探検家ロカテリアの救助(3)

 酒場に残ったのは老いたバーテンダーと、槌爺つちじいと呼ばれる片腕をハンマーの義手にした男だ。

 テーブルを片付けて、静かに洗い物をはじめたバーテンダーは、下を向いたまま小さな声で言った。

「あのロカテリアが、もはや完全な老婆扱い。時間の流れは早いネェ」

「宿に呼びに行かせた時点で、何人か半殺しになるかと思っていたが、丸くなったもんだ」

 槌爺はククっと喉の奥で笑う。

 

「子どもとはいえ、あの年齢トシで人ひとり背負って縦穴を登るとはね。いったい、いくつになったんだい?」

 前に聞いた時には、もう数えるのはやめたと言われたと、槌爺は肩をすくめる。

「細身に見えるが、中身は全部筋肉なんだろうさ。身のこなしからしても、今も鍛えてるのは間違いない」

「ちゃっかりボウズからキスもせしめたようだし、ロカテリアもまだまだ枯れちゃいないネェ」

 

 いや、と槌爺は首をかしげながら、自分のウィスキーグラスに指を突っ込んで、中から丸氷をすくい上げた。

「ロカテリアも年をとった。あれは隙をつかれたんだよ」

 テーブルの上に氷を置いて、ゴンとハンマーで叩いて砕き、グラスに戻す。

「そうでなきゃガキとはいえ、他の男にキスさせたりしない」

 槌爺がグラスの中でクラッシュアイスにして飲むのを、嫌そうにバーテンダーは見つめた。

「その飲み方、汚いからやめておくれよ」

 あぁん? とガラの悪い返事をしながら、槌爺はガリガリ氷をかみ砕く。


「噂じゃ結構浮名も流れてるようだけど、そんなに身持ちの固い女かね?」

 ロカテリアと、どうこうなったなんて話は、猛獣に素手で勝ったくらいの眉唾ものの武勇伝だ。

 しかしそれを、おもしろおかしく吹聴して回る男というのは、どこの町にも一定数いる。

 噂の出所を突き止められて、本人の鉄拳制裁をくらったという話までがオチでもあった。


「俺が知る限り、ロカテリアが愛した男は、ひとりだけだ」

「あぁもしかして、だいぶ昔に一緒に来てた、あのでっかい男かい?」

 返事の代わりに、槌爺はおかわりを要求してグラスを差し出す。

 バーテンダーがウィスキーを継ぎ足すと「氷も」と言い、じゃあ砕くんじゃないよと恨み言が漏れた。

  

「知っているか? ロカテリアのトランクに使われている金属部品は全部、金剛豪石こんごうごうせき製なんだ」

「ハァ? うちの鉱山からトロッコ八杯分しか出なかったっていう、あの伝説の鉱石かい。全部皇帝に献上されたって聞いてるがね」


 ある日図体のでかい男と共に町へやってきたロカテリアは、内緒で金剛豪石を探しているのだと言い、案内役として槌爺を雇った。

 驚くことに、鉱山にあるものよりよほど詳細な地層図を所持していて、だいたいの場所のアタリまでつけてきていたのだ。


「でかい男の方は、坑内まではついてこなかったからな、夜中にロカテリアと二人で、こそこそと忍び込んでは金剛豪石を探し回った」

 当時の槌爺は、働き盛りなのに事故で片手を失って、金が無かったし、不安と不満を抱えていた。

「あん時はまだロカテリアも若くてな、こっちに尻を突き出して、夢中で石探ししてる姿を見てたら、ついムラっときてな」

 バーテンダーの蔑むような目に「出来心だ」と槌爺は渋い顔を返す。

 

「狭い通路だったし、死角から狙ったつもりだったんだが、俺の指がケツに触る前にものすごい力でつかまれて、ひねりあげられて、地面に転がされたよ」

 地面に転がした相手を見下ろしたロカテリアの瞳には、蒼い炎のような怒りが燃えている。

 その目に射すくめられた時、槌爺はハッキリと「あぁ、俺、死んだな」と思った。


「無事だった方の手も、ちぎられたいの? ってな、あん時の地獄から這い上がってくるような低い声は、忘れられねぇ」

「聞いてるだけで、ヒュンとなったよ」


 その一件で、完全に主従関係が決定し、以降、槌爺つちじいはロカテリアの犬として坑道をかけまわった。

 昼は片腕の不自由な手伝いとして、夜は女王ロカテリアの下僕として、クタクタになるまで働くうちに、不安も不満もすり切れて消えていく。

 そしてロカテリアは、ごく小さな金剛豪石の鉱脈を、本当に掘り当ててしまったのだ。


「じゃあ町の連中も知らない金剛豪石があったってことか。それをロカテリアに全部持って行かれちまったのかい?」

「いや彼女が欲しがったのは、ほんの少しさ、残りは報酬としてもらった」

 にぶく輝くハンマーを見せびらかして、槌爺はニヤリと歯を見せる。

「あああ、やたら丈夫なハンマーだと思っていたが、もったいないネェ!」

「何がもったいないことがあるか、最高の使い道だろう」


 

 槌爺は声に出さずに、あの日の光景を思い出していた。


 金剛豪石を入手した喜びで、ロカテリアは跳ねるように、連れの大男に抱きついた。

 褒めて褒めてとじゃれついて、すぐ後ろにいる槌爺のことなどすでに眼中にない。誰が見ても分かるほどに、彼女は男を愛していた。


 押されるままに、よたよたとバランスを崩す男は、同業者とは到底思えず、あのデクノボウのどこがいいのかサッパリ分からない。

 素晴らしい観察眼とカンの良さ、そして度胸の良さを兼ね備えた女だと認めていただけに、男の趣味の悪さには心底がっかりしたものだ。


 そうしてロカテリアとデクノボウは一緒に町を去り、槌爺は金剛豪石で作ったハンマーの義手を装備して、名実ともに「槌爺」となる。

 すぐに鉱夫として成果をあげるようになると、かなりの年かさになっていた槌爺のもとに、縁談が舞い込むようになった。

 可愛い女、若い女、泣きぼくろのセクシーな女。不思議なことに誰に「嫁にもらってよ」と言われても槌爺の心は動かなかった。


 三年ほど経って、再びロカテリアがフラリとこの町を訪れた。

 金剛豪石の使い道が、大事そうに抱えている真新しいトランクの金具だったということも、この時に知ったのだ。

「今度はね、幻の紅輝石べにきせきを探してんの。また手伝わない?」

「あんたもそろそろいいトシだろう、いつまでも幻なんか追いかけてないで、そろそろ落ち着いたらどうだ」

「アタシは落ち着かない、一生未知を追いかけて、探検家ロカテリアでいるの」 

 その笑顔を見た時、唐突に槌爺は理解した。

 自分は、この女が好きだったのだと。

 

 ロカテリアは一つの場所に、長く居着かない人間だった。

 紅輝石の調査も、もう少し気長にやれば成果が出そうなものなのに、半端に中断して次の旅に出てしまう。

「いいの、また何度でも来るから!」

 彼女の足取りはいつも軽やかだった。

 

 喧嘩の仲裁に入ったかと思えば、途中で気が変わって、結局自分が殴りかかってしまう苛烈さ。

 酒とタバコが好きで、賭博にやたらめっぽう強い勝利の女神。

 銅貨一枚でも損したくないと粘るくせに、全く無償で誰かを助けてしまう気まぐれな博愛。

 とことん未知を愛し、どんな探検の成果も独り占めしようとしない。

 モノにも、誰にも、何にも縛られない自由なロカテリア。

 

「あいつは、風だな」

 しばらく黙りこんでいたかと思えば、急にそんなセリフを吐いた槌爺に、バーテンダーはうんざりした顔をする。

「……そんな可愛いものじゃないだろうよ。何年か前に酒場ウチで暴れた後なんか、まるで台風が通ったあとみたいだったの忘れたのかい?」

「台風ロカテリアか、ピッタリだな」


「今回だってボウズからは取り立てなかったらしいけど、何故かうちから40年ものの秘蔵ウィスキーを持っていったからね」

 しかも店に買い置きしていたタバコも根こそぎやられたと、がっくりと肩を落とすバーテンダーに、槌爺も同意する。


「俺は、子どもの頃から独自に調査して、書き溜めてきた鉱石図鑑を没収された」

 実は前から目をつけていたんだよ、と、ロカテリアは邪悪に笑いながら槌爺の手から取り上げていった。

「西国に腕のいい複製師がいるから、そいつに書き写させたら返すって、何年先の話だか……」

「老い先短いんだから、勘弁してほしいよネェ」 

  

 髪が真っ白になって、シワも増えて、婆ちゃんと呼ばれるようになって。

 それでも彼女と「老い先短い」という言葉は、結びつこうとしなかった。

「ああいう小憎こにくたらしい手合いは、長生きすると相場が決まってるんだ、くやしいから俺たちも負けずに、憎まれて生きような」

 槌爺が流し込んだ最後のウィスキーは、クラッシュアイスのせいで、水のように薄い。

「一人で勝手に憎まれておくれよ、巻き込まれるのはごめんだ!」

 バーテンダーの悲鳴に、ロカテリアならこう言うだろうと、槌爺は口の端を吊り上げた。


「なんだい、つれないねぇ」 

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探検家ロカテリアの救助【KAC20244】 竹部 月子 @tukiko-t

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