第2話 開花

 以前まで——本当にバカげた話だが——自分のテリトリー内で堕胎する女がいたら、焼きかカッティングをして自らへの戒めとしていた。

いっただろ、バカげた話だって。一年もしないうちに店長に注意されてやめた。だれも全身傷だらけのヤバいキャストなんて、顔はよくても二度めはないさ。


それにしても、変態だよな。

 おれに服を脱げだのサイハイを穿けだの、それって楽しいの、と質したくなる奇妙奇天烈摩訶不思議、そんな類の変態だ。それでいて自分はなにもせず合皮の(店長が家具屋であえて革のこすれる音の大きい品を選んだものだ)ソファでくつろいでいやがる。


 前立腺がんにでもなっちまったんだろうか。

前立腺がないと射精ができなくなるらしい。まあ、ストレスのたまるご病気だな。その憂さ晴らしに店に来るのは、まあ、体力は温存できるけど——気色悪い。


「うしろ向いとくから全部脱いでね。それ一足だけになってね」

は? もとい——お客様まことに残念ながらわたくしの菲才なる学識ではお客様のおっしゃったことを完全には理解する事ができずそれがわたくしには悔やまれてなりませんゆえにお悔やみ申しあげるから死ね! 


「すごい——これだけだと裸の時よりエロくなった気がする——」と、わたしは背を向けてもじもじとする。これで振り返るとたいていの客はギャップ萌えによって本能に従わざるを得ない。ジジイもババアも襲い掛かってしまうのだ、わたしに。しかし、おっさんはやや悲しそうな表情。これは——分かりやすい。


 サイハイはといえば、かなり着圧が強い。むくみにもいいだろう。これ、買っちまおうか。もちろん店舗で売ってるやつをだよ。

 白一色かと思えばグラデーションがかかっており、純白のつま先から口ゴムのグレージュにかけて、水墨画かなにかのような意匠だった。


「うん、ありがとう。じゃあ、そのままふつうに時間まで過ごして。メニューにない食べ物も煙草もお酒も自由に頼んでいいから」


 総毛立った。

 穴が二つ空いてれば生きてゆける。三つ空いてる人種よりはるかに生きやすい。ここでの戒律といえば殺さない事と、殺されない事。この二つだ。


非常呼び出し用のボタンは各プレイルームに三か所に隠されてある。

しかし、このおっさんがわたしに要求できるタイミングで、そうしなかったことはせいぜい殺すことくらいだ。——本気の狂人か? 非常ボタンを横目に見た視線を読んだのか、おっさんは笑った。

「大丈夫、危ないことはしないから。というより性的なことは一切しない。ぼくは——ただ、思い出しに来ただけなんだ。だから——ふつうにしてね」


「あのう——」

「ん、なんだい?」

「もしかして、誰かが死——亡くなったの?」


 それは嘔吐か絶叫とたがえそうな慟哭だった。——やはりか。自分でも嫌になる勘の良さだ。

わたしはこの哀れなおっさんの肩に触れる。膝を突き、おっさんの両膝に手を添わせる。そして、うやうやしく頭を垂れる。


「それでは、これよりお時間いっぱいまで無礼千万ながらわたくし、そのお方の生き写しのように振る舞わせていただきます。キャストのチェンジは一回に限り無料、その後はいったんプレイルームをご退出の上、再受付、再入室という形をお願いしております。めくるめく夢、叶えます——新宿秘湯ユーモレスク、どうぞお楽しみくださいませ」



 キャストを引退して四年がたつ。家族が生きてんだか死んでんだか、どっちでもいいので連絡を取ることも、捜しにゆくこともしなかった。


わたしはといえば何の変哲もない路上生活者だ。鉛筆で書くのが面倒なのでホームレスと呼称するが、容赦願いたい。ホームレスにも縄張りとか掟とか、いろいろあるのだと知った。盃こそ受けなかったものの、組に厄介になって、そこそこ貢献していた時期もあった。同じことがホームレスにもいえるようだ。


 入居、それから毎朝の挨拶、納税、退去の折にはすべてを置いてゆくこと、またその挨拶——など。くそ下らねえが、そういうシステムがる以上、従うしかない。


まあ、そういう訳で今——朝の四時半ごろか、ダンボールハウスも解体せず、私物も世話になった奴らへ分け与えている。「ん——?」気づいたときには遅い。しまった。あのサイハイを枕の下に敷きっぱなしだった。「なんだこれ。お前、女装趣味もあったのか? あらやだ、あたくし存じ上げませんでしたわ、おっほっほ」


「——それはおれが夜に使っていた品だ。あまり衛生的ではないと思うが」

「ああ? そういうことはさっさといえよ、ばっちい」


と、嫌悪感もあらわに地面へ放りすてた。渋面を作りサイハイを拾おうとしたとき——数は、四人。いや、それ以、上かもしれ——ない。どっ、ちみち、かな——う相手——じゃ——な、い。鉄パイプ、角材、あ、あ、今のは徒手空拳、口を開けば空手自慢をするあの男——。


「すまんな、お前が、ふう、ここに来る前風俗で荒稼ぎしてたって、はあ、聞いたんだ。長は、取れるものは取れとの判断で、おれたちも心が痛む、すまん、分かってほしい」

 手を、手を伸ばせ。

 その先には変化も進展も幸福もある。

 ただただうずくまっているだけでは何の解決にもならない。


 サイハイ二足を両手に持つ。まず、数を減らせ。このサイハイは伸びがきつい。そうそう千切れることもない。一番年寄りのやつの喉にサイハイを掛け、背負い投げの要領で背中に持ってくる。軽い。バルサ材を折ったような軽い音がした。まず一人。二人目もジジイだ。同じやり方で殺す。

歌舞伎町は殺すことと殺されることが禁止されていた。だが、ここはどうだ。裕福なガキどもが連日ホームレスを狩る。火を放つなり金属バットで撲殺するなり、より苦痛の大きい方法を優先的に選んで。


よく暴れるやつだったが、二人目のジジイも背負うだけで頚椎が折れた。次——空手バカ。すっ、と左半身の構えを取った。ほう? それがあんたの構えかね。こちとらサイハイですでに二人殺した。おそらく初犯でも実刑だろうな。だが空手バカ、さっき見てなかったのか? 二足目のサイハイは中にボルトやナットを仕込んであり、つま先と口ゴムを持って振り回し、当たるとちょっとばかし痛いということは予想がついたはずなんだがなあ、空手バカ。あんたに折られた鼻の軟骨、返してくれよ、なあ。なあ!


「やめなさい! 君たち! 誰も動くな! 動くな!」

 そっか。

五人いたんだっけ。そりゃ——こうなるよな。制服警官は、四名。いずれも警棒を伸展して右手に持っている。袋のねずみってやつだ。

どうしようかねえ。


「おい! そこで立ってる君。そうだよ、君が全員やったんだろ? こっちは手荒な真似はしないし、身の安全は保障するから、まず両膝を突く。持ってるものはぜんぶ左に投げて、そう。両手は手のひらを見せて、そう。協力的にしてくれたらお互い痛い目には遭わないから。じゃあ、形式上だけど手錠をかけますからね。近づくけど何もしないように」


 制服警官が警棒を構えたまま近づく。この警官、まるで警戒心がないな。警察学校では点数が取れたのかもしれない。が、逮捕術の実技ではこてんぱんにされたのだろう、そんな軟弱さが所作に表れている。


身長一七五㎝、体重は——七二㎏、というところか。

彼は手錠をかける際、警棒を短縮させて警棒吊りに掛けた。そこで帽子を取って汗をぬぐう。再びわたしの方へ注意を戻し、腰の手錠嚢から黒い手錠を取り出す——そのとき、わたしは右を見て驚く「あっ」

 

一瞬。

 制服警官がわたしにつられて左方へ視線が泳いだ瞬間、わたしは全身の膂力でもって立ち上がり、彼の鼻——正確には鼻の下の溝、人中——へ猛然と頭突きを加える——が、日本の警察官なら防げるはずだ。わたしの狙いは、この警官が自らの防御で死角となった、金的への膝蹴りである。


 どん、と倒れる警官。手早く拳銃を奪い、彼の頭をすぐさま吹き飛ばす。残り三名の警官はそれぞれ真上へ威嚇射撃をし、わたしへ銃口を向ける。弾丸は残り五発。敵もそれぞれ五発ずつ。


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