試論(セクハラ発言について)

森下 巻々

セクハラ発言をする人の二つの動機

カクヨム内の文書で、フェチ(自身のフェティッシュな感情)について書いてあるものを見ました。僕も、それっぽいもの、自分の変態的な気分を表出するものを強烈に書いてみたくなりましたが、僕の思いついたものはカクヨムに投稿する内容ではないなあと考え直し、我慢しました。


そして、いろいろ頭の中を巡らせている内に、セクハラ発言について思い出すことがありました。更に、ちょっとだけ考えてみたことがあります。整理がてら、少し書いてみようと思います。


これを考えるために本を机に積むというようなことはしていません。参考文献なしで書きます。


男の子が好きな女の子に故意に嫌がることをすることがある、と言われることがあると思いますが、子供の頃を思い出してみても、僕にはそういう行動をしたい気持ちになったことはありません。

一〇代の頃は、僕は、女性の前で性的なジョークを言って見せるという行為等についても実感を持っていなかったと思います。

二〇代の頃でしょうか、テレビで或るバラエティー番組を見ていたら、男性タレントが少し下ネタ的なことを言いました。そして、共演者の女性タレントはそれが耳に入って表情を変えて見せていました(特段、嫌がってる感じのリアクションではなかったと思います)。


正直に書いてしまいますが僕はそれを見ていてぞくっとしました。そして、直ぐにこう思いました。『オヤジのセクハラってこういうことか』と。


いまになってから考えると、セクハラ発言には、二つの類型があるように思えてきました。


ひとつは、『確信犯的セクハラ発言』です。何を「確信」しているのだろうかというと、自分の発言は面白い、面白いジョーク、ということをです。たぶん、聴衆が喜ぶものと本当に思っているのです。


いまひとつは、『愉快犯的セクハラ発言』です。これは、相手の反応を見るためのものです。


僕は、上に書いたようにテレビを見ていて気づいたことがあって以来、『愉快犯的セクハラ発言』というようなものもあるだろうと想像しています。


性的な話題というのは、それが許される相手の前/空間でしか、しては駄目と考えますが、何故セクハラ発言をする人がいるのかということの解読になるかと思い執筆しました。

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