探検家ロカテリアの救助(2)
「ぬははは、誰もワシの連勝をとめられねぇのか」
「なにおぅ、調子に乗っていられるのも今のうちだぜ、覚悟しな」
レディー……ゴゥ!
理由をつけては酒が飲みたい男たちは、ロカテリアが町を離れた翌日には、少年の快気祝いを開催した。
筋肉自慢の鉱夫たちが腕相撲大会をして盛り上がっている店内で、その声はひときわよく響き渡る。
「おれのせいで、みんなにロカテリア婆ちゃんとあんなことさせて、ごめんなさい!」
松葉杖をついた少年が、ガバッと頭を下げる。
酒場の中はシンと静まり返り、少年は若い鉱夫に泣きそうな顔ですがりついた。
「兄ちゃんなんか、つい最近結婚したばっかりなのに。奥さん怒ってたでしょ? おれ謝ってくるよ」
すぐにでも店を飛び出していきそうな少年の襟首を、太い腕がむんずとつかむ。
「待て待て、どうしておまえはそうやって毎度、鉄砲玉みたいに飛んでいこうとするんだ。落ち着いて話せ」
言われても少年は落ち着くはずもなく、ベソをかいて叫ぶように言った。
「だから、おれを救助してもらう代わりに、みんなあの婆ちゃんと熱烈キッスさせられたんだろ!」
テン、テン、テン、チーンほどの間の後で、酒場は盛大な笑い声に包まれた。
「あの婆さんと、キッスだってよ!」
「そんなこと冗談でもしようとしてみろ、こっちの首がねじ切られるぞ」
「え、えっ?」
少年はあっちのヒゲ面、こっちのヒゲ面を見回して目を白黒させる。
だいたいそんな暇があったはずがないだろうと、鉱夫たちは苦笑いする。
「おまえが穴に落ちたと気づいてすぐに、一番華奢な若いヤツに潜らせたがダメでな、そん時、
急に名前を出された槌爺と呼ばれる男は、カウンターで居心地悪そうに背中を丸めた。
大昔の事故で利き腕のヒジから先を失くしたが、義手の代わりに先の尖った金槌をつけて、今も現役で坑道で働いている。
「だが呼ばれてやってきたのは、鳥ガラみたいに痩せた婆さんだろ、ついに槌爺もボケちまったかと思ったよ」
少年だって「助けに来てやった」と、ロカテリアが言い放った時の絶望感は、正直ハンパでは無かった。
しかしそこからが、探検家ロカテリアの凄いところだった。
彼女が所持していた、やたら詳細な鉱山の地図と、炭鉱で管理されていた地形図、作業図、調査図を素早く照らし合わせる。
同時進行でロープを点検し、鉱夫たちに内部の様子について、質問を浴びせかけた。
少しでも答えに詰まると、容赦なく怒鳴り、怒鳴りながら救助用のザックを背負い、ブーツの紐をきつく縛りなおす。
「オイラ思ったよ。この婆ちゃんが親方じゃなくてホント良かったって」
作業場所と通路は明確に分けろ、トロッコの線路上にモノを置くな、坑道で使う道具はきちんと手入れしろ。
安全管理のずさんさをガミガミと怒鳴りながら、自分の命綱の先を、ベテランの鉱夫を見分けて託す。
そして、あっというまにロカテリアは穴の中に消えていった。わずか十五分間で起こったできごとだ。
少年を背負って地上へ這い出てくるまでは、それから五時間。
医者の話では応急処置も適切で、これ以上ない救助だったという。
「じゃあ……おれを助けてくれたのに、婆ちゃんは何にもみんなに要求しなかったってこと?」
信じられないというように少年がつぶやく。
「あーっ、だからお前、骨折してんのにチューする話始めたのか、頭打ったのかと思ったぜ」
指さして笑ってきたのは、おまえにマウストゥーマウスは早い、ほっぺにしておけとアドバイスをくれた男だ。
おかげで、婆ちゃんのほっぺにチューしてきちゃいましたという、可愛い事実で済んだわけでもある。
「なんだよ、マジかよ、恥っずかしい!」
頭を抱えている少年の横で、ロカテリアを宿まで呼びに行ったという男が、軽く手を挙げた。
「俺たちが現場の状況を説明したら、一個だけ頼まれごとはしたよ」
頼まれごと? と全員からの視線が集まる。
「仕事道具のトランクを預けられてさ、中に手紙が入ってるから、もしも自分が戻らなかったら、その場所へトランクを届けてほしいって」
「それだけ?」
それだけ、と男が言うと、なぁんだと皆が胸をなでおろした。
もちろんその頼みは無効となり、彼女は再び自分の手でトランクを持ってこの町を出て行った。
老年のバーテンダーと
「がめつそうに見えて、案外無欲な婆さんだな」
「でも噂では、かなりヤンチャしてきた人みたいだぜ。目を合わせたら殴られるぞみたいな」
なんかわかるぅ、と、むくつけき男たちは、ブルっと震える。
その時、酒場の扉が勢いよく開かれた。
少年が持ち帰った
「おいオマエら、シケた飲み方してんじゃねぇ、親指の先くらいの紅輝石が、金貨十枚で売れたぞ!」
「なんだって! そいつぁすげえや」
「磨けばルビーより深い赤が出るそうだ。これから貴族の間で、流行間違いなしだってよ!」
これで落盤事故の借金が返せる、滞っていた給料を払って、旨いメシも食える。
子どもに一度は諦めさせた都への進学もさせてやれるかもしれねぇ。
「じゃんじゃん掘って、ガッポリ儲けようぜ!」
興奮が最高潮に高まった瞬間、何故か炭鉱夫たちの脳裏に、銀色のおさげ髪がチラついた。
『調子に乗ってんじゃぁないよ』
自分より小さいはずなのに、何故か見下ろされているように感じる目線。
言われたわけでもないのに、やけに鮮明なセリフ。
まるでそれは、ロカテリアの生霊が祝賀ムードに冷や水を浴びせかけたようだった。
「いや待てよ、その前に立ち入り禁止エリアに並べる目印を用意しようぜ」
「古くなった道具も買い換えて、入り口に倉庫も新設しようぜ」
あとは……と、少年に大人たちからの視線が集まる。
「怪我したヤツが、ゆっくり体を休めて、また元気に働けるようになるまで困らねぇような、基金を設けよう」
たとえ親がいなくても、この鉱山で働く全員が、家族みたいなものなんだから。
地上に出たロカテリアから、チクリと言われたことを、力強く親方は少年に伝えた。
「だから、もう二度と自分のことを、要らないとか邪魔だとか言うんじゃねぇぞ」
何人もの分厚い手のひらが、少年の肩に、背中に乗せられる。
「うん……うんっ。心配かけて……ごめんなさい」
「がっはっはっは。いつまでたっても泣きべそ小僧だな、おまえは。さあみんな飲め飲め! 今日は朝まで騒ぐぞ!」
「イヤッホゥ! かんぱぁい!」
「そこまでだよ」
二度目に酒場の扉を勢いよく開いたのは、鉱夫たちの妻連合だった。
「明日も仕事だってのに、何が朝まで騒ぐだい、ほら帰るよ」
「次に二日酔いで坑道に入って怪我したら、承知しないからねって言ったの、もう忘れたのかい!」
男たちは次々に耳を引っ張られて、席を立たされる。
「勘弁してくれよカァちゃん、今注いでもらったばっかりなんだよ」
「じゃあ、あと三秒で飲みな。さん、にぃ、いち!」
「ぶっはああ! きくぅ」
どんなに力自慢の男たちも、自分の愛妻の言うことには逆らえない。
あっというまに帰宅させられていく鉱夫たちを、少年は少し寂しそうに見送ってから、自分のコップに残ったブドウ果汁を舐めるように飲んだ。
すると、テーブルに立てかけておいた松葉杖の横で、小さな靴がカツンと床を鳴らす。
「ねぇ、何回言わせるの?」
不機嫌そうな声に、ハッとして顔を上げると、幼馴染の少女が腰に手を当てて少年をにらんでいた。
「退院したらウチにご飯食べに来てって言ったよね? ちゃんとベッドで寝なきゃ足の治りも遅いって、お医者さんにも言われてるよね?」
「いや、だって、親方に悪いよ……」
「パパもママも何十回もそうしなさいって言ってるのに、なんなの? このイジケ虫!」
少女からの迫力がすごい。
あの手紙が、ロカテリアに破り捨てられていて本当に良かった。
まかり間違って「幸せに暮らせよ」なんて文面が少女にわたっていたら、どれほど怒り狂ったか分からない。
「何だよ、せっかく生きて戻ってこれたのに、おまえ怒ってばっかだな」
ぷいと横をむいた少年の視界の端で、小さな手が自分のエプロンをぎゅうっと握りしめた。
「誰がいつも怒らせてるのよ! 私がどんな気持ちで事故を聞いて、どんな気持ちで何もできずにただ待ってたか分かる?」
こぼれる涙を拭おうともしないで、少女は大声で続ける。
「死んじゃったって、もう会えないんだって、私は一生
バシバシと肩を叩かれるうちに、少年は困り顔から、ゆっくりと照れたように頬を染めた。
少女の細い手首をつかんで、鼻を真っ赤にしている泣き顔を見上げる。
「結婚してから夫に先立たれた人が未亡人だ、まだ結婚してないだろ」
「し、知ってるもん。それに、他の人となんか結婚しないから、同じことだもん」
意地っ張りと、いじけ虫。どっちもどっちの恋心だ。
「いいから、もう、帰ろ」
あたたかい手に引っ張られて、男たちは家へ帰る。
まだ飲み足りないよと文句を言いながら、その顔がまんざらでもないのは、案じてくれる人がいる幸福を知っているからだろう。
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