探検家ロカテリアの救助【KAC20244】

竹部 月子

探検家ロカテリアの救助

 探検家ロカテリアは、狭い縦穴を慎重に下降していた。

 腰のベルトから下方へ垂らしたカンテラが、ジジジと音を立てるたびに、止まって様子を伺う。有毒なガス溜まりがあるかもしれないからだ。

 

「たしかにこりゃあ、男たちには無理かもしれんね……っと」

 ロカテリアのやせた尻でも、岩と岩の隙間にねじ込むようにしなければ降りていけない。

 この鉱山で働く筋骨隆々の鉱夫たちには、到底無理だっただろう。

 ようやく一番狭かった場所を抜けると、急にひらけた空間に出た。

 それと同時に、声が聞こえてくる。

 

「おーい、おーい、ここだー!」

 見下ろせば、下で小さな光が揺れていた。

「よく無事だったね、偉いよ」

 ヒュゥと嬉しそうに口笛を吹くと、ロカテリアはロープを器用にあやつって降下する。


 お目当ての人物がいたのは、縦穴に飛び出た岩棚だ。

 そそりたつ岩壁から、チクリとはがれたささくれ・・・・のように、そこは奇跡的に平場になっている。

 さらにこの下は、奥のまるで見えない闇の大空洞だ。このささくれにひっかかっていてくれなければ、少年は万に一つも助からなかっただろう。


「あんた……どこの婆ちゃんだよ」

 着地したロカテリアにカンテラを向けて、少年はいぶかし気に眉をひそめた。

 すらりと痩せた体に、するどい目つき。ヘルメットからチョロリと出ている三つ編みは、見事な白髪しらがだ。

「探検家ロカテリア様がわざわざ助けに来てやったんだ。口のきき方に気をつけな」

 

「助け……って。婆ちゃんに、何ができるんだよ」

 期待に輝いていた少年の表情はみるみるかげり、地面に両手をついた。

 横に置かれたカンテラが、ありえない方向に曲がった少年の右足を照らす。

「落ちた時に折ったのかい」

「わかんねぇ。あちこちぶつけながら落ちてきて、途中で気絶して、目が覚めたらこんなだった」

 

 当然ひどく痛むだろうに、少年は「ヘヘっ」と笑う余裕すら見せた。

仕事道具トランクを置いてきちまったからね、ありあわせで固定して、さっさと地上に出るよ。その足は医者の仕事だ」


 ロカテリアが、ザックから毛布を取り出して、添え木代わりに固く折りたたんでいると、少年が口をひらいた。

「婆ちゃん」

「ロカテリア様とお呼び」

「おれはいいから、これ持って、一人で上がって」


 ロカテリアは受け取った紙をすぐに開いた。上半分には、誰にどの弁当を届けるかのメモが書かれている。

「……読むなよ、恥ずかしいだろ」


 下半分に書かれているのは、短い遺書だ。宛名は女の名前になっている。

「幸せに暮らせよ」なんて、子どものくせに、背伸びして選んだ言葉なのだろう。

 ロカテリアがじっと見下ろすと、少年は澄んだ瞳で見返してきた。

 もうここで、一生分の背伸びをしてしまうことを、覚悟した目だった。


「百年早いよ、クソガキが」

 その紙を破り捨てると、ロカテリアは少年の足をつかんだ。

「ぎぃっ……!!」

 少年が声にならない悲鳴をあげる様子に、一瞬顔をしかめて、あとは淡々と足を固定する作業をしていく。

 

「いいんだよ! おれなんか、どうせみなしごだし、いつまでたっても仕事も覚えれないバカだし」

 少年はヤケになって大声を出す。

地上うえに戻ったところで、こんな足じゃもっとお荷物になるだけだ! これ以上みんなの、ジャマに、なりたくないんだよ……っ」

 ついにこらえきれないように、声に涙が混じった。

 応急処置を終えたロカテリアは、しゃがみ込んで真正面から少年と目を合わせる。


「ボウズは、みんなの邪魔になる、要らない子だったのかい?」

「そうだよ! 何回も言わせんな!」

「それはアタシの聞いた話とだいぶ違うねぇ……」


 かつてロカテリアが地底湖で発見した青水晶のついの石と呼ばれる、幻の紅輝石べにきせき

 それを探して炭鉱の町を訪れていた彼女のもとに、鉱夫たちがわらわらと押しかけた。

 弁当運びのチビがひとり縦穴に落ちた。今まで誰も気づかなかった穴だ。ひどく狭くて俺たちじゃ入れない。

 

 どうか俺たちの大切な仲間を、救い出してくれ。

 そう、懇願してきたのだ。

 

「そんな……ウソだ。だってみんないっつもおれのこと、怒ってばっかりで……」

「アタシの仕事は救助レスキューじゃないって言っても聞きやしない。だから、たっぷりふっかけて・・・・・やってきたんだ」

 ロカテリアの意地悪な笑みに、少年は目を見開く。

「ひどいよ! 採掘量が減ってる上に、この前落盤があって、みんな困ってる時なのに!」


「そうさ、金は払えないって言うからね、体で払ってもらったんだよ」

 体? と固まった少年に、老婆は自分の唇を指さす。

「全員から熱烈なキッスをね、前払いでもらってきたのさ。若い男の唇はいいねぇ」


 青ざめた少年は、自分の口を守るように両手で塞いだ。

「おええっ!」

「ほう……いい度胸じゃないか。この後はもう、泣き言は聞いてやらないよ」


 ザックに付属している補助具を使って、二人の体が離れないように少年を背中合わせに固定する。

 痩せた老婆は、すっくと少年を背負って立ち上がった。


 そして、上からぶら下がっている二本のロープの片方を腰と足に絡め、それをのぼりはじめた。

 皮の手袋がギュッギュッと鳴るたびに、二人分の体重が細いロカテリアの腕の力で着実に地上へ引き上げられていく。

「すげえや……」

「アホ面さらしてんじゃないよ、怪我した足がそのへんに当たらないように気をつけな」


 そうして一番穴が狭まっているところまで登ったロカテリアは、さすがに苦しそうに大きく一度息を吐いた。

「ここはひとりずつしか抜けられない。ボウズの腕の力だけで登っていきな」


 少年が岩の隙間を見上げたのは一瞬。

 わかった、と短く返事をして、登っていくための手がかりを探しはじめた。

 聞き分けのいい子は好きだよ、とロカテリアは目を細める。

「アタシの肩に無事なほうの足を掛けて、思い切り蹴っていい。そうだ、お行き」

 

 少年は無我夢中で腕を動かした。

 ヒジも背中も狭い穴の中で使えるところは全部使って、イモ虫のように体をのたうたせて登る。

 当然折れた方の足も、あちこちにひどくぶつけたが、今は構っていられなかった。


「はぁ……はあっ!」

 ようやくある程度広さのある場所まで抜けたので、突き出た岩に少年がもたれかかっていると、下からヒョイヒョイとロカテリアが昇って来た。

「はぁ……婆ちゃんの体力、化け物だな」

「探検家をナメてもらっちゃ困るね」


 笑いながら少年を背負いなおすと、ロカテリアは地上を目指して再び登りはじめ、その途中で動きをとめた。

「タガネとハンマーを出しな」

 いきなり何の話なのかと、目をぱちぱちさせている少年に「オマエの目は節穴かい?」と老婆がからかう。

「ボウズの目の前の亀裂の奥、それがおそらく幻の紅輝石べにきせきだよ」

「えぇっ!? これが?」


 わずかに茶褐色の光沢がある石は、たしかに少年が見た事のない鉱石だ。

 手が届きやすい手前のひとかけらを採取すると、断面は血のように赤い。

「見つからないと思ったら、こんな狭い穴に隠れていたとはね。ボウズが落ちなきゃ永遠に幻のままになるところだったよ」

「これもしかして……すごく高く売れるかな?」

 急に現金に声を弾ませる少年に、ロカテリアはどうだろうねと苦笑して、また力強く岩肌を登りはじめた。

「それは地上に戻った者だけが、知りえる未来ことだよ」

  


 穴から這い出ると、鉱夫たちはオウオウと男泣きしながら少年をもみくちゃにした。

 医者に見せるのが先だろうと、ロカテリアがゲンコツを落とすと、鉱夫全員で少年を運び、こんなにたくさん付き添いは要らないと怒られて、しょんぼりして戻って来た。


 とにもかくにも、探検家ロカテリアの救助レスキューは、無事に完遂したのである。



 

 数日後、ロカテリアは旅支度を終えて、タバコを吸いながら馬車を待っていた。

 そこへ松葉杖をつきながら、息を切らして少年がやってくる。

「もう、出発するって聞いてきた。早すぎるよ、ちゃんとお礼も、言えてないのに」

紅輝石べにきせきは見つかった。アタシは探検家だからね、次の未知を追い求めて、また流れるとするよ」

 その風来坊のような生き方と、タバコをうまそうにふかす姿は、少年の目にどう映っただろうか。

 

 ベンチに足を組んで座っているロカテリアに、不器用に松葉杖の先と片足を寄せると、少年はそっと彼女の頬にくちづけた。

 老婆は微かに目を見開き、タバコの火を少年から遠ざける。

 ポトリと地面に灰が落ちた。


「おれも体で払うよ。みんなが唇はガキには早いって言うから、その、ほっぺで悪いけどさ」

 真っ赤な顔で、それでも少年はロカテリアにはっきりと言った。

「おれを暗闇から引っ張り上げてくれて、ありがとう、ロカテリア」

「アタシを呼び捨てにするなんて、いい度胸だね」


 二人は強く握手を交わす。

 ロープを握ってガサガサにささくれているロカテリアの手のひらは、ここに確かに少年の命を繋いだ証だった。

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