第3話 落花

「分かってると思うが、おれたちはひとは救えねえんだぞ」

 

 掻爬術で堕胎したフィリピーナを入院させたおれたち(つまり、おれが保証人を買って出たのだ)がその晩、産院の屋上でたばこを吸っていた時の会話だ。


「というと?」

「ちっ。ったくよ、分かりやすい誘導尋問だな」

「なんのこと?」


「——もういい。だが話は続けるぞ。ここはおれのクリニックだからな。お前、あの子はこんなところより国へ帰った方がマシだって一瞬も考えなかったのか? 堕ろせば堕ろしただけあの子は蹂躙されるんだぞ、避妊もしねえ、少し色素のあるアジア人だからって低く見てるような奴らに」


「だがあんたは堕ろした」

「クソむかつくガキだな。そうだ。そうだよ。ご名答。おれもお前も、あの子をこの先何度もレイプしていくんだ」

「それはあの子の意志でもある」


「うるさい! それが何だってんだ! 正しいも痛いも狂ってるも幸せも、なんにも知らねえ女の子が出稼ぎに来て、仕送りどころか自分の生活費すらままならなくなってここに来た。とりあえず生きてゆける。性病科と産科と警察と組、この四つとの距離感さえよかったらな。それにしても——カネは必要だ。自分では到底稼げねえ額のカネだ。さっさと警察に行けばラクになれたものを、お前が変に気を遣うから宙ぶらりんで死んでもねえ、生きてもねえ、そういう状態で長らえてる。——そんな目で見るな。おれは、お前ほど覚悟が座っちゃいねえ。あの子がさ、分娩台に上るときなんていったと思う? 『元気な赤ちゃんに早く会いたいです、でも、赤ちゃんとわたし、どっちかしか救えなかったら、赤ちゃんを救ってください』だよ。お前に分かるか? 掻爬術ってのは胎児も胎盤も何もかも、ぐちゃぐちゃにして引きずり出す手技なんだぜ? おれは——もう、耐えられない」


 そういった産科医はデッキチェアによよと座り、「なあ、お前だったらどうする?」

「どう、って——」

 わたしは電飾を頼りに六分儀を拡げ、死出の船出にバカ騒ぎする街に一瞥をくれたのち、「可能であれば全員殺して——」


 ハイライトをたっぷり吸いこむ。ハイライトはいい。省略されて呼ばれることもないし。


「——自分も殺す」


 といい、煙を夜風に流した。



 このことも書いておこう。

「ありがとう、君が一番、その、似ていたよ」

 プレイルームのラブソファで、いかにも胸いっぱいという具合のおっさんに近づき、開始の時と同じく頭を下げようとする。

「あ、待って。できる限り——余韻というか、商売っ気がない方がいいんだけど、いいかな?」

 わたしは完全に了解し、「あ、うん。ごめんね」と、サイハイだけの姿でもじもじとする。急にわたしはひらめいたような顔をする。「あ、あの、ダメだったらいいんだけど、これ、ください! ふだんから穿いてればこの姿の人が実在する、って事実になるよね? それってすごく素敵なことだと思う!」


 ——このおっさんの悲しみは、わたしが思うよりはるかに深く、そして苦しいものだったのだろう。プレイルームを出る時も、あとで監視カメラの録画をわたしが見る時も、ずっと泣いているように見えた。


 もしかしたらこの時のわたしの提案は、効果こそは確かでも、わたしのような人間がその場の思い付きで出してもよい類のものではなかったのかもしれない。今、あのおっさんがどこで何をしているかなんてわからない。わからないが、今もわたし(に似た今は亡き人)の姿を思い描いているのだとしたら、わたしの生きざまなんて冒涜行為もいいところであった。



 もし時を巻き戻せるなら、あのおっさんからはサイハイをもらい受けるべきではなかったのだろう。

 どんなに苦しくとも、歓楽街へは堕ちるべきではなかったのだろう。


 というより、この世に性の快楽がなかったら、

 もしくは、性を否定することなくのらりくらりと生きることができたら。



 わたしは拳銃を口に咥えることもなかったのだ。



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発露-SS- 煙 亜月 @reunionest

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