カーペットの上に所狭しと様々な品物を広げて見せる。ささやかな砂漠の薔薇デザート・ローズ、何億年も前の水滴の入った水晶、羽虫の封じ込められた琥珀。蔦模様のからくり小箱、色鮮やかな鳥の羽、何処の街の物とも知れない古びた地図。

 そのどれもがボク達の心を踊らせるので、隊商の時期はどこかそわそわしてしまう。

 テントの中庭で食べる軽食も楽しみだ。不思議な色合いのソーダ水に、異国の香りがする屋台の麺、強烈な甘さの蜂蜜菓子。

 想像するだにする期待ではち切れそうになったボクと黒猫オペラは、準備もそこそこに、まるで転げるように部屋から飛び出した。


 街の広場には砂色のテントが寄せ集まっている。それ自体が一つの街を思わせる佇まいで、ボクらは天幕の一枚を捲り上げると薄暗いテントに潜り込んだ。

 装飾を施されたランプの灯りが内部空間を怪しく照らしている。薄布で顔を隠した女の人や、たっぷりの白い髭をたくわえた老人、眠たげに水煙草を燻らせているターバンの男など、中にいる商人たちも様々な服装だ。

 ひときわ雑多な一角に陣取る眼鏡の男は学者風で、神経質そうに本の上の砂粒を払っている。眼鏡をかけ直す仕草のあと、おや、と呟いた。彼は半年前、ボクと黒猫が虹色に光る石炭コォクスを購入した相手だった。あの虹色の炎は、雲母の鱗片をくべるとひと冬の間ずっと燃え続けて、春が来るまで部屋を静かに温めてくれた。おかげでボクも風邪をひくことなく、黒猫もお腹を冷やすことなく過ごせたのだ。

 彼は、ボクらを順繰りに見遣ると眼鏡の奥の目をパチパチと瞬かせた。

「やぁ、諸君らは秋にも此処へ来たね」

「覚えているの?」

「まぁ、或いは」

 肩をすくめて見せた彼は、それから店の中を見渡した。雑多に積まれた大小の箱の中から目当てのものを見つけ出すと、僕らの前に差し出す。

「開けてみたまえ」

 それはなかなかに大振りの箱で、手に持つと見た目よりも軽い。かがみ込んだボクの肩に、背伸びした黒猫の前脚が触れる。ゆっくりと蓋を開けば、中にあるのは鳥籠だった。異国の尖塔を模した造りは精巧で、ボクはたちまち虜になってしまう。

「そちらの猫くんには気をつけたまえ。何しろ其には鳥が居る」

「……鳥が?」

 咳払いをした彼の言うことには、この鳥籠には金糸雀カナリアが居るらしい。

「月光でしか姿が見えない種類なのだよ。ほら、囀りは聴こえるだろう?」

 確かに。耳を傾ければピィピィ、と瑞々しい鳴き声がする。

「……本当だ」

 黒猫が不思議そうに尻尾を持ち上げて、ゆらり、ゆらりと揺らした。

「お気に召したかね?」

「うん、とっても」

 でも、手持ちの硬貨では彼の提示した金額には届かない。どうしよう。そう思ったのを見透かしてか、彼はボクのストールを指した。

「これから砂漠は気温が低くなる。首に巻いておくのに良さそうだ」


 結局、ポケットの中の硬貨全てと、この冬の間中ずっと活躍していた羊繊カシミヤのストールを差し出して、金糸雀カナリアの入った鳥籠を手に入れた。

「ただし、籠から放ってしまうと、もう二度と、捕まえることはできないだろう。何しろ月に住む種類なのだよ」

 月光の中でしか姿の見えない透明な小鳥。月に小鳥が住むかどうかは疑わしいにしても、迷子にしてしまえば再び目にすることはきっと難しい。

 学者風の商人の彼は、羊繊カシミヤのストールを慎重に検分してから、満足そうに眼鏡を中指で持ち上げると、もう一度同じことを言った。

「どうか放さないで。気をつけたまえ」


 金糸雀カナリアは透き通った声で囀って、ボクと黒猫を愉しませた。空に見える鳥籠には金糸雀の気配が満ちている。ボクは籠の中の飲み水を替え、雑穀を補充し、人工餌ペレットを与え、青菜や果実を分け合った。

 月の明るい晩、窓辺の棚の上に置いた鳥籠の中には、淡い檸檬色レモンイエローの小鳥が姿を現す。高く低く朗々と囀り、鳥籠の中を忙しなく跳ね回っては、ボクや黒猫を魅了した。

「素晴らしい音楽だねぇ」

 ボクはいたく感心してそう言う。応じるように「ニャア」と返事をする黒猫の尻尾は、ゆっくりと左右に振られている。滑らかな小鳥の歌声と、ボクの感嘆の溜息と、気まぐれに紛れ込む黒猫の鳴き声。賑やかで少し不思議な音楽会が春めく宵を彩っていた。


 *


 月夜の晩の音楽会は唐突に終わりを告げる。

 新月の夜、水を替えようとしたボクの手元を温かな塊が通り過ぎて行ったのだ。

「あっ……」

 気付いた時にはもう遅かった。小鳥は一度ボクの肩に留まって「ピィピィ、リリリ」と軽く囀る。しなやかに跳躍した黒猫の前脚も届くことなく、いくらかの弱い空気の流れだけを残して、換気のために薄く開いていた窓から飛び立ってしまった。

「……行ってしまったね」

「ニャアン」

 困ったように鳴く黒猫の頭を撫でながら、檸檬色に輝く小鳥が空高く飛翔を続ける姿を想像する。


 それから次の月夜の晩、ボクらは叔父さんから不思議な宇宙郵便を受け取ることになる。


“キイロイコトリ カンパンニテ サエズル”


 つまりは、意味的には、こう。


“黄色い小鳥 甲板にて 囀る”


 だけど、叔父さんの星間連絡汽船インタァステラ・フェリー大気圏ドームのほんのちょっと外側を航行しているはずで。そこにあの金糸雀カナリアが現れるなんてこと、あるのかしら。

「ねぇ、あの小鳥は故郷に帰ったのかもね」

 黒猫は黄水晶シトリンの瞳を三日月形にしながら、ちいさな欠伸をする。

 月夜の晩だけ手にすることができる檸檬色レモン・イエローの小鳥の羽をしんしんと降る月明かりに翳して見ながら、ボクと黒猫は次の隊商キャラバンの到着する季節を待ち侘びていた。

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