第16話 平穏な日
今日は数年に一度のお祭りがあるらしい。
朝、寮を訪ねてきたアンナに教えてもらった。
リュカは朝から不在にしていて、どこにいったかわからない。
「リュカさんが戻ってきたら教えて、ノア。私お祭りに誘うから」
恋する乙女のパワーはすごい。仕事の合間だろうに、忙しなく動きながらもリュカへのアピールは欠かしていないらしい。
なりふり構わずにアタックできるアンナが少し羨ましい。
「……今日はリュカ、帰ってこないんじゃないかな。どこ行ったか、知らないし」
「えぇー。ルームメイトなのに?」
「ルームメイトだからってなんでも教えあってるわけじゃないよ」
「そっか……残念。わかった」
アンナは目に見えてしょぼんとして去っていった。
「でも本当にどこに行ったんだろ?」
ブランシュを抱き上げて尋ねてみるが、迷惑そうに身を捩って逃げられてしまった。
掃除をするアシュレイの背中を眺めると、彼も迷惑そうにこっちを見た。
「ノア様、視線がうるさいです。リュカ様の居場所なんて、ボク知りませんよ」
ほらほら邪魔ですよ、とホウキをパタパタされてしまい、ノアはすごすごと部屋に戻った。
ノアに嫌いと言ってから、アシュレイは何かが悪い方向に吹っ切れたように、嫌い!と言う態度を隠さなくなった。
それでも風呂の準備や掃除、食事の世話などは手を抜かないので、ノアの生活にさほど影響はないが。精神的にはくるものがあったりもする。
アシュレイの過去を知ってしまった側としては、文句も言いにくいが、ノアへの感情はとばっちりも良いところだ。
部屋の扉を少し開けて、ブランシュ用のおやつでブランシュを釣る。
彼女は乙女だがお菓子が大好きで、お菓子をあげている間だけはとても愛らしい猫になる。
今日はお祭りとは関係ないだろうが学校はお休みで、リュカがいないとノアは退屈だ。
おやつが尽きて、去って行った薄情な猫の背中を名残惜しげに見ながら、ため息を吐いて立ち上がる。
何度読み返したかわからない本を手に取って読み始めた。
しばらくすると、扉がノックされて、薄く開いた扉からリュカが覗き込んだ。
「ただいま、ノア」
「おかえりなさい。どこに行ってたの?」
リュカの腕の中にはご機嫌のブランシュがいる。ノアへの態度とは、出会った時から全然違う。
「ちょっと実家に帰ってたんだ」
「モンテスのお家ってこと?」
「そうそう」
「お家に帰ってた割には、あんまり楽しそうじゃないね?」
「そう?」
「うん」
「まあ、僕の家はこっちだからね。あっちには、家族がいるけど、僕はお客様みたいな扱いだから」
リュカの顔は無表情だが、寂しそうだった。
「お客様?家族なのに?」
「貴族の家はそんなもんだよ。教会に預けた子供は政治的に利用もできないし、僕が癒しの歌でお金を貰っていても、家族には関係のないお金だから。教会に預けるときにもらえる見返りだけが、僕ら貴族の子供の価値だからね」
難しい話だった。
「だから、母親に愛されて、幼馴染に心配されてる君がちょっと羨ましい」
リュカの言葉に、「あ!」と思い出す。
「ね、リュカ。今日はお祭りがあるの?」
「え?お祭り?」
「何年かに一回のお祭り」
「あぁ……王都の繁栄を祈り、神の愛子に感謝を捧げるお祭りだね」
リュカが頷く。
「それがどうかした?」
「アンナが、リュカと行きたいって」
「アンナちゃんが?」
「うん」
リュカは短く嘆息した。
「アンナちゃんにはこの間も、一緒にはいけないって伝えたんだけど」
「用事がある?」
「いや、ノアを誘おうと思って」
「え」
「え、嫌?」
「嫌じゃない!嫌じゃないよ。びっくりしただけ」
じゃあ、とリュカがノアの手を取る。
「一緒に行こ?」
「はい」
ノアが部屋を出ると、アシュレイが窓の外を眺めながら、念入りに同じ場所を拭き掃除していた。
「アシュ。大丈夫?」
心ここに在らずといった様子で窓の外を眺めるアシュレイに、リュカが怪訝そうに声をかける。
「は、はいっ!あ、リュカ様。おかえりなさいませ」
アシュレイは大袈裟に飛び跳ねて振り返る。
リュカの姿を見て、何度か瞬きをした。
「大丈夫?」
「大丈夫ですよ。それより、どうされました?」
「大丈夫なら良いんだけど。ノアと2人でお祭りに行ってくるから。昼ご飯も夜ご飯も、準備しなくて良いよ」
「あ、はい。分かりました。……リュカ様、一雨来そうですよ」
え?と、ノアが窓の向こうを眺める。
ここ数日天気は安定していて、今も雲ひとつない青空が広がっている。
雨なんて降りそうにない。
「アシュ?それはどういう、」
「行ってらっしゃいませ!」
聞き返すのを遮って、アシュレイがぺこーっと頭を下げた。
「なんだか、アシュレイの様子が変だね」
廊下を歩きながら、リュカが首を捻る。
「うん。変だった」
「雨が降る、なんて。良い天気なのに」
「まあ、ここ最近のアシュは少し変だし、変に気にする必要はないと思う。それより、お祭りに行こう」
「……ぼくの母がきてから変だよね」
「まあ、そうだね」
「でも、リュカにはいつも通りだよ」
「アシュは、癒しの歌を歌う愛子にはほんの少し同情的なんだ。程度に差はあれだ、同じ悲しみを知っているところもあるから」
「そうなんだ」
「あ、お祭りに行く前に、女子寮に寄るよ。アンナちゃんにお断りだけ伝えないと」
そういえばそうだった、とリュカと共に教会の反対側にある女子寮に向かう。
寮の入り口でアンナを呼んで欲しいことを伝えると、しばらくして上機嫌なアンナが降りてきた。
「リュカさん!」
リュカの姿を見つけて駆け足で寄ってくるが、隣にノアがいるのを見て不思議そうな顔をする。
「アンナちゃん、せっかく誘ってくれたのにごめんね。前にも伝えたと思うけど、一緒にお祭りにはいけない」
目に見えて、アンナの顔が沈む。
「どうしてですか?」
「ノアと行きたいから」
ノアと繋いだ手をアンナに見せる。
「……ノアのこと、好きなんですか?」
「うん」
迷いなく頷く。
「え、え、なんでそんな話になるの?」
困惑するノアをそのままに、「じゃあ、そう言うことだから」とリュカが言って、女子寮をノアを連れて離れた。
アンナは返事もできないほどショックを受けたようだった。
「リュカ、どう言う意味?お祭りと、その、好きってどう言う関係が」
「数年に一度のお祭りは、大切な人と過ごす1日って言うのがキャッチフレーズなんだ。好きな人とそのお祭りを過ごすことができれば、神の恩恵で末長く幸せになれるらしい」
「……へぇー」
数年に一度しかないせいで、色々な意味が盛り込まれたお祭りらしい。
お祭りは王都全体でやっているらしく、今日は馬車を出さずにリュカと2人で歩いた。
林を抜けると貴族街。
いつもは静かなそこにも、今日は屋台を出して良いことになっているらしい。
少し値段設定の高めの食べ物がたくさん売っている。
「ノア、あのお肉食べる?」
高めのお肉が串に刺さって焼かれている。
美味しそうなタレの匂いがこっちまで香ってきている。
「うん」
2本買って、食べ歩きをする。
使い捨てのカップに2、3個入ったミニのパンケーキ、果物が丸ごと串刺しにされたデザート、中のタレが甘辛いサンドイッチに似た食べ物など、色んな種類をリュカと分け合って昼ごはん代わりにする。
普段はしない食べ歩きに、ノアはワクワクした。
「そこのお兄さんたち、寄って行かないか?」
屋台のおじさんが、目の前を通り過ごすリュカとノアを呼び止めた。
「アクセサリー?」
貴族街だからだろう。
小さいが本物の宝石を埋め込んだ指輪やネックレス、イヤリングやピアスなどが売っている屋台だった。
奇抜なデザインからおとなしめのデザインまで取り揃えていて、宝石の価値のわからないノアでも眺めていて興味深い。
「ノア、欲しいものある?」
「えっと」
欲しい、と言われてもよくわからない。
リュカが笑って、ラピスラズリの嵌った指輪を一つ、ノアの指にはめる。
「サイズもいいね。ノアの髪や瞳と同じ色だ」
藍色の石は確かに、ノアの髪や瞳に似ている。
「おお、良いね」
屋台の店主も褒めてくれる。
「じゃあ、これをもらうよ」
リュカが銀色の硬貨を3枚渡す。
店主は硬貨を眺めて、それから「これは貰いすぎだぞ?」とリュカに返そうとした。
「良いんだ。今日は特別なお祭りの日だからね」
「さすが愛子様は気前がいいや」
そういうことなら、と店主がホクホク顔で銀貨をしまった。
ノアの指に藍色が光る。
誕生日にもらったブローチ以外のアクセサリー類を身につけたことがないノアにとって、指輪を身につけるのはなんだか少しくすぐったくて、違和感で、だけど嬉しいものだった。
いろんな屋台を冷やかし、時々遊んで、食べて、たくさん歩いた。
平民街の端から、貴族街の端まで。
どこの屋台も活気があり、街全体が浮ついているようだった。
「ノア、夜には花火が上がるよ」
「花火?なあに、それ」
聞いたことのないものだ。
リュカが空を指差す。
「花火は、空に咲く大きな火の花のことだよ。夜空に映えて綺麗なんだ」
「そうなの?」
「うん。夜が近くなったら、時計台を登ろうか」
神の愛子は、国の施設のあらゆるところを利用できるらしい。
さらに近い方が花火は見やすいと、リュカが言う。
日は暮れ始めたばかりで、辺りをオレンジに染めている。
だが、夜というには早い時間だった。
屋台を巡りながら、いくつかの食べ物と飲み物を買う。
花火を見ながら食べるのがいいらしい。
日が暮れ始めて、ノアとリュカは揃って時計台を登った。
人のいない石を積み上げて出来た時計台は、少し冷たい印象だった。
今日は祭りの妨げにならないよう、時計台は時刻を示す鐘を鳴らさないらしい。
時計台の一番上に登ると、展望台のようになっていた。
真ん中には支柱が入っており、壁。そこをぐるっと囲うようにベンチが設置されている。
時計台の周りが見渡せるように、外側には窓がはまっている。
ベンチに買ってきた食べ物や飲み物を置いて、それを挟むようにリュカと並んで座る。
「リュカ、いつもたくさんありがとう」
一度一休みして気が抜ける。
手を見るとラピスラズリがどこかの光を反射していて、急にリュカにお礼を伝えたくなった。
「どういたしまして?お礼を言うのは僕の方だよ。君がいてくれてよかった。僕のしたいことができているのは、ノアのおかげだからね」
「そっか。ぼくだけがリュカにお世話になってるわけじゃないなら、よかった」
「これからもよろしくね」
リュカと出会って2年と少し。
リュカは少し表情が柔らかくなった。
ノアはリュカとずっと一緒にいたいと思っている。
不器用で優しいリュカの助けになりたいと思う。
お祭りの趣旨に合わせて、ノアは神様に感謝した。
ぼくが愛子で良かったです。
リュカと出会わせてくれてありがとうございます。
でも、村を魔物が襲うのは酷いと思います。
少しでも悲しい思いをする愛子が減りますように。
日が暮れる。
夜が訪れる。
静かで平穏な日だ。
今日ばかりは、魔物のことを忘れていたい。
愛子の仕事も役目も、今日だけは無縁でいたい。
花火が上がるのを楽しみに待った。
窓の外をぐるりと眺めて、ノアはこの時計台のすぐ横には王都を守護する結界を張るため、愛子たちがいる塔があるのを思い出した。
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