第19話 それぞれの道




 ノアは在籍期間いっぱいを教会学校で過ごした後、荷物をまとめた。

 ブランシュに頼み込んで、猫用のカゴに入ってもらい、ようやく身支度を終える。


 寮を出ると、シュゼとレイモンドが待っていた。


「今日から王城勤めですか」


「まあ、身分とか地位はあるに越したことはないので」


 ノアはもともと平民で、神の愛子であると言うことで貴族や王族にも遜る必要のない存在になった。

 だが、リュカと一緒に過ごすには、それでは足りなそうだった。リュカの父親であるモンテス侯爵は権力や名誉地位財産に対して強欲で、リュカを力ある貴族の元へと差し出そうとしていた。

 リュカは元愛子で、見目が良く、何より歳を取らない。神に嫌われた結果なので、信仰心の厚いものからは恐れられているが、神を恐れない少年愛好家はむしろ「暗い影のある少年最高」と、リュカを狙っているらしい。

 今はまだ領地経営に貢献しているため、まだもう少し猶予がありそうだが、悠長にもしていられない。

 手っ取り早く地位や名誉を得るには、王城勤めが最適だと気づいたのだ。


「まあ、賢い選択ではありますね」


 レイモンドは元々王城勤めを進めてきただけあって、うんうんと頷いている。


「ブランシュも連れて行けることになったんですね?」


 カゴの中で不満そうに時々唸る白猫を見て、レイモンドが言う。


「はい。ぼくの部屋の中なら、猫が住んでてもいいそうです」


「脱走しないようにしてくださいね」


 ブランシュは家の中ではまるで王女のように過ごしているが、その実外ではとても怖がりで、寮に住んで8年ほど、一度も扉が開いていても外に逃げ出す様子はなかった。なので、その点は特に心配していない。


「大丈夫ですよ。それよりも」


「歳を取らない愛子の話ですよね?アシュレイですが、元愛子であることを考慮して、死罪にはなっていませんが、生涯を小さな修道院で過ごすことになっています。嘘偽りでも毎日毎朝神に祈りを捧げているおかげか、今では少しずつ成長しているようです。神が彼を許しつつあるのか、彼への怒りが消えていっているのかは分かりませんが」


 レイモンドはアシュレイの監査役を買って出ており、この6年、アシュレイの様子に目を配っていた。


「じゃあ、リュカもそのうち、普通に歳をとるようになるかもしれないってことですか?」


「そうなりますね」


「良かった」


 元愛子の中でも歳を取らないものは珍しく、その生涯がどのようなものになるのか、その死がどのように迎えられるのかわからないことが多い。

 リュカが全く歳を取らなければ、ノアはリュカを残して死んでしまうことになる。それがとても心配で、レイモンドはこの歳を取らない元愛子について調べてもらっていた。


 まだまだわからないことが多いが、時が経てばリュカの成長は緩やかながらも戻りそうだと知って、安心した。


「声や歌は、戻らないでしょうけどね」


 レイモンドは残念そうに嘆息する。

 愛子の数は多くない。ここ6年で新しい愛子は3人しか生まれていないらしい。


「神は、この世界を見捨てたいのかもしれませんね」


 目をかけた愛子すら、自由にするこの世界の人々に呆れていてもおかしくはない。


「そうですね」


 愛子がいなくなったら、世界はどうなるのだろう。

 案外、愛子を狙ってくる魔物がいなくなるので、被害が減ったりするのかもしれない。


 だが、それはノアの生きている間には確かめられないことだ。

 馬車が緩やかに王城の前に止まった。


 愛子としての挨拶をしたのと同じ紳士が、ノアを国王陛下の前へと案内する。

 国王陛下こそ老いをとられたのかと思うほど、八年前にあった姿と変わらなかった。


「久しいな。ノアよ。ハーデン殿、お主、余に嘘をついておったな?あの時から、この者は特別な歌が歌えるんじゃないか」


 国王陛下は眉を吊り上げ、怒った顔をしている。

 レイモンドは飄々とした顔をして、「まだ彼の力をきちんと把握していなかったもので」と白々しく嘘をついた。


「まあ良い。ノアよ、今までの活躍も聞いておる。6年前の祭りの夜は特に大活躍だったと。これからもこの国で、その歌を存分に歌ってくれ」


「はい、陛下」


 あの時とは違い、頭の下げ方や跪き方まできちんと習ってきた。

 礼儀作法は愛子としてはいらないのだろうが、今日からお世話になる立場としては必要だろう。

 綺麗な礼をして見せると、「間違えたな。戸惑うばかりだったあの少年とは思えんな」と、国王陛下は満足そうだった。


「では、ノアよ。お主の部屋に案内させよう」


 国王陛下は紳士に命じると、今までの寮よりも幾分広い部屋へと案内された。


 ノアに命じられた仕事は三つ。

 魔物の森の大規模な魔物退治の際の参加、もしくは王城の壁からの魔物の撃退。

 塔での守りの歌の歌い手の交代時、不安定になる結界を破って侵入する魔物の殲滅。

 王が命じる時に、王都あるいはこの国に属する村や街の守護。

 もちろん、愛子であることを考慮して、その時々での仕事の調整は可能とのことだった。


 それ以外は自由で、3食昼寝付き。

 ノアには破格の条件だった。


 ブランシュは新しい寝床に戸惑っていたが、事前に持ち出していたお気に入りの卵形のソファを見つけると、そこで落ち着いたようだった。

 寮には代わりのソファを買っておいた。


 王城は寮よりも広いせいか、少し寒い。

 ブランシュもそう感じるのか、寮にいた頃よりもノアにくっついてくれることが多い。

 ノアからくっつきにいくと面倒そうな顔をされるが。


 今日もノアは1人、国王陛下に命じられたまま辺境の村を目指す。

 そこには愛子がいないのに、定期的に魔物に襲われる村があるらしい。

 ノアは一晩、村を歩いて歌を歌った。

 弱い魔物はノアの歌で寄ってこない。強い魔物はノアの歌に触れた途端に死んでしまう。

 もう見慣れた光景だった。


 村人には一晩家の外に出ないように伝えてある。

 魔物の血溜まりには、国王陛下に事前に渡された聖水を振り撒く。魔物の血は土を枯らしてしまうから。

 1人で動くことに慣れすぎてしまった。時々、リュカといた頃が思い起こされて「疲れたね、リュカ」などと話しかけては誰もいない隣の空間を寂しく感じる。

 だが、魔物の血を浴びるようなこの場所はリュカには似合わないので、これで良いのだと思う。

 リュカは歌が歌えなくなってから穏やかになった。あれは彼本来の性質なのだと思う。

 愛子は歌に寄る。歌に狂う。

 歌の力は強く、歌によって性格が変わってしまうのだと思う。

 ノアは村にいた頃もっと怖がりだった。

 日が沈んだ村を歩くのも怖かった。今では1人こうして歩いて魔物を退治していても、恐怖を感じることがなくなってしまった。


 オルムのように力に飲まれたり歌に狂わされない愛子もいるようだが。


 自嘲気味に笑って、日が上る村の光景を眺める。

 強い魔物はもういない。頭痛がするほど鳴り響いていた歌も静まり返っている。

 喉はひりつくが、声が出せないほどではない。

 村を一晩守って倒れていた子供の時とは違う。


 王城に戻れば、今日も初めましてのメイドさんがノアのために食事を準備して、お風呂を準備して、寝床を整えてくれる。

 最初のうちは名前を聞いていたが、その数が優に両手を超え出すともう諦めてしまった。覚えるのも難しい。

 王城には時々、オルムやレイモンド、シュゼが訪ねて来てくれるが、騒がしい王城の雰囲気は苦手らしく、紅茶を一杯だけ飲むと帰ってしまうのが恒例だった。

 王城は人が多くて賑やかだが、知らない人が多く知り合いも作りにくいので結局寂しい場所だった。





 コンコン、と扉がノックされる。

 扉を開けると、リュカが立っていた。

 王城に勤め出して5年。ノアの歌は年々強さを増して、12の頃に1人では守りきれなかった王都ぐらいなら守れるようになった。

 今は王城勤めはそのまま、貴族街に屋敷を買って、数人の使用人を雇ってひっそり暮らしている。王城は人が多すぎて、毎日ノアの世話をする使用人が変わるほどの人の多さに辟易したのだ。

 リュカはほんの少し、一年分ぐらい身体が成長していた。


 どうやらようやく、弟が侯爵家を継ぎ、リュカが用済みになったらしい。

 変態貴族に売られそうになっているのに気付いて、弟と母の協力もあって逃げ出してきたそうだ。


「僕も働くから、少し居候させてくれない?」


 リュカがメモに書いて見せてくれる。

 ノアはリュカに抱きついた。


「もちろん!というか、居候じゃなくて一緒に住もう?」


 屋敷は人の多さを避けるために買ったが、実はリュカのためでもあった。

 流石に王城にリュカを招くわけにはいかないから。


 リュカはそのまま、ノアの用意した部屋に住んでくれた。


「ブランシュ、なんか太った?」


 屋敷の一番いい部屋を陣取る白猫が、抗議するように「にゃっ」と鳴いた。

 久々に会ったリュカのことが分からないのか、しきりに匂いを嗅いで距離をとっていたが、徐々にリュカだと気づいたのか、昔のようにリュカの膝の上によく乗っている。


「太ったんじゃなくて、冬毛だとは思うんだけど……」


 ブランシュは屋敷のメイドたちによく可愛がられていて、美味しいお菓子をねだる姿をよく見る。

 みんな太らせたら健康に悪いと分かっていながらも、あの可愛らしい青い瞳には弱いらしい。ひとつだけ、が積み重なっているのを知っている。

 なのでノアだけでもと心を鬼にしておやつをあげなかった結果、ブランシュに嫌われ始めているのは気づきたくない真実だ。


「じゃあ僕もブランシュに嫌われるかもね」


 リュカはノアと同じ考えで、ブランシュへのお菓子はセーブしてくれるらしい。

 多分ブランシュはリュカに恩義を感じているので、ノアと違って嫌われたりはしないだろう。だが、そのリュカの気持ちは素直に嬉しい。


 リュカは今までの知識を活かして、王城で文官として勤め始めた。

 見た目は子供なので時々揶揄われているが、その能力の高さに周りは一目置いているらしい。


 ノアが時々魔物退治をして声を痛めて帰ってくるのを、今は歌で癒せないので悲しそうにしている。


「僕が歌えたら良かったのにね」


「今も歌えるなら、あの塔の上でのリュカの攻撃の歌がなかったことになるから、ぼくは今頃五体満足では立ってないよ」


「死ななきゃ全部治してあげられるよ?」


「痛いのは嫌い」


「それはそうか」


 ふふ、とリュカが笑う。

 リュカの声があるうちに、もっと笑い声を聞いてみたかった。あの頃のリュカはあまり声を出して笑わなかったので、今のこの表情でどんな笑い声が出るのか、ノアには想像がつかなかった。


 恋人というには距離がある。

 家族というにはお互いをまだ知らないところも多い。

 それでも、背中を預けあって沈黙を共有して過ごす時間が一番心安らかだった。


「リュカのことが好きです」


「なんでですます調?……僕もノアのことが好きですよ」


 離れ離れになって、どれだけ寂しかったか。

 リュカはわかっていないはずだ。


 寮の頃のように、同じ空間を共有できるのがどれほど得難いことか。あなたは知らない。



 リュカの歌に惹かれて好きになって、不器用な優しさに恋をした。今は沈黙ですら、あなたと愛を語りあっているようだ。



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好きを歌って、恋は語って、愛で黙って 桜 舞華 @Maika_Sakura

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