ものくろーむ・でぃすとぴあ

ただのネコ

コロニー3390のあるパブにて

「ササくれ」

 パブに入ってきたのは、一人のパンダであった。カウンターのペンギンに、配給証のコインを投げる。

 数人のアビシニアコロブスが視線を向け、すぐにそらした。

「はい、どうぞ」

 ペンギンはコインを拾い、代わりにそっと白地に黒の水玉模様の包みを置いてくれた。

「いいよな、希少種様は。何にもしなくても、ちゃんと好みに合わせた専用食料が用意されてる」

 白黒縞々のレーションをつつきながらシマウマが毒づく。


 パンダは何も言い返さない事にした。

 わざわざ人工ササなんか仕入れてくれるのは、このコロニー3390だとこのパブだけなのだが、シマウマにそんなことを知る由は無い。

 何にもしていないのは、間違いではないのだし。


 ささくれだった心を、白黒のササが逆なでする――そう、緑ではないのだ! あの胸のすくような香りのする、柔らかで味の良い天然ササは、今や超がつく貴重品だ。

 あの色喰禍のあと、世界には原則として白と黒の生き物だけが残っている。


『研究所は、ペンギン人の生殖研究の中止を決定しました。あらゆる手段を尽くしても受精卵の生存確率は向上せず、これ以上の』

 つけっぱなしのテレビが嫌なニュースをがなり立てる。

「だろうと思ったよ。あいつら卵が白いもんな」

「ちょっと」

 肩をすくめたスカンクのわき腹を、マレーバクがつつく。いくらなんでも、ペンギンの仕切るパブでは不適切だ。


 世界を虹色のなにかが覆い、白と黒の動物だけが生き残った。

 他の色でも、虹色に触れるまでは生きていられるが、虹色はどこにでも忍び寄ってくる。

 さらには白だけでもダメ、黒だけでもダメ。両方を備えている者だけがかろうじて生き残り、身を寄せ合って白黒の合成食料をかじりながら暮らしている。


 パンダはペンギンに声をかけた。パンダにはそうする義務があった。

「残念だったな」

「いいわよ、別に。もう――」


 ペンギンが飲み込んだ言葉の残りを、パンダは知っていた。

 『あの人もいないんだし』だ。

 彼女は自分を気づかって言葉を切った。そのことがささくれのようにじりじりとパンダの心を痛めつける。彼女の方が、辛いはずなのに。


「ホッ、ホホッホホッ」

 突然コロブスが鳴きだした。

 警戒音だ。

 知性化前の習性を残す彼らは、一人がコロニーの危険を見つければ全員が鳴きだして知らせてくれる。

 ペンギンが、さっとテレビを監視カメラに切り替えた。


 色を吸われ切った大地が灰色の砂煙をあげている。

 その向こう側に、丸い虹が見えた。色喰禍の始まりの日に、世界中で見えた丸い虹。

 その中から、茶色の塊が次から次へと現れる。

 一つ、二つ、三つ……

 十!

 百!!

 千!!!

 万!!!!


「色が! 色がついてる!!」

「あれはなんだ?」

「バッファローじゃね? ええと、正式にはアメリカバイソンか」

「いや、その前になんか走ってるだろ」

「分からんな。ちっさすぎて見えん。四足獣っぽいが」

「知性化されてない獣? 生き残っていたのか?」


 パンダにも、それが何かは分からなかった。

 何なのか知ろうとも思わなかった。

 思っていたことはただ一つ。


(あいつなら、守りに行くんだろうな)


 それが何なのかを知らなくても、バッファローの群れに無惨に踏み殺されそうなら、命を張って守るに値するのだと。そうあいつなら言うだろう。


 スカンクが勝手にアドバイスAIへの接続を開始する。


『バッファローの群れがコロニー3390に到達するまで、推定で後10分です』

「到達したら、どうなるんだ?」

『推定1トン程度のバッファローがおよそ1万頭、時速60㎞~70㎞で走行しています。この運動エネルギーを計算すると、コロニー3390は、バッファローの群れに完全に踏みつぶされると推定されます』

「おいぃぃい!」

『申し訳ありません。私の回答は不適切でしたでしょうか? もしさらなる質問や必要な手伝いがあれば、お知らせください』

「何か逃げる方法は無いのかよ!」

『逃げる方法として、時速80㎞以上で走行し続ける方法を提案します』

「ムチャ言うな!」


 知性化されで二足歩行になった今の動物たちに、時速80㎞以上で走ることはまず不可能だ。

 それでも、シマウマたちがそそくさとパブを出て行った。

 彼らなら、出来るかもしれない。野生であった頃の力を発揮できれば、あるいは。


 だが、元々高速で走れなかった動物も多い。

 なにより、パブは走れない。

 あいつとの思い出が詰まったこのパブは。

 何にもしないパンダを、それでも受け入れ続けてくれたこのパブは。


「ササくれ」


 パンダは我知らずそう口にしていた。

 食べるためではない。戦うために。


「白黒の、クソマズい合成ササでいいからよ。なるべく長いササをくれ」

「やだよ」


 ペンギンの即答。

 ならば素手でも、と思ったパンダをペンギンの羽根が止める。


「持たせられるわけないだろ、そんな安物」


 酒瓶が並んだ隠し棚が開くと、一つの鉢植えがあった。

 モノクロームに慣れた目に、鮮やかな緑色が痛いほど沁みる。

 笹だ。緑の笹だ。


「借りが増えたな」

「返せよ」


 ペンギンに肩を叩かれ、パンダは鉢植えから笹を引き抜く。

 根に絡んだ土を払い落とすと、アドバイスAIが呟いた。


『バッファローの群れがコロニー3390に到達するまで、推定で後3分です』


 パンダは笹を構え、パブを飛び出す。

 3分あれば充分だ。

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