ノーストレーン戦記【北ノdivyadundubhimeghanirghoṣa】
橘 永佳
リグルのアリア
大気が震える。
打ち続けられる
都市を丸ごと囲む城壁上に等間隔で設置された銅鑼は、その警報としての役割を果たしている真っ最中で、伝えられている緊急事態こそが大きな理由だった。
「敵襲ぅっ! 敵襲ぅっ! 一般市民は速やかに所定の避難所へ退避!!」
「敵右翼を抑えきれん! 5番
「ラクス帝国の神聖騎士軍と城外にて交戦中! 畜生あいつら今回は多いぞ!?」
「大将から伝達! 正面は持つから8番以降の隊は左右へ展開っ!」
「こっちだこっち!! 兵士以外は早く逃げろおっ!!」
怒号と騒音は、身近のそこここで沸き起こるものだけではなく、場外の激戦から流れ届くものも入り混じっていた。
アリアが居るカレルヴォ・ライタネン鍛冶工房は、別名“傭兵団”リグル自治領の首都オグレスガルズの中心から、現在交戦中の城壁外へと寄った位置。
そこまで戦場の気配が伝わるのだから、その激しさが
激しく行き交う人の濁流で砂ぼこりが舞い、霞がかって見通しが悪くなっている。
その幕を押し破る様に、群衆の向こうから伝令兵が駆け込んできた。
室内の顔ぶれに目を走らせ、アリアの髪に一瞬見惚れる。
朝日のように輝く金色の髪は、その一本一本まで流れるような艶を持ち、暖かな霞を
その美しさ故に辛酸を舐めたアリアが、思わず顔をそむける。
気づいた伝令兵が咳払いと共に姿勢を正す。
「領主様、こちらにおられましたか!」
声をかけられたのは工房主のカレルヴォではなく、アリアの隣に立つ青年。
リグル自治領領主、ノルベルト・カゼラート辺境伯。
ただし、年若いにも関わらず、永らく対立している神聖ラクス帝国とノーストレーン連邦国家との境目、ノーストレーン連邦リグル自治領を治めてみせている辣腕である。
外見は劇場の壇上こそが似つかわしい美貌を誇るのに、荒くれでごった返すこの自治領でも
しかし、こんな状況下でも、その立ち居振る舞いはやはり流麗だった。
「うん。状況は?」
「神聖ラクス帝国の神聖騎士軍が越境、宣戦布告と同時にこちらへ侵攻を開始、ヴァリオ・アラルースア将軍率いる領軍常設部隊を先頭に交戦中ですっ」
「向こうの
「はっ! 騎兵による
「ふむ。で、聞きたくはないけれど――数は?」
伝令兵が一瞬喉を詰まらせる。
続く声音は、一音階低くなった。
「……物見の目測では、およそ2万ほどかと」
「2万じゃと!?」
たっぷり蓄えた髭を割って、カレルヴォが声を上げた。
アリアも口に手を当てる。
確か、自治領軍の常設部隊は最大で4千か5千だったはず。
つまり兵力差は4~5倍だ。
対してノルベルトは、やや考え込んではいるものの、淡々と言葉を続けていく。
「2万で
厄介ではなく終わりではないだろうか。
ラクス軍の奴隷として従軍した経験から、アリアはあの軍の苛烈さは身に染みている。
「――けど、城壁さえ破られなければ、ひっくり返せるかな? この城はそうそう陥落しないしね」
さらりと言ってのけて、伝令兵へとノルベルトが目を向ける。
承知していたように伝令兵が応える。
「と、ヴァリオ・アラルースア将軍も申されまして、現在敵攻城兵器破壊へ向けて突撃中です――ですが……」
歯切れが悪くなる。
アリアの心臓が、激しく打った。
大きく、一度。
「どうした?」
ノルベルトの声から、初めて抑揚が消えた。
「……将軍の剣技に、我が軍の官給品の剣が耐えられません。何人か斬れば砕けてしまいます。ありったけの
そもそも
それではジリ貧である。
「剣ならある――」
その問題を解決する一言を放ちつつも、ノルベルトの声は平坦なままだった。
「――な? カレルヴォ?」
「……『祝福』がまだじゃ」
この世界には3つの超常がある。
一つ、神聖ラクス帝国の司教が行使する『奇跡』。
祈りの力で傷を癒し、守りを強くする。
一つ、ラクス帝国を挟んだ向こう側のリムファーレイト自由連合で発達する『魔導』。
複雑怪奇な術式を行使することで、様々な自然現象を引き起こす。
一つ、ノーストレーン連坊国家辺境のノア大森林地帯の少数民族に伝わる『神秘』。
秘伝の技術で鍛えた武具防具に祝福を施し、不可思議な加護を付与する。
カレルヴォはその『神秘』の継承者であり、ヴァリオはその同郷で、特殊な流派を修めていた。
その流派は片刃の大剣を自在に振るう神速の剛剣で、それこそ
その威力故に並の剣では耐えられず、『神秘』で作成された名刀が必要なのだ。
その最後の工程が、『祝福』が完了していない。
カレルヴォは背後の長箱から包みを取り出す。
巻かれた布を剥ぐと、そこには片刃の大剣があった。
アリアの身長に迫るほどの刀身、幅もアリアの腰回りを超える。凝った装飾は一つもないが、刃の煌めきが
それを手にしながら、しかし、カレルヴォはため息を吐いた。
「このままじゃと……折れるじゃろうな」
ノルベルトが簡潔に問う。
「どうすればいい?」
「『祝福』をすれば完成じゃ。具体的には、価値のあるものを捧げるんじゃよ」
「捧げる?」
「この剣――この刃で斬るんじゃよ」
「価値のあるもの、とは?」
「金銭的なものではないぞ? 人がうらやみ、望むようなもの。誰もが価値があると思うもの。そうじゃなあ――」
カレルヴォは、アリアの髪に目を向けた。
「――例えばこの地方なら、嬢ちゃんの髪とかかの」
「分かりました」
アリア以外の目が、全て集まった。
あまりの即答ぶりに、口にしたカレルヴォ自身も困惑する。
「あ、いや、なんじゃけども、いいのかね?」
「アリアちゃんの髪でなくても――」
カレルヴォとノルベルトが話すのを気にも留めず、ただ一言「切ればいいんですね?」とカレルヴォへと確認を取るアリア。
「ああ――あ!?」
答えを聞くや否や、アリアはくるりと身を
金の絹糸が、漆黒の煌めきの上を滑る。
手を使わず、身体の回転、頭のひねりだけで、アリアは髪を斬らせてみせた。
ふわりと、舞う。
見惚れかけたカレルヴォが、慌てて剣を掲げなおす。
髪が剣へと消えていく。
カレルヴォが剣を取り直して、凝視した。
「成功じゃ。『祝福』は成った」
「成功?」
「おうともよ! ははっ、良い加護がついておるわ、『聖女の加護』じゃとよ!」
思いもしないことを言われて、アリアが目をしばたたかせる。
一方で、ノルベルトが悪戯っぽく笑った。
「『リグルの悪魔』、『黒鬼』の異名には甘すぎる銘だね」
アリアは、首をかしげて見せた。
そうだろうか。
悪魔とは、小さな木彫りの人形を、自分が殺した人間の数だけ作って、無縁墓地へと納める人のことを言うのだろうか。
鬼とは、戦場ど真ん中で、足手まといになる
アリアが保護され、手を引かれたときに、思わずわずかに身をすくめたアリアの様子に気付いて、すぐに手を放してから見せた、少し困った顔。
それを、悪魔だの鬼だのと言うのだろうか。
「早く届けてください」
色々と頭の中では連ねたけれど、アリアの口から出たのはその一言だった。
それから、死闘が繰り広げられているであろう方向へと目を走らせるアリア。
待ってて、今、行くから。
そして必ず帰ってきて。
私が迎えるから。
もう、怖くないから。
だから――
――今度は、この手をはなさないで。
ノーストレーン戦記【北ノdivyadundubhimeghanirghoṣa】 橘 永佳 @yohjp88
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