第2話 サイドB〜リョウマと宮田先輩〜

「ブェックションッッッ!」


「森山さん、くしゃみしないでください。マスクしていても万能ではないですし、特にシャーレに他の菌やウイルスが混ざるといけないのですから」


「すみません」


「はい、念の為にシャーレの中は取り替えてもう一度ささくれ菌を培養しましょう。急いでいるからサンプルは一つでも多くしないとならないのに」


 また宮田先輩に嫌味を言われてしまった。この研究部門に配属されてから教育係として指導を受けているが、こうして厳しい人のため、ちょっとしたことでも小言や嫌味を言われる。

 だが、この先輩は優秀である。その点は僕も認めている。だからこそ、なんか悔しい。


「あ、僕がだめにしたので、廃棄は僕がします」


「じゃ、任せるわ。先に培養した菌にあらゆる試薬をかけるのはこちらでするわ。森山さんも風邪をひいたのなら、研究室内にウイルスを拡げる恐れがあるわね。後で検温しなさい」


「はい」


 嫌味なようだが、これは正しい対応だ。ちょっとした風邪でも他の検体に影響が出て回復まで外される。


 命に別状無いとはいえ、国民からの不満が高まっていたので、研究部門は僕を含めて総動員して泊まり込みで対策を研究している。全てはあのバッファローの群れのせいだ。なぜか突然予測進路が外れたために想定外のルートだった施設ここが破壊され、マニュアルとおりに避難できなかったから、その時に流出したと考えられている。

 とはいえ、泊まり込みはキツい。くしゃみするなんて先輩の言う通り風邪かな。


「熱湯やアルコールで死ぬけど、手指に熱湯かけるわけにもいかないし、アルコール消毒だと新たに手荒れしてささくれができるから他の方法を模索して対策や治療法を見つけないと」


「宮田先輩もかなり根詰めているようですが、無理しなくてもいいのでは無いですか? もうすぐ交代時間ですし」


「私達の不始末で国民が困っているのだから、早く助けないと。事務の人も大変なのよ。苦情対応に追われて終業後にやっと仕事ができる状態なの」


 優秀なだけではなく、責任感も強く周りに気遣える。これで嫌味やお小言を言わなければ良い先輩なのだけど。


 そう考えながらシャーレの廃棄を始めた。どうせだから一つだけ取っておこう。もしかしたら何かの菌が対抗して消滅してくれるかもしれない。


 交代時間になり、最初の部屋で防護服とマスク、手袋を外していく。食品工場と同じで何部屋かに分けて廃棄していかないと菌が漏れてしまうからだ。だから今回の不祥事は事故とはいえ、所内でも重く見られていた。


 先輩か手袋を外した時、僕はぎょっとした。ささくれなんてものじゃない。肌荒れで真っ赤になっている。


「せ、先輩。すごい荒れ方ですね。やはりささくれ菌ですか?」


「え? 元々よ。簡単だけど一応自炊しているし、ゴム手袋してもどうしても荒れるの」


「うわ、よく見るとヒビ割れまでしている。痛いでしょう」


「もう慣れたわよ。森山さんも感染前より荒れているわね。お互いに早く良くなるといいわね」


 だからあんなに必死になって研究を急いでいるのか、自分のような人が減るように。自分より他人。なんて自己犠牲と博愛に満ちているのだ。僕はちょっと前の自分を恥じた。


「宮田先輩もこんなになるなんて痛ましい……」


「森山さんもあんなにつるっとした手だったのに……」


 僕たちはお互いに無意識に手を撫でるように触っていた。しかし、二秒でハッとしてお互いに手を離した。手袋していたとはいえ、消毒前の手を触るのはご法度だ。慌てて僕は謝罪した。


「す、すみませんっ! 消毒前の手指を触ってしまいました。風邪も持っているかもしれないのに」


「い、いいのよ。気にしないで」


 こころなしか先輩も顔が赤い。風邪をうつしてしまっただろうか。


 そのまま、マニュアルとおり消毒、検温をしてみるが、平熱なのでこのまま所内で仮眠することにした。もしも明日、風邪症状が出ていたらメンバーから外されるな、と不安に思いつつ眠りについた。


「森山さん、起きて!」


 数時間後、宮田先輩に叩き起こされた。まだ交代時間ではないはずだ。


「起きて! 森山さん、シャーレに何をしたの?!」


 あ、これは怒られる前振りだ。ウソをついてもしょうがないので報告する。


「さ、参考試料として僕の飛沫を浴びたシャーレを一つだけ取っておきました。ごめんなさいっ! マニュアルを破ってしまいました」


「すごいわ! あのシャーレの中のささくれ菌が他より消えているの!」


「え?」


「もちろん、シャーレもこれからチェックするけど、あなたの口内の菌も採取してくれとチーフから頼まれたのよ。早く支度して!」


 慌てて、僕は身支度をして先輩と共に研究室へ向かった。


 結果からして、風邪のウイルスに弱いことが分かった。理由はこれから分析しなくてはいけないが治療の大きな発見である。


「森山さん、やったわね! これで国民が救われるわ」


 宮田先輩が喜びのあまり抱きついてきた。防護服越しとはいえ、マズいのでは。って、その前に仕事の先輩とはいえ、異性に抱きつかれたことない僕は心臓が早鐘をうち始めてしまった。


 〜〜〜


『兄さんには特別に明かすけど、そんな訳で宮田先輩に恋をしてしまいました。先輩が独身なのは確認済です。彼氏がいるのどうかはまだわかりません。僕はどうすればいいのでしょう』


「手紙を読み上げるなんて、情報漏洩していいのか? リョウタ」


「前半はともかく、後半は恋愛相談だよ。僕に聞かれてもなあ」


 知らなかった。ささくれ菌の流出にあのバッファローが絡んでいたのは知っているが、突然の進行ルート変更のためとは。これは間接的に僕たちのせいでもある。これは黙っておこう。

 そして、兄同様に年上の気の強い女性を好きになってしまったか、弟よ。


「兄弟だから好みが似るのかなあ」


「宮田先輩とやらも仕事熱心だもんね」


 そういう意味ではないが、良い方に誤解しているのでこれも黙っておこう。


「とりあえず、がっつくな。指輪も研究時に外していることも考えられているから、なるべく噂好きな人から情報を得なさい、と返事しておこう」


「私にはストレートに聞いてきたくせに」


「うわああ、照れるから止めて」


「いやあ、恋バナって楽しい。応援しようよ」


 これは僕も応援しなくてはならないのだろうか。僕たちのせいでささくれ菌が流出した。しかしその結果、恋も生まれてしまった。兄として応援すべきなのか。それとも細菌流出の間接的な責任を取るためなのか。


 僕は悩むのであった。

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【KAC4】謎の細菌、その名も「ささくれ菌」 達見ゆう @tatsumi-12

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