心地よい沈黙
第18話 失ったものは
しばらく教会学校は休校となった。
血溜まりのできた街の復興と、塔で亡くなった愛子達の弔いのために、街は静かに悲しみに沈んでいた。
ノアとリュカも寮で静かに過ごしていた。
リュカはジェスチャーでノアに話しかけ、ノアは言葉で返す。ずっと同じことをしていれば慣れてもくるもので、最初は読み取り間違いも多かったコミュニケーションも段々とスムーズになっていった。
リュカは声を失った分、表情が豊かになった。
もう冷徹のモンテスというあだ名も似合わないぐらいに。
「やあやあこんにちはー」
穏やかな昼下がり、寮の扉がノックされた。
ゆっくり開けると、そこにはシュゼが立っていた。
「どうしたんですか、シュゼさん」
「ちょっとねー。出掛ける準備をしてくれる?あ、白いローブは脱いできてね」
いつもの癖で祭服に白いローブを着ていたノアとリュカに、シュゼがそう伝える。
「あー、ブランシュさん、可愛くなりましたねぇ」
猫撫で声で話しかけるシュゼから、ブランシュがスタスタと距離を取る。
「うーん、そこが可愛い」
猫に懐かれなくても、猫のことが大好きらしいシュゼは、ブランシュのその態度にもメロメロである。
「あの、シュゼさん。用意できました」
祭服はやめ、滅多に着ない普段着に着替える。選ぶのに手間取ってしまい、リュカに手伝ってもらった。
祭服ではないリュカは貴族の良いところの坊ちゃんと言った雰囲気で、とても可愛いらしい。
ノアはちょっと良い家の息子、と言った風である。
「うんうん、良いですね。じゃあいきましょうか」
シュゼが寮の目の前の馬車まで2人を案内する。いつも通り、馬車の中には当然のようにレイモンドが乗っていた。
「お久しぶりですね、ノアさん、リュカさん」
「お久しぶりです」
頭を軽く下げると、どうぞ乗ってくださいとレイモンドが馬車の席を示した。
レイモンドは王都を抜け、平民街にあるレストランの前に馬車を停めた。
「ここのレストランがなかなか美味しいそうです」
ただ昼ごはんに誘ったわけではないだろうが、一応ご飯を食べる目的はあるようで、先に着くとおすすめメニューを人数分頼んだ。
「さて、早速本題ですが。ノアさん、あなたは
王城に勤める気はないですか?」
「え、王城?」
「はい。この間のあなたの力を知った国王陛下が、神の愛子はあくまで国のため、世界のための存在であることは承知の上でこの国で囲ってしまおうと考えているようです。
もちろん、あなたは王城に勤めると言うのは形だけですよ。嫌なことは嫌だと言ってかまいませんし、形ばかりこの国に肩入れしている風に見えたら良いんです」
元平民であったノアには考えられないほどの出世だ。
「まあ、あと少し教会学校に通いながら考えてもかまいません」
食事が来て、一度レイモンドが話を止める。
「それから、リュカさん。あなたは、あの寮を出なければなりません」
ノアは自分の出世の話よりもそっちによっぽど驚いた。ガタンっと、椅子を引いてしまったほどだ。
ただ、とうの本人はそれをわかっていたようで、特段驚いている様子もなかった。
「あの寮は愛子のための寮です。愛子が学び、不自由のない生活を送るための寮。リュカさんは残念ながら力を失い、愛子ではなくなってしまったので、寮には住めないんです。もちろん、寮で働く側としては住むことが可能ですが……あなたは元々モンテス侯爵家の嫡男ですから、家に帰れば家の仕事があるのではないですか?愛子として受けた教育も、あなたは既に一通り済んでいて、その知識もお家のために役立つのではないですか?」
リュカは良いところの貴族だと思っていたが、まさか侯爵家の嫡男だとは思わなかった。
リュカはゆっくり首を振り、ノア以外と意思疎通をはかるために持ち歩いているメモ帳を取り出した。
「ひとまずは実家に戻ろうと思います。一応、弟があの家を継ぐ形でやっているようなので、僕の居場所があるかはわかりませんが、この寮にいつまでもいるのもおかしいので」
そう書いて、レイモンドに見せた。
「そんな!リュカ、出て行ってしまうの?」
一番動揺しているのはやっぱりノアだった。
「君は、君で頑張って。もう僕がいなくても大丈夫でしょ?」
「そんなことない、そんなことないよ、リュカ。君とぼくはペアだったのに……」
酷く悲しかった。リュカに見捨てられたようにすら感じられた。
「まあまあ、ノアさん。あなたには、正直、ペアは必要ないでしょう?」
それはそうかもしれない。
リュカがいなければ、ノアは誰ともペアを組まずに魔物退治に行っていた。
癒しの歌は戦いの後で十分で、守りの歌はノアの歌よりも範囲が狭い。
ノアは誰も必要としないほど強かった。
それでも、リュカは心身ともに支えてくれる大事なペアだった。
「大丈夫だよ、ノア。今生の別れじゃない。また会いに来るし」
リュカは大して寂しそうじゃなかった。
元愛子であるアシュレイのことを知っていて、元愛子がどう言う立場・扱いになるかを知っていたからだろう。
美味しい食事のはずだが、少しも味がわからなかった。味気なく感じた。
食事の最中、それ以上の言葉はレイモンドもリュカも、シュゼからもでなかった。
寮に戻ると、リュカは黙々と自分の荷物を詰め始めた。
「リュカ、ブランシュはどうするの?」
リビングルームにも出ている自分の本を詰めていたリュカが、手を止める。
ブランシュはいつもの卵形のソファで眠っていた。
「猫は環境の変化に弱いんだ。君はよく、自分よりも僕に懐いていると言うけれど、ブランシュは君にもよく懐いているよ」
と、ジェスチャーと筆記を交えていった。
ブランシュは自分の話をされているのだとわかったのか、すこし顔をあげて、それから興味なさそうに寝相を変えて目を瞑った。
「だから、置いて行こうと思う。もちろん、ブランシュが不安定になったりするようなら迎えにも来るけど」
ブランシュにも会いに来るよ、と言った。
リュカは少しも寂しそうじゃなかった。
こんなにも別れを惜しんでいるのはノアだけ。だが、寮の決まりだとか、愛子の力を失ってしまった事実だとか、そう言うのを曲げるほどの力はノアにはなかった。
リュカが退寮するのは、荷物の整理や実家への通達などの期間を含めて1週間後だと決まった。それまでは、寮で過ごして良いと。
「ノア、重いよ」
学校にはもう行かないらしい。
リュカは日がな一日、寮内の片付けと猫の世話、そらから読書に勤しんでいた。
愛子の力を失ったリュカの雰囲気は丸くなって、前線に出たいと話していたリュカとは別人のようだった。
「ノア学校は?」
「行かない」
リュカと同じように一日中寮にいるノアを、最初こそ顔を顰めて注意していたリュカだったが、もう何も言ってこなくなってしまった。
「愛子は自由であるべきなんだ。そうできるだけの力があるんだから」
2人の間にはほとんど会話はなかったが、時々こうしてリュカが筆記やジェスチャーで話し出すことがあった。
「だけど、僕は愛子の力を失って、ようやく自由になった気分だ。愛子の力がある時は、どうにかみんなの力にならなきゃって思ってた。重荷だった。癒しの歌なんて、そんなに大した力でもないのに。驕ってたんだ。今は少しほっとしてる」
リュカは実は弱い人なんだと知った。
ノアはリュカのお腹らへんに腕を回して、抱きついた。
「リュカ。リュカ」
大好きも、愛してるも、言葉にはしなかった。言葉にするにはまだ小さくて、不安定だった。愛と言うには、ノアはリュカを憐れみすぎていた。
ただ、沈黙の時間が愛しかった。
ただ本を捲る音と、時々あくびを漏らすブランシュの吐息だけがその場にある音だった。
そうして1週間を過ごして、リュカは晴々とした顔で寮を出ていった。
次の日は、ノアは1人で寮で過ごした。
何をするでもなく。食事は勝手にメイドが準備をしてくれるし、時間になればお風呂が沸きましたよと声をかけてくれる。
愛子はいい身分だった。
何一つ考えなくても、生活の営みは変わらず、ノアが頑張らなくても周りがお膳立てしてくれる。
代わりに、立派な装丁の手紙が届くようになったが。王城への招待状。
ノアを王城に迎え、この国専属の神の愛子にしたいとの勧誘。専属とはいえ、ノアが自由にしてもいいと言う約束までしてくれるらしい。
手紙をそのままポイっと床に放ると、遊んでくれるのだと勘違いしたブランシュが手紙をふんふんと嗅いで、それからノアの元に寄ってきた。
猫は聡い。
寂しいノアに寄り添って、普段は近寄りもしないのに膝を抱えて座るノアにぴったりくっついて座る。それから、ノアの手を舐めてくれる。
そんな仕草だけで慰められた気になって、「ブランシュ……!」と抱きつけば、迷惑そうにしながらも今日ばかりはされるがままになってくれた。
次の日になって、誰も起こしてくれないので寝坊を決め込んでいると、激しく扉がノックされる。
「おーい、ノア!生きてるかー!」
賑やかな声だった。見慣れた赤毛が、メイドが止めるのも気にせず、ズカズカと上がり込んでくる。
「おうおう、腑抜けてんなー」
布団に潜り込んで騒音から逃げていたノアの布団を、べっと引っ剥がしたのは、オルムだった。
「モンテスが実家に帰ったんだってな。愛子の力を失って」
全部知っているらしい。
オルムはふふーんと得意そうに、「情報集めは得意だからな」と言う。後ろでメイドが、「今話題の人ですから、知らない人の方が珍しいですよ」と白けた顔をしている。
制止を無視されたのがよっぽど腹立たしかったらしい。
「メソメソしやがってよー、お前も今は話題の人なんだぜ?」
「え、どういうこと」
「祭りの日に王都を救った英雄様だろ。おれは感動したね。誰よりも早く歌い出して、誰よりも多く魔物を倒した。すげえじゃん?なのに、今のこの腑抜け具合!王都の民に見せてやりたいわ。とりあえず、学校来いよ。お前のルームメイトは死んだわけじゃないんだから」
えいゆう……?と首を傾げるノアに、後ろでメイドが頷いている。
知らぬ間に、分不相応な存在にまで上り詰めていたらしい。ノアはただ、頭に流れる歌を、流れるままに歌っただけなのに。
腑に落ちないまま、オルムに急かされて服を着替えて学校へと向かった。1週間ぶりの学校は特に変わった様子はなかったが、すれ違う人々みんながノアに注目していて、居心地が悪かった。
「ノアさん、よく来てくれました」
ユナンが暖かく迎えてくれるが、クラスの中にはリュカがいない。
空っぽの席が虚しいが、その席が別の誰かで埋まるのも考えたくなかった。
それでも、王城に上がる覚悟が決まらず、教会学校で過ごす決まりの18歳までをそこで過ごしてしまった。
リュカとは時々会っている。
相変わらず話せないリュカだが、愛子の教育で学んだことは、領地経営に役立っているらしい。
家に帰った初日こそ、父親である当主に愛子の力を失ったなんて認めん!勘当だ!と怒られたようだが、母親がリュカのことを庇い、リュカが弟を支えることに徹すると宣言すると、当主は徐々に怒りを引っ込めたらしい。
声の出ない状態では、侯爵位を引き継ぐのは難しいらしく、あくまで弟が後継なのは変わらないらしい。だが、責任ある立場は嫌いなんだと話すリュカは、今の生活に満足しているらしかった。
ただ問題があるとすれば、ノアが一歳ずつ歳をとり、18になっても、リュカは一つも歳を取らず、力を失った12の姿のままだった。
ノアはリュカをこんなふうにした神が憎かったが、神のノアへの愛は深いらしい。
ノアがいくら神を冒涜しようと、その力を失うことも、寿命や老いを失うこともなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます