87371D

江東うゆう

87371D

 中学一年生の凪沙なぎさは、封筒の中のカードを手に取ったまま、止まっていた。


「ちょっと、あなた熱があるんじゃない? 体温計で測ってみて」


 母親がうるさく言うのを振り払って、部屋に籠もったのは一時間前だった。今日は土曜日で、午後から親友の明莉あかりと遊びに行く予定がある。最近はまった歌い手グループのグッズが、駅にあるアニメグッズの店にあるらしいと聞いて、二人で偵察に行くのだ。もちろん、正月にもらったお年玉を軍資金として持っていく。

 そんな大事な日なのに、起きたときから頭が痛くてクラクラしていた。


 ――熱を測らなければ、風邪ではない。


 というのは、明莉の座右の銘だ。熱を測ったら負けとも言う。少し前のコロナ禍の間は、学校で体温を書いた紙を提出しなければならなかったので、さすがの明莉も測っていたようだけれど、最近、また、この座右の銘が復活した。

 最近聞いたのは、木曜日。思えばあのとき、明莉の顔色はよくなかった。もしかしたら、熱が出ていたのかもしれない。測っていないから、出ていない、ということになるのだけれど。

 幸い、学校では今、インフルエンザも新型コロナも流行っていない。ひいたとしたら、ただの風邪の可能性がいちばん高い。つまり、熱を測らなければ風邪ではない、という判断で大丈夫なのだ。……たぶん。


 けれど、母親に熱っぽいことがバレたら、外出は止められるだろう。時間まで部屋に籠もって、バレないように過ごすしかない。

 そう思っていたら、先ほど、部屋のドアの下に、封筒が差し込まれたのだ。

 開けてみると、黒っぽいシールが貼られたカードが一枚。

 シールの上の部分に、おでこに四角いものをあてた顔が描かれている。吹き出しが横にあって、中に、ゴシック体で「87371D」と書いてある。


「何これ」


 凪沙はカードをつまみ、止まってしまったのだった。

 この数字とアルファベットには、意味があるのだろうか。生徒番号などではない。八学年なんてありえない。生まれた年と誕生日の組み合わせでもおかしい。ポイントカードなどの会員番号にしては大きい数字だし、郵便番号や電話番号には数字の数が足りない。

 そもそも、最後のDは何?


 その時、突然、部屋の扉がノックされた。


「入るよ-、凪沙」


 凪沙はぎょっとして、カードを取り落とした。

 カードの黒い部分の色が代わって、緑っぽくなっている。


「はいはい、ちょっといいですか」


 母はカードを拾うと、凪沙のひたいに当てた。しばらくそのままで立っていたが、もういいかな、と言って、カードをひたいから離した。


「ああ-、もう。熱があるじゃない」


 見せられたカードの、黒いシートの部分の色は、完全に緑色になっていた。おまけに、丸の中に二つ×を書いた顔が浮かび上がっている。


「お母さん、これ、なに」

「熱が測れるカード。なんかのおまけでもらったの。凪沙が体温計で熱を測ろうとしないから、これなら使ってくれるかなと思って。今なら、近所の病院が開いているから、診察してもらいに行こう。あ、午後のお出かけは無しね。明莉ちゃんだっけ、お母さんに連絡しとくから」


 一気に話して、母は部屋を出ていこうとした。

 凪沙は呆然とし、自分の計画が破れたこと知る。


「じゃあ、十分後には出るよ。リビングに来てね。お母さん、保険証とか準備してるから」

「待って、そのカードの数字は何?」

「数字?」

「87371D」

「ああ、これ」


 母は、床に落ちていた封筒の中から説明書らしき一枚の紙を取り出し、読み上げた。


「クイズの答えはわかりましたか? 87371D、つまり、はなさないで、です。体温を測るときには、一分間おでこから離さないようにしましょう、だって」


〈おわり〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

87371D 江東うゆう @etou-uyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ