第17話 平穏は一瞬で崩れ




「見て、リュカ。ここから、隣の塔が覗けるんだね」


「ん?あぁ、そうだね。高さがほぼ同じに作られてるからね」


 少しベンチから立ち上がって、窓の方による。

 暗くなっていく塔の中で、歌う愛子たちはまるで発光しているようだった。

 跪いて円を作る愛子たちの歌が、建物も違うこちらまで響いてくるようだった。


 愛子たちは熱心に歌っている。

 その、愛子たちの中の1人が、唐突に、倒れた。


「え」


 それから、何事かと顔をあげた愛子たちも次々と地面に倒れていく。

 白い愛子のローブが、ゆっくりと赤く染まる。


「リュカ!リュカ!きて!」


 ノアは限界まで目を見開きながら、リュカを呼んだ。

 何事かと駆け寄ったリュカが、同じ光景を見て絶句する。

 愛子の中心でただ1人立っていたのは、アシュレイだった。


「アシュ……!」


 リュカが血相を変えて時計台を走り降りていく。ノアも後に続いた。

 塔の出入り口、白いローブを着ていれば誰に咎められることもなく通過できる。

 街の人たちはまだ異変に気づいていない。


 愛子の歌が交代する時にすら、揺らぎや歪みを生じる王都の結界が、音もなく消えていく。

 あの光景を見ていなければ、ノアだって気づかなかっただろう。


「あ、痛っ……!」


 頭の中で攻撃の歌が暴れている。

 ノアの頭が割れそうなほどに響く。


 ノアは空を見上げて、絶望した。


 魔物だ。

 どうしてこんなにも早く。


「結界は愛子の存在をある程度覆い隠すんだ!結界が消えて、大勢の愛子がこの王都にいることに気づいたんだろう!」


 リュカが叫ぶ。

 あぁ最悪だ最悪だ。

 悪夢だ。


 敏感な愛子はノアのように気づいただろう。

 だが、多くの街の人たちはまだ気づいていない。それも時間の問題だろう。

 今か今かと待ち望む花火の代わりに、すぐにでも空を魔物が覆い尽くすだろう。


 ノアの村を襲撃した魔物の数が可愛く思えるほどの、魔物の群れ。

 塔のてっぺんに上る意味はもはやないかもしれない。

 だが、少しでもと、ノアとリュカが塔を駆け上がる。


 塔の上に辿り着くと、血溜まりの中でまだアシュレイが立っていた。


「リュカ様、ノア様。どうしてここに?」


 アシュレイは笑っていた。泣きながら笑っていた。

 愛子を害したナイフを手に持って。


「アシュ、君は自分が何をしたかわかってる?」


「もちろん!ボクはボクの憎い世界を壊そうとしています!ここは嫌いだ。誰もボクを、ボクの村を救ってはくれなかった。愛子は嫌いだ。どうして愛子の力を三つに分けたの。神様も嫌い。でも、神様もボクを嫌ってる。ボクは、ボクは、いったいなに」


 出会った時からノアよりも年上のはずなのに小さなアシュレイ。

 2年経っても姿の変わらぬアシュレイ。

 神に見放された、可哀想なアシュレイ。


 どうして神は愛子一人一人に三つの力を授けたのか。

 1人が三つ持っていれば、アシュレイのような悲劇は防げたかもしれないのに。


 アシュレイの悲しみは、痛いほどわかるようだった。


「アシュ……寝てろ」


 リュカが歌う。

 不眠に悩む病人のために歌う癒しの歌を。

 興奮したアシュレイでも、一瞬で眠りについた。


 リュカは命の気配のしない塔の中で、無駄だとわかっても癒しの歌を歌った。

 塔で歌っていた愛子が1人でも目覚めますようにと願いながら。

 ノアはそんなリュカとアシュレイを置いて、塔の奥にある階段をさらに上へと登った。

 塔の本当のてっぺん、メンテナンスなどでしか使わない、天井の上。

 王都で一番高い場所。

 魔物に声を通すなら、ここしかないと思った。


 ノアは歌った。

 頭の中に響く歌そのままに。悲しみと怒り、苦しみをぶつけて。

 ノアの歌は王都を包めるほど大きくはないが、異変に気づいた愛子たちが総出で歌い始めていることには気付いていた。

 ならば、ひとまずここから届く範囲を沈めよう。


 ノアが歌うと魔物が死ぬ。

 よく晴れた王都に、血の雨が降る。


 アシュレイが言っていた、今日の天気は雨、というのはこのことだったのだと理解した。

 アシュレイはずっと王都の結界を壊したかったのだ。そして、誰も彼も死んでしまえと思った。

 けれど、それを阻止されることもわかっていた。


 だから、血の雨が降る。

 愛子のローブが赤く染まっていく。

 ノアの喉から絞り出された歌声が、少しずつ音を狂わせる。喉が痛い。

 ノアの村の規模なんて小さなものだった。

 あの規模で一晩は歌えても、王都を守ってどこまで歌えるかわからない。


 段々と声を出すのが辛くなってくる。

 ノアは悲しくなってきた。無限に湧くような魔物の群れに、どう立ち向かっていいか分からない。


 無心で歌っていると、ようやく階段からリュカが現れた。

 リュカの歌声は優しいが、どこか絶望に染まっている。

 塔の中の愛子は1人も目覚めなかったのだろう。


 悲しそうだった。


 悲しみに満ちたリュカの歌が、ノアの喉を癒していく。

 それでもどちらの歌も疲弊するばかりで、魔物の群れに終わりは見えない。


 リュカの白いローブのあっという間に魔物の血の雨で赤く染まった。


 溜まる疲弊と、癒しの追いつかない喉の痛みに、ノアの歌が一瞬途切れた。

 その一瞬で距離を詰めた魔物が、ノアを害そうと詰めてくる。


 リュカが、悲鳴を上げるように歌った。

 ぐっ、とリュカが息を詰めた。


 いつもの優しい歌でも、包み込むような歌でもなく、音を叩きつけるような歌だった。

 こちらに迫っていた魔物が、その音の波にさらされて、叩きつけられるように地面に伏した。


 それは歪んだ、攻撃の歌だった。

 リュカが一番驚いている。


 ノアが引き継ぐように、もう一度歌い始める。

 リュカは、よっぽど歌に体力を割いたのか、膝から崩れ落ち、立ち上がれない様子だった。

 ヒューヒューと息をしているのは、自分なのかリュカなのか。


 歌って、歌って、もう何時間経っただろう。

 もう歌っている感覚も無くなった頃、嘔吐を穏やかな歌声が包んだ。


 王都にいた守りの歌を歌う愛子が集まり、塔ではないが複数人で歌を合わせたらしい。最初は不安定だった結界が安定し始めて、ようやく王都に静かさが戻った。

 リュカもノアも疲弊し切っていて、塔の上で力尽き、気を失った。





 目が覚めた時、ノアとリュカは揃って教会が運営する救護施設にいた。


「目が覚めましたか?ノアさん」


 目を開けると、ノアのベッドの横に行儀よくレイモンドが座っていた。

 隣のベッドではリュカが眠っているが、まだ目覚めていないようだった、


「……」


 ノアの喉は酷くカサついていて、声を出すこともままならない。

 村で一晩歌ったあの日よりも酷い。


「無理に話さなくて良いですよ」


 ふぅ、とため息を吐いて、ベッドサイドに置いてあった暖かいお湯をノアに差し出した。

 ゆっくり飲み込むと、染み渡るようだった。


「さて、まずは無事でよかった。痛むところはありませんか?」


 喉以外は特段痛いところもなく、首を振る。


「良かったよかった。王都を守ったのは、1番はあなたの歌でしたから。空からの襲撃はほとんどノアさんの歌が叩き落としてくれました。規格外のその力が、公の元になってしまったのはいただけませんが。そんなノアさんが無事でなければ、国王陛下に怒られてしまいます」


 レイモンドがしみじみと言う。

 国王陛下に怒られるレイモンドの姿は想像がつかなかったし、そもそも愛子は国王陛下に怒られることがあるのか?と疑問に思ったが、喉が痛くて話せないので脇に置いておく。


「リュカさんはまだ目覚めていませんが、確認です。塔の愛子を殺したのは、アシュレイで間違い無いですか?」


「……」


「正直に教えてください。状況証拠的にそれしかあり得ませんし、アシュレイ自身がその罪を認めていますので」


 ノアはゆっくり頷いた。


「まさかアシュレイがそんなにも思い詰めていたなんて知りませんでした。それに、今回の件はアシュレイさんが筆頭ではありますが、協力者は寮内に多数いたそうです。元愛子達は全員。愛子のせいで村が滅んだ、あるいは家族が死んだ者たちも協力していて、あの祭の日、交代要員であった愛子が数人怪我をさせられたり、監禁されていたそうです」


 悲しいことです。と、語るレイモンドはいつもの綺麗な笑顔を引っ込めて、無表情だった。

 顔の整ったレイモンドの無表情はゾッとするほど美しく、恐ろしい。


「魔物はどうして現れるのか。愛子はなぜ愛子になるのか。長年の疑問ですが、魔物に関しては最近研究が進んでいます」


 え?と顔を上げる。


「魔物は、元愛子の怨念などが動植物に影響を与えているようなんです」


 まあ、まだ仮定を裏付けしていってる段階ですけどね、とレイモンドが肩を竦めた。


「さて、私はまだこの件の調査と後片付けがありますので、もう行きます。リュカさんももうすぐ目覚めるでしょう。何かあればまた言ってください」


 レイモンドがよいしょ、と立ち上がる。

 シュゼは近くにいなかった。


 レイモンドが去ってしばらくして、リュカが微かに身じろぎする。

 喉以外至って健康なノアは、隣のベッドに駆け寄った。


 リュカの目がゆっくり開く。

 金色の瞳が覗いた。


「……」


 その唇が、おはよう、と言ったように見えた。

 ただ、音がしなかった。

 声が出ないようだった。

 ノアのように喉に痛みがあるのかと思った。

 リュカのベッドサイドにあるお白湯を勧め、リュカはそれを飲んだ。飲む時に顔を顰めることはなく、喉は痛くなさそうだった。

 ただ、声が出ないようだった。


 リュカは不思議そうに喉を摩っている。

 ノアはひどく不安になって、慌てて病室を飛び出した。

 掠れた声を無理やりに絞り出して、驚いている看護婦に、レイモンド様を呼んで、と頼み込む。


「ノア様、落ち着いてください、どうされたのですか」


 看護婦はひどく混乱しているようなノアを宥め、ベッドに戻し、それからリュカの様子を見て怪訝そうな顔をした。


「確かに、これはハーデン様に見ていただいた方がいいかもしれないわ」


 看護婦はそう判断して、先ほど救護院を出たばかりのレイモンドを呼びに行った。


 まもなくして戻ってきたレイモンドは、リュカを見て、ノアを見て、首を傾げた。


「リュカさん、あなた、神に祈り、そして憎みましたね?」


「……」


 リュカが目を逸らす。


「どういうことですか」


 話の流れがよくわからない。

 レイモンドは看護婦が準備した椅子に「どうも」と言って座る。


「アシュレイが元愛子だと言うのは、知っていますか?ノアさん」


「はい。癒しの歌消失事件について、リュカに聞きました」


「なら、話は早い。愛子は神を強く憎むことで愛子の座から逃れることができます。神の怒りを買うので、愛子の力を失うのはもちろん、神の元へ帰ってきてはならないと、寿命や老いを失います。リュカさんはその状態ですが、もう少し特殊です。リュカさんは力を失う前に、自分が普段歌う歌以外を歌ったのではないですか?例えば、攻撃の歌とか」


 塔の上での出来事が、ノアの中で蘇る。

 リュカの声と歌が酷く歪み、魔物が叩きつけられたことを。


「心当たりがありそうですね?ノアさん」


 ノアが小さく頷いた。

 リュカはあまりきちんと覚えていないようで、ずっと不思議そうな顔をしていた。



「歌える歌以外を歌うのは、咄嗟の強い祈り。そしてその代償に、声と歌を失ったのでしょう。神から与えられた寵愛以上の愛を貰えば、神の怒りを買いますから」


 リュカはレイモンドの話を理解して、それから、布団に潜り込んでしまった。


「ノアさん、リュカさんが寿命や老いまで失ったかどうかは、数年様子を見なければ分かりません。ですが力を失ったのは確かでしょう」


 これからは神の愛子ではいられない。それがどう言う意味なのか、実感としてはわからないまま、レイモンドはそれでは今度こそ私はこれで、と言って去っていった。


「リュカ、リュカ」


 布団に潜り込んだリュカが、ゆっくりと出てくる。

 声を出そうとしても出せない。


「リュカ、ごめん。あの時、ぼくを助けようとしたから」


 リュカが歌えるはずのない攻撃の歌を歌ったのは、ノアのためだった。

 ノアには、それがわかっている。


 リュカがゆっくり首を振って、「のあは、けがはない?」と口をパクパクさせる。

 何度か繰り返し同じ言葉を繰り返してもらって読み取り、ノアは首を振った。


「リュカが助けてくれたから」


「それならよかった」


 と、また口パクでリュカが言って、笑った。



 ノアは喉、リュカは全体的な疲弊が見られたが、特別治療の必要な状態ではなく、2日程度の様子見の後、2人は寮へと帰ってきた。

 アシュレイの代わりに澄まし顔のメイドが、208号室を担当してくれていたらしい。

 ブランシュも特別困った様子はなく、実は猫好きだったメイドにより普段よりも少し良いものを食べさせられ、舌が肥えたのか普段の食事を残すようになった以外は変わりないようだった。





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