我を殺すはささくれなり

キロール

剣士、死す

 鷹狩の装いのま重まに男は草叢くさむらを歩む。鷹は既に供の者の預けこの場より遠ざけている。十重二十重とえはたえと渦巻く殺気に気付いた為である。


(さては友矩とものり配下の素っ破すっぱどもか)


 かつて父の命により暗殺した異母弟の美しき横顔を思い返しながら男は微かに息を吐き出す。人一人殺したのである、いまさら畳の上で死ねるなどとは考えても居ない。いや、畳の上で死ぬよりもかような草叢で死するが本懐か。


(本懐? 馬鹿を申すな。生きて剣を伝えねばならぬ)


 息子はいない身の上だ、ここで死んでは上様より領地を没収されるであろうことは明白。或いは何らかの手心は加えられるやもしれぬが、娘二人の行く末を思えばまだ死ぬ訳にはいかない。


(娘……娘か)


 男の耳は風のざわめきに混じって飛来する手裏剣の存在を感知していた。だと言うのに、今の危機ではなくかつての危機を男は思い返していた。


(友矩を斬った際に傍に仕えていた素っ破、あれも娘であったな。顔を隠し尋常ならざる太刀業を見せたがゆえに斬ったが、手応えの柔さは今でも覚えている。どうにも忘れられそうで忘れられぬ)


 剣に生きる身の上である、刃向かう者を何人斬ろうと心は痛まぬとは言わぬが、禅師に教えられた経文の一つも読めば切り替えは出来た。だが、あの素っ破だけは違う。覆面ははがなかった故顔も知らず、手応えの柔さだけで娘と断じているだけの存在。何を気にすることがあろうか。


 そう思いはするのだが、気になりだすと妙に気になる。まるで指先に出来るささくれのようだ。いや、心がささくれ立っているのか。どちらにせよ、今この場で抱えるには不必要な感傷。


柳生三義やぎゅうみつよしと知っての狼藉か!」


 そう名乗った男が迫ていた数本の手裏剣を叩き落すと十数名の男達が草叢より躍り出て、告げた。


「我ら柳生友矩やぎゅうとものり公の遺臣! 我らが殿の仇、三義公お覚悟をっ!」


 友矩は上様の寵愛を受けていた。その関係性は三義と友矩の父、柳生但馬守宗矩やぎゅうたじまのかみむねのりが眉を顰めたほどである。寵愛も度が過ぎれば一族の毒、そう判断すればこそ友矩は暗殺された。異母兄の手によって。


 暗殺などと言う手段を用いればこのような結果も当然待ち受けていようと三義は微かに笑う。そのに力を込めて己を囲む素っ破どもを見据えた。


 その眼光の鋭さに長年復讐の念を磨き続けてきたであろう素っ破どもすら一瞬気圧された。それでも、彼らはごめんと口にして三義に刃を向ける。寄せては返すさざ波のように足を用いて距離を詰めたり間合いを取りながら機を測りつつ隙ありと感じれば一気に数名が斬りかかる。


 しかし、その隙は呼び水に過ぎない。打ち込むために迫る素っ破を瞬く間に斬り捨てた三義は、数名分の穴をたった今こじ空け自身から見て最も右にいた素っ破に風の如く駆け寄ると無想のままに切り捨てた。


 囲いを破られてしまえばあとは脆い。三義が並みの使い手であれば攻めあぐねて命を落とす場面でも、彼は独自の嗅覚と直感で危機を察して逡巡して手を止める過ちは犯さずに一人、一人と斬って行く。それは素っ破が最後の一人となるまで止まることなかった。


 最後の一人に至った時に三義は手を止めた。それは彼が思う所のささくれにも似たあの微かな煩わしさを目の前の相手に感じたためだ。


「若いな、それに……いや、それは良い。ね」


 血刀を片手に三義は告げた。その威容に足を震わせながら小柄で顔を隠した素っ破は剣を突き出して迫った。やむなく斬り捨てようとするも、三義はかつて斬った柔い手ごたえと自身の娘二人の顔が脳裏に過った。


 生きねばならぬ、剣を伝えるために。さりとて……。


 小柄な素っ破の一撃は運悪く三義の肝臓を貫いた。これは助からないと感じながら三義は天を仰ぎ、草叢にどうと倒れた。


「あ、ああ……」


 三義を討った素っ破は何とも情けない声をあげた。ドンという音も響けば尻もちでも付いたのだろう。何とも未熟な相手を連れて来たものだと三義は空を見上げながら可笑しげに笑う。唇の端から血が伝い落ちるのが消えゆく感覚からも分かった。


(子への執着は、断てませなんだ、沢庵たくあん禅師……)


 帰依していた禅師が浄土で苦笑いを浮かべているであろう様子を思い浮かべ、肩を竦めようとしたがもはや身体は動かなかった。

 それに気づけば三義は素直に意識を手放した。最後に小さくこうつぶやきながら。


「我を殺すはささくれなり」


 これが柳生十兵衛三義やぎゅうじゅうべえみつよしの最後である。

<了>

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