ワールド・ディストーション

宮野優

ワールド・ディストーション

 銃撃が途絶えた瞬間、セシルが柱の陰から飛び出して瞬時に射手との間合いを詰めた。両サイドに束ねたプラチナブロンドの髪をなびかせながら、横薙ぎに刀を一振りする。だが相手もあっさり殺されるような雑魚ではない。リロードの手を止めると咄嗟に後ろに跳び、死の一撃をかわす。素晴らしい反応の早さと跳躍力。そもそも私がセシルの仕事を確認しに来たタイミングでまだ生きている時点で強者なのは間違いない。

 だがセシルの斬撃は、飛びすさった男の肘の辺りに微かな傷をつけていた。

 つい今し方銃撃に巻き込まれ死にかけたというのに、私の心は高揚した。

 噂に聞いていたあれを、この目で見られるかもしれない。

「お別れを済ませた方がいいよ。今まであなたを支えてきた、その右腕に」

「何を言ってる?」

 淡々と告げるセシルに、男が怪訝な顔で聞く。彼女は自分がかすり傷をつけた男の肘の辺りを指さす。

「わたしが少しでも傷つけたものはね、になるの」

 男が傷に目をやったときにはもうそれは始まっていた。

 わずかに血がにじむ程度だった傷がひとりでに伸びて、腕をぐるりと一周していく。

「うわっ、なんだ!?」

 男は取り乱して腕を掲げて傷を見たが、その隙を逃すセシルではなかった。目にも止まらぬ速さの斬撃は、今度こそ男の腕を――ちょうど先ほどつけた傷と寸分違わぬ箇所で――切断した。

 男の絶叫が途切れるまで二秒とかからなかった。返す刀の一撃が男の首をはねたからだ。

「話には聞いてたけど、顔に似合わずえげつない能力だね」

 セシルが“別離セパレーション”と呼んでいるこの能力。

 彼女がつけた傷は、勝手に伸び、深くなり、対象が真っ二つになるまで広がり続ける。

 なぜそんな現象が起こるのかは誰にもわからない。ただそうなる。それができてしまう。彼女自身が言うことには、その能力はあるとき急に発現したという。

 世界の理を外れたような超常の異能。

 私たちの組織が抱える殺し屋には、セシル以外にもそうした力を持つ者たちがいる。

「本当にね。もっとかわいいわたしに似合う能力ならよかったんですけど」

 事もなげにそう言うと、彼女は私の眼前に左手を差し出した。

「中指のとこ、何か怪我してないですか?」

 異能と同じくらい信じがたいことだが、彼女は目が見えない。かつて脳に負った損傷のせいらしく、現代の再生医療では治療できないのだそうだ。

 私は本人の代わりに彼女の細く美しい、殺し屋には似つかわしくない指先を確認する。

「ささくれが出来ちゃってるみたいね」

「あーわたし普段出来ないんだけどなあ」

 もしかしたら自然に出来たものではなく、先ほど私を助けてついた傷かもしれない。まだ戦闘が終わっていない現場に足を踏み入れてしまった私を、彼女は小柄な身体に似合わぬ腕力で柱の陰まで素早く引っ張ってくれた。ざらざらした柱の表面でそのとき指を擦りむいたのかもしれない。などと考えながらまじまじ指を観察したが、見れば見るほどただの自然に出来たささくれに見えてきた。

「ねえ、これ取ってもらえません?」

「えっ、このささくれを?」

 何を言い出すのだろうこの子は。目が見えなくても、手探りでさかむけの一つや二つ摘まみ取れそうなものだし、きれいに取れないのが怖いなら放っておくのがよさそうだが。

「ええ、自分で取るのは怖いんです。セパレーションが発動してしまったらと思うと」

 私は目の前の相手が盲目なのも忘れて、つい首を傾げてしまった。

「私の能力は、対象につけた傷が対象を二つに分かつまで広がります。もしこのささくれにそれを発動させちゃったら……想像してみてくださいよ。ささくれがすぐに千切れればいいけど、もしそうならずに、指の根元の方にどんどん剥けていって、やがて手の甲や腕まで剥がれていって……」

 ぞわっと鳥肌が立つ。普通の人間相手ならそんな馬鹿なと笑い飛ばせるが、彼女が普通の人間でないのはよく知っている。

「まあ実際はそんなことにはならないでしょうけどね。万が一を考えて」

「わかったわ……痛かったらごめんね」

 彼女の手を取り、ひと思いに引っ張るようにしてささくれを取る。すぐに血が滲んで、ごく小さな玉を作る。

「ん……ありがとうございます」

 指先を唇に当て滲んだ血を吸う様は、可憐なようで蠱惑的なようで――本当にどうしてこんな子が殺し屋なんてやらなければならないんだろう。

「あなたは自分の意思で能力をコントロールできてると思ってたけど」

「もちろんそのつもりですよ。でも絶対はありませんから。慎重になるに超したことはないかなって」

「そんなふうに気を遣ってたとはね」

「あるとき突然降って湧いた、自分でもわけがわからず手に入れた能力ですよ? そんなものを必ず制御下におけるなんて過信はできません」

 そう言うと彼女は、既に鞘に収めていた刀で廃ビルの床をこつこつと叩いた。

「わたし、地面には刀を刺さないように気をつけてるんですよ」

 一瞬その意味がわからなかった。刃が傷むからという理由ではないだろう。今の話と脈絡がなさすぎる。

 能力が制御不能になって、地面に刺した刀から“傷”が広がるとどうなるのか。

 二つに分かたれるものは何なのか。

「えっ、まさか」

「そう。地球を真っ二つにしちゃいけないと思って」

 セシルは冗談めかした調子で言ったが、本当にそうだろうか?

「いくらなんでもそんな大それたこと――」

「できるとは思ってませんよ。でも……そもそもこんな能力自体がありえないものなのに、何がありえて何がありえないかなんて、誰に言い切れます?」

 暴走したら世界を壊す可能性のある異能の使い手たち――

 失敗や気まぐれが世界の危機に繋がる理外の力。

 世界のひずみ。

 やはり野放しにしておくには危険すぎる存在だ。我々のような組織が手綱を握って、いざとなれば即座に消す準備をしておかなくては。

「もし私が能力を暴走させてしまったら――そのときはお願いしますね。いくらわたしがかわいいからって、引き金を引くのを躊躇っちゃダメですよ」

「ええ、監視役として勤めを果たさせてもらうわ」

 実際私に彼女を殺すのは難しいだろう。感情面の問題ではなく、単に実力の問題で。

 だが連絡役兼監視役の私の一声で、組織の他の殺し屋たちが地の果てまで彼女を追うことになる。

「まあそうならないように能力を使いこなす練習はしてますけどね。それこそこういう廃ビルの外壁に、斜めに傷をつけてみたり」

 私はたった今出てきたビルを振り返った。ここに斜めの傷。それが広がり、ビルの外壁を一周し、コンクリートを切断したら――それでも内部の構造で支えていられるものなのだろうか。それとも、切断された外壁が滑り落ちるように崩れ、ビルは倒壊する?

 もしそんなことができるとしたら、私たち組織が暗殺してきたテロリスト共が、喉から手が出るほど欲しがりそうな能力ではないか。

「ビルはどうなったの?」

「内緒です。手の内は全部見せないものですよ」

 悪戯っぽく微笑む彼女を見ていると、時々思ってしまう。この美しい生き物になら、世界を滅ぼされるのは困るけど、自分一人の命くらいなら終わらせてもらっても構わないかもしれないと。

 悪魔は天使の姿を借りて現れるとは誰の台詞だったか。私は彼女の微笑みと、どこかしらが真っ二つに分かたれている彼女の作った死体を見比べるとき、いつもそんなことを考えてしまう。


       “Separater” closed.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ワールド・ディストーション 宮野優 @miyayou220810

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説