裏口で一服
かさごさか
きっかけはいつも些細なこと
「痛っ」
衣服の繊維に何か引っかかった感触と共に、指先に痛みが走った。煙草に火を付けようと手当り次第、全身のポケットに手を入れている最中の出来事であった。
痛みといってもささやかなものであり、半ば反射的に声が出たようなものである。そろりと手を取り出して見ると、ささくれ立った指が現れた。爪の根元で細くめくれ上がった皮膚を眺めながらミカミは煙草に火を付けた。ライターは結局、ズボンのポケットに入っていた。
吐き出した煙が天に昇って行くのを目で追いつつ、ドアを隔てた向こうの喧騒に耳を立てた。現在、ミカミがいるのは町の喫煙所ではなく雑然とした裏路地である。倒れたペール缶に漂う異臭。今、目の前を横切ったのは鼠か育ちすぎたゴキブリか。
街灯どころか表を彩る下品な電飾の光すら届かない、混沌とした路地身を潜めるのにはちょうど良かった。
ミカミが背を預けているドアの向こうは飲食店であった。ダーツ、ビリヤード台などが置かれている、いわゆるアミューズメントバーというものであった。本日はサービスデーらしく、店内は賑わっている。ミカミは人手が足りないと店主から連絡を受け、接客をメインに雑務を片付けていた。
彼は頼まれたことをしていただけだった。カウンターを挟んで客と会話をし、キッチンに下がって食器を洗い、荷物を運んで、と雑務をさばいていた。
その最中、ちょうど客前に出ていた時のことであった。
相手をしていた客は店に入って来た時点で随分と酔っていた。それ自体はこの歓楽街において珍しいことではなく、ミカミにとっても日常の一部であった。
どんな流れでそうなったのかは正直言ってよく覚えていない。適当に相槌をしていたら突然、客がカウンター席から離れ他の客に喧嘩を売り出した。そこから当然のように店内は乱闘騒ぎへと発展したので、ミカミはこっそりと裏口に出てほとぼりが冷めるのを待っていた。
彼は煙を吐き出す。それはため息混じりの紫煙であった。
ミカミの言葉には強制力がある。それを人は発言力があると評するが、ミカミには迷惑でしかない。
無自覚に発揮されているようで、言葉を発した時にはもう何かしらに巻き込まれている。
昔は己の影響力を知ってか知らずか、人を、主に女性を破産させる仕事に就いていたこともあったが、人間関係に疲れきった今は歓楽街で雑用をこなす日々である。
短くなった煙草を地面に落とし、靴底ですり潰す。なんとなくスマホに触れた瞬間、着信に指先が振動を感じ取った。画面を見ると見覚えのある番号が表示されていた。
「はいよ、どうした
『…また番号変えたの』
「まぁ、ちょっとね」
『ふーん』
スピーカーから聞こえるのは興味無さそうな声。いや、本当にミカミが電話番号を変えた理由に興味が無いのだろう。三下という少年は基本的に他人への関心が薄い。
『番号渡してきた人って今の彼女?』
「えっあ〜いや、あの、何回かは寝たけど」
歯切れの悪い返答に三下は再び気だるげな相槌をした。
「………今、彼女“は”いないよ」
『へぇ』
変に勘繰られるより、三下のようにストレートに聞いてもらった方が気が楽だと感じる。そこから深掘りされることも無いので、ミカミは三下からの質問には極力、真実を伝えるようにしている。そこから軽く三下の近況を聞き出して、最後は不確かな口約束で通話を終えた。
『またね』
「おう」
ミカミはスマホを手に持ったまま、しゃがみ込んだ。店内では未だに乱闘騒ぎが続いているようだ。
幾分、頭がスッキリした気がする。それが煙草のおかげか、顔馴染みとの会話のおかげかはわからない。しかし、過去のトラブルと重なった現状に先程まで、天を仰いでいたミカミは決心がついた顔をしていた。
立ち上がり、スマホをポケットにしまう。指先で細くめくれた皮膚に爪を立てて、ちぎり取った。地面に向けて落とされた皮膚の欠片は吸殻の傍らに着地するかと思いきや、突如、風が吹いてどこかへ飛んで行った。
歓楽街で突風が吹くとは珍しい、と現実逃避をしつつミカミは背後で開いたドアから妙な圧力を感じ取っていた。恐る恐る振り向くと、そこには笑顔の店主がいた。
笑顔だが、無言のまま店主はミカミに中へ入るよう、顎で指示を出す。ミカミも口角を上げて対応するも、冷や汗が噴き出るのを抑えられない。そして指示通りに強ばった足で店内に戻る。
時刻は日付を跨いだ頃。歓楽街の夜はまだまだこれからであった。
裏口で一服 かさごさか @kasago210
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