ささくれには甘いものを

安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

「ささくれには甘いものを!」


 そう言って差し出されたマグカップを、私は怪訝けげんな表情で見つめた。自信満々な顔でマグカップを差し出してくる幼馴染は、私がそれを受け取ると信じて疑っていない顔をしている。


「そこは普通、ハンドクリームとかになるのでは?」

「それは手のささくれの場合でしょ? 私が言ってるのは、心のささくれの話だよぉ」

「心のささくれ?」


 確かに最近、心がささくれ立っているとは思っている。


 度重なるサービス早出にサービス残業。クソ上司にクソクレーマー。どいつもこいつも私に『仕事は迅速、確実に』『常にニコニコ愛想良くあれ』と強いて、少しでも取り繕い損なえば途端に攻撃してくる。


 今日なんて、知らない間にささくれを書類に引っ掛けて血をにじませていたら『女なんだから指先くらい綺麗にしておけ!』とクソ上司に怒鳴られた。


 誰のせいで私の指先がこんなんになってると思ってやがんだ、あんのクソ上司が。


「ささくれってさ、地味なんだけど、結構痛いじゃん?」


 思わず殺意を募らせていると、幼馴染は私の手に無理やりマグカップを握らせた。ホコホコと湯気を上げるマグカップの中には、マシュマロを浮かべたホットココアが入れられている。


「心のささくれも一緒。『大したことない』って見ないフリをしてると、いつの間にかいっぱい血がにじんで、バイキンが入り込んでれちゃって、大変なことになると思うの」


 私の手がしっかりマグカップを握り込んだことを確かめた幼馴染は、私の隣に腰を降ろすとスリッと身を擦り寄らせた。そんな彼女の手にも色違いのマグカップが握られていて、同じマシュマロ入りのホットココアが淹れられている。


「だから、ここみ が まゆゆ の心のささくれに、絆創膏を貼ってあげる」


 そう言ってニコッと笑った幼馴染は、体を丸めるようにしてマグカップに口をつけた。アチチ、という小さな声を聞いているうちに、なぜか私も自然とマグカップに口をつけている。


 トロリと甘い、ホットココア。ここみ が淹れてくれるホットココアは、昔からマシュマロと砂糖マシマシの、ビックリするくらい甘いココアだと相場が決まっている。


 正直言って、私の口には甘すぎる。


 だけど。


「……美味しい」


 ささくれがたくさんできた私の心は、いつもこの甘さに癒やされる。


「へへっ、でしょー?」


 隣から得意げに響く甘えた声が面白くなくて、今度は私から ここみ に体を擦り寄せる。


「……疲れたよ、ここみ」

「うん」

「手にもハンドクリーム塗って」

「いいよ」

「甘やかして」

「任せなさい!」


 きっと今晩の私は、ホットココアに浮かべられたマシュマロみたいにデロッデロに甘やかされてしまうのだろう。


 だけど、今だけは。心にたくさんささくれを抱えてしまった今だけは、この甘さが許される。許されることに、してしまおう。


 私は難しい考えを放棄して、舌を蹂躙じゅうりんする甘さと、隣の心地よい温もりを堪能することにした。

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ささくれには甘いものを 安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売! @Iyo_Anzaki

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